最終話 けも耳も角もしっぽもないけれど
ルシアン様はアミール王子を引っ張りながら消えていった。
取り残された私ぽかんと立ち尽くす。あまりにも一気に色んなことが起きて私の頭はいっぱいいっぱいである。
アミール王子は結局獣人で、ルシアン様は私ことが……好き?
告白シーンが蘇って顔に熱が集まった。絶対にまだ赤いであろう顔をぱたぱたと扇ぎながら、部屋へ戻るとそこには仁王立ちのリナがいた。
「お嬢様っ! 心配しました!! どこへ行っていたのですか!」
鬼の形相のリナに、部屋を出た理由とさっき起こったことを説明すると盛大にため息をつかれる。大いに反省しているので許して欲しい。
「お腹が空いて我慢できなかっただなんて、どこのお子様ですか……」
「ごめんなさい……」
「本当に無事でよかったです……ところで、すぐにここを出るっていうのは……」
にっこり笑った白い羊の黒い笑顔が恐ろしい。やはりリナは怒っている……
私はとりあえず端的に事実を述べた。
「無事婚約破棄となりました……」
「……ランヴェール卿って仕事が早いですねぇ……私、せっかくここの仕事覚えたのに……」
「?」
「あ、いえ、何でもありません。……ということは、もうランヴェール卿はお嬢様にプロポーズをされたということですね!」
「え……?」
「……え?」
リナと見つめあって寸刻。
「ええ!? まさか何にもなしですか!?」
「確かに、『好き』とは言われたけど、そういうことではなかったみたい……?」
「じゃあどういうことなんですか!?」
「私の方が聞きたいよ……」
リナに話しながら、さっき起こったことを思い出していたが、混乱するばかりだった。
「よく考えて」とは、何を考えればいいのか。私はルシアン様が好き。それは間違いない。他の獣人と違って恐くないし、可愛いうさ耳の虜である。
この世界、セリアンテ国での婚約、結婚の流れは……?
私にはもう婚約者もいないわけで、新たに婚約を結ぶことは可能である。だが、それには両家の了承が必要だ。しかし、その了承を得るためには、まず、位が上の家から、婚約の申し出がないといけない。
だんだんと私の話を聞いてくれなかったルシアン様に腹が立ってきた。
アミール王子は正式に私に謝罪をして、ルロワ家には詫びの品を送ると言った。彼にはしばし謹慎が言い渡されたらしいが、特に気にしていない様子だった。
帰りがけに「ルシアン・ランヴェールとうまくいかなかったら、いつでも俺のハレムにいれてやる」とうさ耳の見えないところで耳打ちされたが、ハレムは勘弁。それに、耳としっぽを生やして出直してこい。
****
シャマール国から戻ってきた私に、お母様は泣きながら謝った。
蟠りはまだあれど、それでも家族のことは大好きで、「これからはメーラの好きにしてもいい」という解放宣言も得られた私は、このことは気にしていない。しかも、晴れて自由の身となったのだ。これで、もう無理して人間と結婚する必要はない。
このお母様のメーラ解放宣言の裏には、もう一つ大きな出来事があった。
それは、お兄様に婚約者ができたということ。なかなか見つからなかった生粋の人間のご令嬢。どこで見つけてきたかと言えば、それはなんとシャマール国の王女様である。アミール王子の腹違いの妹。こちらは国王と純粋な人間の母親から生まれた生粋の人間の女性だ。アミール王子の言っていた「詫びの品」はこれである。そんな二人は決して政略結婚などと悲観的なものではなくて、お兄様と王女様は出会った瞬間に恋に落ちた。今は見ているこちらが恥ずかしくなるくらいの熱々のラブラブっぷりである。
私と同い年の彼女は、私と共に貴族院に通い、卒業と共に兄と結婚するそうだ。
そう、私は当初の予定通り、セリアンテ貴族院に通っている。
そして私の話を聞かず、自分の言いたいことだけ言って去って行ったとルシアン様との関係に進展があったかというと、それは……
私が今いるのは、セリアンテ貴族院内のティールームである。王族やそれに準じた高貴な方々が使用するこの場所は、私が入学してからというものずっと貸し切り状態だ。
「メーラ」
甘い囁きと共に与えられる抱擁を甘受して、おずおずと抱きしめ返すと、擦り寄るように柔らかなグレーの毛が頬を撫でた。ふわふわの毛が心地良く、離れがたい。
毎朝の日課となった、この『マーキング』。それは始業の予鈴が鳴るか、彼を迎えに来る声が先か、どちらかが訪れるまで続く。
「ふふ、ルシアン様、くすぐったいです」
「もう少し、我慢して。ちゃんと俺の匂いをつけないと。前、軽いマーキングにしたら昼まで持たなかったでしょう」
「そうですけど……」
動物がするようにもぞもぞ、すりすりと私に身体を擦りつけているルシアン様は、今、私の婚約者様である。
シャマールから遅れて帰国したルシアン様に私は詰め寄った。
「ルシアン様! 私、あなたのことが好きです」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください。私はまだ待てます。ちゃんと考えてください」
「もう十分考えました。私も他の人に、ルシアン様以外に……ま、マーキングされるなんて、考えられません」
「っ……」
私の一世一代の告白に顔を真っ赤にしたルシアン様は、まだ何かを考えあぐねているようだった。
何が手の早いうさぎだ。奥手もいいところである。このままだと一生ルシアン様は手に入らない気がした。こうなったら、私から言うしかない。覚悟を決めて口を開く。
「……ルシアン様。私と……」
「待って……! 俺に言わせて……」
私の口を熱い手で押さえて、耳が忙しなく動いて、視線を彷徨わせる。
そしてまるで王子様がするみたいに、跪くと私の手を取った。
「……メーラ、俺と結婚してくれますか」
「……っ、はい」
そしてランヴェール家とルロワ家は婚約を発表した。あの時私が言おうとしていたのは「付き合ってください」である。それを飛び越えてのプロポーズ。「はい」以外の返答を持ち合わせていない。
後からお兄様に聞いた話だが、ルシアン様は自分がシャマールへ行く前に、すべての外堀を埋めていたらしい。
彼は王命という盾の元、私のお母様とお父様と交渉した。
第一に、もしアミール王子が生粋の人間でなかった場合、婚約を無効とする。シャマール国王、王子との交渉は自分に一任すること。
第二にシャマールの王女をミシェルお兄様と婚約させることができたら、私、メーラと自身の婚約を了承するということ。ルシアン様は公爵家、身分として何一つ不足はない。しかし、『赤い果実』を知った両親は、獣人へ嫁がせることを躊躇ったらしい。そこで第三にセリアンテ貴族院を卒業するまでは私に手を出さない、私が頷かない限りは婚約はしない。
この条件を提示して、ルロワ家を納得させてからルシアン様はシャマール国へ旅立ったらしい。
なぜ私は、手を出さないと誓ったはずのルシアン様の腕の中にいるのかというと……これは私がセリアンテ貴族院で安全な学園生活を送るための条件であり、ルシアン様の忍耐力を鍛えるという謎の試練の一環でもあった。
恐らくフィリベール殿下が手配したであろう王族御用達の貴族院ティールームが、私とルシアン様の逢瀬の場として提供された。
実際ルシアン様のマーキングがないと、私は『赤い果実』のせいでまともに学園生活は送れない。そしてこのマーキングのおかげ(?)で全生徒に、私はルシアン様のものだと知らしめながら、毎日過ごしている。ルシアン様の溺愛っぷりは、学園を飛び越えてこの国に知れ渡っており、皆に生温い視線を送られる。そんな日々にはもう慣れた。
こうやって毎日のように抱き合うけど、それ以外は本当に触れてこない。キスだって私が酔って迫ったあの時以来、したことはない。
『赤い果実』の症状がなくたって、両想いとなった人と、こうして触れ合っていれば、私だってもっと触れたくなるわけで……もうただの恋する乙女なわけで……
「……じゃあ、キス、してください……」
「なっ! そ、それは駄目です」
「……けち、誰も見てません」
「……見てなくても、獣人たちには一発でバレるので」
卒業まであと二年。こんな感じでいつも生殺し状態。殿下やラス様が言っていた「ルシアンの鋼の理性」。それを実感する日々である。
もはや私が狼になる日のほうが近いのではと思う、今日この頃。真っ赤に染まったうさぎを見て、私は湧き上がる衝動をぐっと堪えた。
自分の身に起きたことのせいで、いつの間にか思い出さなくなっていたことがある。それは前世のこと。しかし、今、ルシアン様の腕の中で、私はふと遠い日の記憶を思い出した。
あの日、車に轢かれそうになっていたのは、短めのうさ耳と小さな体が特徴なグレーのもふもふだった。どこかのお家から逃げ出したのかと駆け寄ったとき、目の前に大きなトラックが。
咄嗟に小さな体をすくいあげ、放り投げる。そして……私は身体に強い衝撃を受けた。痛みもなく朦朧とする意識の中、グレーのあの子は路肩で震えていた。生きてる。無事でよかったと安心して瞼を閉じた。
私の胸元に頭を擦りつけるうさ耳を見て、愛おしさが込み上げた。
もしかしてこの人生はうさぎの恩返しだったりして。
記憶の中のもふもふとそっくりなうさ耳を優しく撫でると、彼は驚いた顔でこちらを見上げる。
「め、メーラ。耳は禁止だと言ったでしょ」
顔を上げた彼の額に口付けをした。
「愛しています」
私の言葉に目を瞬かせ、次の瞬間、ぶわっと赤く染まったその人はどこまでも愛おしい。
「……俺もです」
花が綻ぶような笑顔に胸が高鳴る。きゅっと抱きしめられた身体は温かい。
私には、けも耳もしっぽも角もないけれど、未来の旦那様は可愛いうさぎさんのようです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




