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5 なんでけも耳もしっぽもないんですか?

 誰もいないことをしっかりと確認するべきだった。しかしもう、過ぎたことは取り戻せない。

 ああ、なんてところを見られてしまったのか。しかもあんなに可愛いうさぎの男の子に。口止めもできないまま逃げられてしまったことが不安である。と思いながら、さっきまでのんびり休憩してきた私は、会場に戻るため部屋を出た。

 さて、口止めに向かおう、と思ったのだが、彼がどこの誰なのかわからない。名前だけでも聞けばよかった。……別にもう一度うさ耳が見たいとか、あの子なら頼めばもふもふさせてくれそうとか、そういうわけではなく……


 会場に入ると、声を掛けてくる客人に微笑みながらも心中穏やかではない。


 うさぎ、うさぎ、うさぎ……


「あら、メーラやっと戻ってきたのね」

「! お母様……」


 きょろきょろと先ほどの男の子を探していると、ご婦人方と談笑していた母に捕まった。


「メーラ、あなたに紹介したい人がいるの」

「紹介したい人、ですか? ……わかりました」


 ご婦人方に挨拶をしてその場を離れ、母に連れられて会場を歩いていく。


 うさぎ、うさぎ、うさぎ……


 私はまだ諦めきれず、先程のうさ耳を探しているが、やっぱりどこにも見当たらない。


 母が「あっ」という声を漏らし、その視線先を辿ると、ドレスやスーツの中に現れる異国の衣装。煌びやかな装飾を纏う男性がいた。


「いらっしゃったわ。アミール様」

「ああ、ミリアン夫人。もしかして、そちらが……」

「ええ、娘のメーラでございます。メーラご挨拶を」

「は、はい。はじめまして。メーラ・ルロワと申します」


 たくさんのアクセサリーと金の装飾がいっぱいついた布を何重にも巻いた男性は私の挨拶に美しく微笑んだ。一瞬見惚れて固まって、はっと息を飲んで礼をする。男性は優雅な手つきで私の手を取り、そのまま指先に唇を寄せた。まるで物語の王子様がするみたいに。


「メーラ嬢、お会いできてうれしく思います。私はシャマール王国第四王子アミール・ムフリス・アルマと申します。どうぞ気軽にアミールと呼んでください」

「アミール、第四王子……」


 まさかの王子様だった。

 母は満足げに扇子を広げると、私に向かってにこりと微笑んだ。


「この方はあなたの婚約者となります」

「はい……って、ええ!? こ、婚約者、ですか!?」


 ずっと箱入りで、世の中のことを知らない私がいきなり異国の王子と結婚とは……

 先ほどの挨拶中にも何度かその様な打診はあったが、父や兄のガードのおかげもあってなんなく切り抜けてきた。

 理想の旦那様は自分の手で見つけるのよ! という暗示なのかと思ったのに。


「やっと見つけたのよ。ちゃんとしなさい」

「見つけた……ですか?」


 動揺している私に、母は扇子の内側で耳打ちをする。

 見つけたとは……?

 にこにこと爽やかに微笑むアミールをよく見ると、ここにいる大勢と違うところを見つけた。異国の装いであることはもちろん、それだけではなく、耳が私と同じ位置についていて毛に覆われておらず、頭に角もなく、ふさふさのしっぽもない。ない……ないのだ。


 ああ、ということは……人間だ。人間なのだ。

 なぜ、婚約者様にも、けも耳がないのか。この世界は獣人の方が多いはずなのに。


「あなたと年齢が合って、家柄の良い、未婚の人間を見つけるのは大変だったの。アミール様を逃がすんじゃありませんよ」

「え、ええ?」


 ああ、そうだった。


 母、ミリアンは生粋の人間であることを何よりも誇りに思っている。そして同じく生粋の人間である父、マルクと出会い結婚。二人の子供に恵まれた。そして、この血を濁すことなく後世に残そうと躍起になっているのだ。

 兄はというと、まだ妙齢の人間女性を見つけられず、婚約に至っていない。

 だから、先に私を人間と結婚させよう、ということなのか。


「メーラ嬢。少し私と歩きませんか」

「え? あ、はい」


 にこにこ顔を崩さないアミールに手を引かれ、庭園に出る。満面の笑みで手を振っていた母を恨めしく思いながら、隣を歩く男性の様子を窺った。


 年齢は兄より少し上だろうか。異国の煌びやかな装いがよく似合っており、美しい黒髪黒目。顔が恐ろしく整っているため、直視できない。

 私はこの人と結婚するのかと、ちらりと横目で窺うと、ばちりと目が合ってしまい、慌てて明後日の方を見る。

 かっこいいし、笑顔も素敵で王子様……結婚相手として申し分ない……


 なんて思った自分を引っ叩きたい。


「セリアンテ王国の、しかも人間の娘と聞いたから、どんな見た目かと思ったが、存外悪くないな」

「……は?」


 先ほどの穏やかな声とは違う、低い声が聞こえ、振り返ると綺麗な顔が間近にあった。


「赤い髪も美しいし、この金の目は俺の装飾品に加えたい」

「な……」


 アミールは私の赤い髪の束を掬いあげ、口付けを落とす。優雅で洗練された動きではあるが、それにときめくどころか、言い様のない不快感に襲われる。さらにぐいと腰を引かれ、逃げ場を失った状況に防衛本能が働いた。


「な、なにするんですか。離してください」


 ぐいぐいと全力で腕を突っ張り、これ以上近づかないようにアミールを押す。しかし、力の差は歴然。まったく、びくともしないどころか、どんどん顔が近寄ってくる。


「俺は獣人の方が好みなんだ」

「で、では、私との婚約は望まないのでは?」

「いや、気が変わった」


 にやりと笑った顔が怖い。するりと尾骶骨の辺りを撫でる手のひらにぞわぞわと悪寒が走る。


「っ、なっ」

「しっぽがないのも新鮮だな」

「離してください!」

「なぜ嫌がるのか理解できんな。婚約者だ。別に構わないだろう?」

「い、や、そんな話し聞いてませんし、私は構います! というか、さっきと全然違うんですけど、なんですか! あなた二重人格!?」

「ああ、あれは余所行き。これが本当の俺というわけだ」

「本性現すの早すぎ……っ!」


 先ほどと同じ爽やかさを纏った笑顔が向けられて、ひくと喉が鳴る。引きつる私にアミールはどんどん距離を詰めてくる。


「いや、待って、近寄らないで、っちょ……!」


 身体が密着して、顔だけ持ち上げられた。にこりと笑う顔は爽やかさなど欠片もなくて、恐怖しかない。このままでは理想のもふもふを見つける前に私の身体が傷物に……!


「っふん!」


 何をしても抜け出せないから、仕方なく彼の顎めがけて赤い頭をぶつけてやった。私は石頭。どうだ参ったか。

 ゴンっという音と鈍い痛みがおでこに響いて、アミールが怯んだ隙に、腕から抜け出した。ここにかっこいい角でもあればもっとうまくやれたのに。じんじんする額を押さえながら、遠くへ逃げようと足を動かす。


「っ、お前!」


 アミールの怒声が響いた。すぐに腕が掴まれ、強く引かれる。あ、これはやばい。

 私の腕を掴んでいないほうの手が振り上げられるのがわかった。ぎゅっと目を閉じ、来るはずの衝撃に備える。


 ……しかし、それはなかなか訪れない。


「っ、何だ、お前は!」

「あー、その辺にしておいたほうがいいと思いますよ。もうじき、ここをセリアンテ国王がお通りになりますから。この国唯一の人間のご令嬢を傷つけたりなんかしたら、国際問題とかになっちゃうかもしれませんよ」


 アミールと私の間に立つのは、ひょこひょこっと動くグレーのうさ耳。アミールより頭半分小さい彼は私を後ろ手に庇いながら、振り上げられた腕を軽々と掴んで止めていた。

 舌打ちをして、腕を下ろすアミールに、うさ耳の彼はにこりと笑った。


「ご令嬢に手を上げるのはどうかと思いますよ」

「……っ、お前……ランヴェール卿」


 アミールはうさ耳を見た途端に狼狽えて、私とうさ耳の彼から距離を取った。


「おや、私のことを知っているのですか? あー、もしかしてシャマール王国の干ばつの時にお会いしましたか?」


 うさぎの彼は「どうも人の顔を覚えるのが苦手で」と申し訳なさそうにうさ耳を掻いた。


「い、いえ、その節は兄がお世話になりました。私は卿と直接お会いしたことはありません。名乗り遅れました。アミール・ムフリス・アルマです」

「……アミール、ああ、第四王子様でしたか」


 うさ耳の彼はぽんと手を打ち、優雅にお辞儀した。


「ルシアン・ランヴェールと申します」


 ランヴェール……付け焼き刃で詰め込んだ貴族名簿の記憶を手繰り寄せる。

 ランヴェールとは公爵家のはずだ。しかも、肉食動物が上位を占めるなかで、草食動物でありながら、唯一殿下の側近となった、あの……

 顔は知らなかったが、名前と噂は箱入り娘の私でも知っていた。

 慌てて私も礼をとる。


「ランヴェール卿、ご挨拶が遅れ大変申し訳ありません。メーラ・ルロワと申します」

「ああ、いえいえ、お気になさらず。パーティの際に挨拶できなかったこちらの不手際ですので。それよりも、大丈夫ですか?」

「え……あっ」


 ランヴェール卿に優しく持ち上げられた腕には、くっきりアミールの手の跡があり、さっきは本当に危ないところだったと今になって背筋が凍った。うさぎの彼がいなかったらどうなっていたことか。


「さて、第四王子様。このままだと私は国王に報告しないといけなくなりますが」

「……あっ、う、ご無礼をお許しください。メーラ嬢、この続きはまた、折をみて……」

「……」


 先ほどまでの強気な様子はなくなりアミールは逃げるように去って行った。取り残された私とうさぎの彼。


「ランヴェール卿……本当に助かりました……」

「いやぁ、見事な頭突きでしたね。メーラ嬢。見惚れてたらうっかり、出るタイミング逃しちゃって」

「!!」


 はははと可愛らしく笑っているが、なんということだ。はしたないところをまたも可愛いうさぎさんに見られてしまった。


 しかも彼が、ランヴェール公爵家のご子息であるならば、男の子、可愛いうさぎさんなどとはとてもじゃないが呼べない。なんたって、彼は私より四つも歳上だ。なんだったら兄よりも上ではないか。


「あ、あの先ほどの部屋でのことも、そうですが、あの、えっと、その……」

「っ、私が止めるのを躊躇ったばっかりに……ああ、赤くなって……」


 私がしどろもどろに口止め……いや、お礼と謝罪をしようとしていると、うさぎの彼の顔が間近に来て、私のじんじんと熱を持つおでこに触れた。

 申し訳なさそうな顔と優しく額に触れるひんやりとした彼の手に、私の心臓は思い出したかのように大きな音を立て始める。


「あ、何か冷やすものを持ってきましょう」

「あ、え、そ、その……っ」

「メーラ嬢?」

「……っ」


 勢いよく顔に熱が集まって、沸騰寸前だった。

 張りつめていた緊張の糸も切れ、足がガタガタしてる。おでこはじんじんするし、そういえば、お腹も空いた。今日はまだ何も食べていない。

 ていうか、もしかして私って男性に対する耐性ゼロすぎじゃない? 心臓ドキドキ言いすぎでしょう。

 自分が男性への免疫がないことをすっかり忘れていた。先程アミールに近寄られたこともすぽんと頭から抜けて、目の前のうさ耳男子に目を奪われていた。

 そして、ついにふっと足に力が入らなくなって、私は重力に身を任せる。


 ああ、今度は地面に頭突きをしてしまう……


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