25 シャマール王国 3
目の前に次から次へと食べ物が運ばれてくる。シャマール国の料理はスパイスの効いたものが多い。食欲をそそる匂いに小さくお腹が鳴った。
ちらりと横を見れば、『余所行き』の笑顔を張り付けたアミール王子が、煌びやかな衣装を纏った女性たちがくるくると舞い踊る様子を眺めている。
アミール王子が催すと言っていた私の歓迎の宴は想像の何倍も豪華なものだった。さすがに国王陛下はいらっしゃらなかったが、アミール王子の兄弟たち、所謂王子様らが来ており、挨拶するだけで疲れてしまった。王子は皆人間だと聞いていたが、他の貴族には獣人がいる。私の『赤い果実』が悪さしないように、抑制剤もばっちり服用済みですべてに抜かりはない。ここまで何事もなく済んでいるのがその証だ。
挨拶が済んだのちに導かれた会場は床にふかふかの絨毯やクッションが敷き詰められ、まるで寛いでくれと言っているようなそれ。セリアンテとはまるで形式が違う。
そこに辿りつく前にも、シャマールの貴族たちと他愛のない会話をして、やっとの思いでふかふかなそこへ座ることができたのだが、今度は食べ物地獄。出されたものには手を付けないといけないマナーらしい。最初は珍しさと美味しさに次々と手を伸ばしていたのだが、さすがに、もうお腹いっぱいだった。
しかもこの衣装がいけない。シャマールの女性の正装らしいそれは、とにかく布が少ない。ひらひらして、シャラシャラして可愛いなと思い、大人しく着たのはいいが、食べ過ぎてお腹が出てないか気になるし、すーすーしてどうにも落ち着かない。
この正装は目の前の踊り子たちと同じくらいの布の分量だ。水着か下着かというくらいの上部にお腹周りを覆うのはすけすけの薄い布。足元も心許ない軽く柔らかなスカートである。もちろん私のスタイルならば完璧に着こなしているし、他の側妻であろう女性たちにも負けないくらい似合っているのだが、セリアンテではこんなに肌を出すことはない。もちろん前世の私には縁遠い代物だ。さり気なくお腹を隠しながら、私も踊り子たちに目を向ける。
「どうした、メーラ。シャマールの食事は口に合わないか?」
「……いえ、どれもおいしいです。でも、ちょっと喉が渇いてしまって」
「ああ、ほらこれを飲め」
「あ、ありがとうございます」
ずずいと距離を縮めてきたアミール王子から少し身を引くが、王子が手ずからお酌してくれたので断るわけにもいかない。なみなみと注がれた甘い匂いのする飲み物を私は勢いよく飲み干した。匂いの通り甘くてフルーティで飲みやすく、そしてなによりも美味しい。
私の飲みっぷりに気をよくしたらしいアミール王子は、次から次へと注いでくる。喉が渇いていたこともあり、注がれたそばから飲み干して、ほうっとため息をついた。なんのジュースだろうか。シャマールのもので一番気に入ったかもしれない。
ご飯を食べたからか、身体がぽかぽかしてきた。どれくらい時間が経ったのだろう。ふと、周りを見ると無礼講の大宴会といった感じでいつの間にかどんちゃん騒ぎ。セリアンテの令嬢のことなどすっかり忘れているようだった。
「それ気に入ったのか? いい飲みっぷりだな」
「はい。これ、とてもおいしいです」
「そうか。それなら、それよりもいいやつを飲ませてやろう」
アミール王子は空になったきんぴかの水瓶を従者に押し付けた。何か指示をして私の隣に戻ってくる。
私はそれをぼんやりと見ていた。なんだかさっきからふわふわ夢見心地なのだ。従者の人がルシアン様に見えるくらいに。耳もしっぽも見えないのになぜだか似ているような気がした。こんなところにいるはずはないのに。シャマールに到着したばかりだというのに、もう寂しくなってしまったのか。先が思いやられる。他人事のように考えながら、グラスに残るジュースを一口。
私の身体は少しずつ程よい倦怠感に支配され、ふかふかのクッションに埋まりたくなった。開放的な気持ちにもなって、顔が緩む。まるで……
「ふふふ、アミール王子。今から持ってきてくれるのは、もっとおいしいやつですか?」
「そうだな」
「ふふふっ、楽しみ」
「いつもそのくらいニコニコして素直ならば、もっと可愛がってやるのに」
『余所行き』の仮面が外れかかったアミール王子の顔がやたらと美しくて、言葉が出てこない。彼の見た目は私の好みど真ん中なのだ。
そのことがバレないように、慌ててグラスに残っていたジュースを飲み干した。やはり、美味しい。なんの味だっただろう。私はこの味を知っている気がする。私ではない、前世の私が。
しかし、思考が上手くまとまらない。そんなことはどうでもよくなるくらい気持ちがいいのだ。どんどん近づいてくるアミール王子も気にならないくらい気分がいい。いつもなら頭突きを食らわせたくなるのに、今はそんな気分じゃない。
「なあ、メーラ。お前本当に人間なのか? 俺は別に獣人でも構わない。分け隔てなく愛してやれる。ほら、正直に話したらどうだ? そうしたら、俺の秘密も教えてやろう」
「アミール王子の秘密?」
耳元で囁かれた言葉に私の頭にはハテナが浮かぶ。
「ああ。早く答えろ」
「もー何言ってるんですか。人間だって何度も言っているでしょう? それに父も母も兄も見ましたよね?」
どこもかしこも近い。王子の胸を押して、後退る。
「じゃあこの匂いは何なんだ」
「匂い?」
他の人がいるのに、『余所行き』の仮面を取った男が口の端を上げた。そのままどんどん近づいてきて、布がない鎖骨辺りにアミール王子の鼻が当たった。すんっと匂いを嗅がれると、肌が粟立つ。全身の力が抜けたように動けない。後ろで体重を支えていた腕が震えている。
「たまらなく、甘くて美味そうな匂いがする」
「っ……」
食べられる。
なぜか本能的にそう思った。彼が触れた全部が熱い。背中にはふかふかのクッションがあって、これ以上は下がれないことを告げる。覆いかぶさってくるアミール王子を突き飛ばす力も出ない。
このまま、食べられてしまう。
耳に熱く湿ったものが押し当てられて、頭の中にリップ音が響く。覆いかぶさる男の吐息。そのほかに何も聞こえない。観念するように、反射的に目を閉じた。
次に起こることに身構えて、身体を強張らせていると、ゴンッと何かが落ちる音がした。
私はやっとの思いで目を開ける。アミール王子の熱は遠ざかって、周りの喧噪が戻ってくる。
「お前っ、何してくれる!」
「わぁ! 申し訳ありません。どうしよう! このままでは染みになってしまいます。すぐにお召し替えを!」
「何だ、見ない顔だな。新入りか? 俺が誰かわかっていてこんなことしているのか?」
「はい、申し訳ありません。罰は後ほどいかようにも。しかし、先にお召し替えをなさって下さい」
「チッ、メーラそこで待ってろよ」
何が起きているのかわからない。目を開けたらずぶ濡れのアミール王子が従者を怒鳴りつけていた。『余所行き』の仮面、ずる剥けでは? という言葉は飲み込んだ。
ふわふわする頭で推測すると、今、土下座の姿勢のまま動かない従者がアミール王子にジュースをぶっかけたということだろう。
王子は赤い液体をぽたぽたと滴らせなが、別の従者に連れられて下がっていく。取り残された私は、まだ動けない。
「お嬢様はこちらへ」
「へっ?」
目の前で土下座していた従者がアミール王子がいなくなるのを確認してから、機敏な動きで立ち上がる。彼は私の手を強く掴み、引っ張り上げた。
「え? ええ?」
ずるずると引きずられながら、騒がしい会場がどんどん遠ざかっていく。




