23 シャマール王国 1
あれよあれよとシャマール国への留学が決まった私は一人、馬車に揺られていた。
後ろをついてくる馬車には荷物と哀れな羊が乗っているから一人きりというわけではないのだが。
それでも、気持ちは売られる子牛。頭の中にはどこかで聞いた童謡が流れていく。
しかも、牛の獣人の従者が引く馬車によって運ばれている皮肉。
私はお母様の圧力から逃れることができず、為す術なく、今、シャマール国との国境を超えた。
セリアンテ王国とシャマール王国は隣接している。ただ、国境は砂漠地帯となっており、学校のある王都まではもう少し時間が掛かりそうだった。
最低限、道の整備はされているが、ガダガダと揺れる馬車のせいでおしりが痛い。
セリアンテよりも気温が高いと聞いて、生地の薄いドレスを選んできてよかった。ぱたぱたと顔を扇ぎながら窓の外を見る。
砂の山と向こうの方に大きな建物が見えた。
シャマールは国土の大半が砂漠に覆われている。最近まで酷い干ばつに悩まされており、同盟国であるセリアンテ王国が救済した話は記憶に新しい。この道もセリアンテが支援したと事前に読んだ資料に書いてあった。国同士の関係は比較的良好であるらしい。
そして、私がこの国に行くことになった一番の理由、獣人よりも人間が多いということ。
セリアンテ王国の王は獅子を先祖にもつ獣人だが、シャマール王国の王は人間である。
六人の王子がいて、それぞれの地域を治めている。そのうちの一人がアミール王子ということだ。王族が人間だからか、セリアンテではルロワ家だけだった人間がシャマールにはたくさんいるらしい。
先日紹介された婚約者、アミールはけも耳も角もしっぽもない人間だった。
私が知っているシャマールの情報はそのくらいだ。アミールを婚約者として紹介されてから、少しは調べたものの時間が足りなかった。未知の国でやっていけるか急に不安になる。言葉が通じることがせめてもの救い。
お母様からの別れの挨拶は「アミール王子と上手くやるのよ」である。それを聞かされていなければ、素直に私のことを考えてくれてありがとうと思うことができたのに。
がったん、と馬車が大きく揺れた。どうやら舗装された道に入ったらしい。今までのガタガタが嘘のように揺れがなくなり快適になった。ようやく王都に入ったのだろう。窓から外を覗くとセリアンテとはまるで違う世界が広がっていた。
砂埃の舞う街は露店が並び、人が溢れている。干ばつに苦しんでいた面影がないくらい活気に満ちていた。
道行く人々には、耳や角、しっぽが見えない。セリアンテではご自慢のしっぽを揺らして歩くことがステータスであったのに、この国では違うのだろうか。
強い日差しから守るためにすっぽり布をかぶっていたり、体のラインの隠れるような衣類が多いからか、ぱっと見では誰が獣人かわからない。それがなんだか不思議に思えた。
自分とまったく違う衣服を着ている人々を見ながらこれからの生活に思いを馳せていた。
少しすると、馬車が止まった。もう学校の寮に到着したのだろうか。なかなか開かない扉を見つめていると、ガチャンと音がした。
「お嬢様、到着しました」
牛の従者の声がして、馬車から顔を出す。
もわっと暑い風が肌を撫で、異国の匂いに僅かに眉を寄せる。違う国に来たのだと、改めて実感した。
馬車を降りる時、差し出された手に何のためらいもなく自分のそれを重ねる。ありがとうございます、と礼を言いながら顔を上げると、そこには会いたくなかった人がいた。
「お待ちしておりました、メーラ嬢」
「……アミール……第四王子」
私が名前を呼ぶと彼はにっこりと笑う。黒髪黒目の美丈夫。前回会ったときよりも、落ち着いた装飾を身に着けていながらも、その輝きは失っていない。優しげな声と爽やかな笑顔に息を飲む。やはり、かっこいいものはかっこいい。しかし、もう騙されることはない。この笑顔は『余所行き』のヤツだ。すぐ近くにルロワ家の従者がいるし、メイドのリナもいるからこの顔なのだ。
「アミール王子。私は学校の寮へ直行する、と聞いていたのですが……」
「せっかく婚約者殿が我が国に来るというのに、歓迎をしないわけにはいかないでしょう」
再び目が眩むような笑顔が向けられ、また声に詰まる。隣のリナがほうっと感嘆のため息を漏らした。私だって初めて会ったときにまんまと騙されたのだ。リナが見惚れてしまうのも仕方ない。
目の前のアミールばかり見ていたが、その後ろには煌びやかな建物があり、そこが王子の宮殿であることを物語っている。干ばつに苦しんでいた国のものとは思えない豪華さ。ここまでの道のりで見てきたシャマールの街はお世辞にも整っているとは言えず、豊かさは感じなかった。この国は貧富の差が激しいのかもしれない。
おずおずと宮殿から視線をずらすと、私を迎えてくれたのは王子だけではなかったらしい。華やかな衣装を纏った美しい女性が何人もいた。侍女にしては綺麗すぎる装い。そのうちの何人かはこちらに敵意丸出しといった様子。その刺すような視線におや、と思う。
アミールに手を握られたまま、きょろきょろと辺りを見回していたが、いつまでもこうしているわけにもいかず、仕方なくアミールのエスコートを受け、宮殿に足を踏み入れた。
「わぁ……」
内部もきらきらでしゃらしゃら。目がチカチカするくらい豪奢だった。リナと一緒になってぽかんと口を開けていると、アミールが歩みを止める。
「メーラ嬢、今日はこちらに泊まってください。部屋は用意させてありますから」
「えっ」
「学園が始まるのはまだ先でしょう? 何よりも、寮まではまだ距離がありますので。それに、私は婚約者殿に会いたかったのですよ」
「は、はぁ……」
無遠慮に肩を抱かれたあと、甘い言葉を囁かれ、私の背筋はぞわぞわした。私もです、と返せない時点でお母様の言い付けを守れていない。
肩を抱く腕からそそくさと逃げ出し、それを気にした様子もないアミールに案内された部屋は、これまた豪華な仕様だった。贅沢な限りを尽くしたような、とてもじゃないが落ち着かない部屋。
後ろをついてきたリナがまた、ほう、と感嘆のため息を漏らす。
「メイドさん。宮殿内のことを教えるので外にいるファルマについて行ってください」
「えっ、しかし……」
アミールが私の荷物を整理しようとしていたリナに声をかける。ファマルとは恐らく侍女のことだろう。入口で私を迎えていた女性たちとは違う服装の女性が私たちの後についてきていた。
リナは私を一人にしてよいのかと逡巡している。
「ふふ、すみません。正直に言いましょう。メーラ嬢と二人きりにしてくださいますか?」
「あ! はっ、はい! 気が利かず申し訳ございません。 失礼します!」
「え、リナ!」
ぽっと頬を赤くしたリナが慌てて返事をする。ああ、先に伝えておくべきだった。この男の本性を。人好きのする笑顔にリナはころりと騙されて、彼女はそそくさと扉を閉めた。二人きりになるのはできれば避けたかったのに。
「ふむ、あのメイドもいいな。あの特徴は羊か。羊は抱いたことがないな」
「なっ、最低ですね」
にやりといやらしい微笑みを浮かべたアミールから距離を取る。本性を出すのが早すぎる。つい、本音が出てしまったではないか。なんとしても、リナのことは私が守らなければ。ぐっと拳を握りしめた。
二人きりになったところで何も話しかけてこないアミールに痺れを切らして声をかける。
「……アミール王子。私、長旅で疲れてしまったみたいで。もう休みたいのですが」
「婚約者殿は久々に会ったというのにつれないな」
「……」
部屋を出ていくどころか、出窓に設置されたソファにどかりと身体を沈め、手招きしてくる男。隣に座れと言っているらしいが、そこに座ると身体が密着する気がする。長時間の移動で疲れているからすぐにでも座りたいところだが、ぐっと我慢した。
「あの、さっき入口にいた女性たちは……」
「ん? ああ、側妻たちだな」
「側妻……?」
「何、妬いたのか? 安心しろ。お前を正室にしてやるから」
「……妬いてませんから」
見当違いなことを言ってくる男を睨みつけ、私は自分の下調べの少なさを痛感していた。
やはりそういうことか。シャマール国はハレムを持つ国なのだ。この男は第四王子。自分のハレムを持っていてもなんら不思議ではない。しかし、この事をお母様は知っているのだろうか。お母様は未婚の男性が云々と言っていた気がするのだが……
私を座らせることを諦めたらしい王子はこちらを見上げているにもかかわらず、偉そうである。
「セリアンテはハレムは持たないんだったか?」
「そうですね……今の王族にはありません」
「ふぅん。俺には何人だったかな。十五、いや二十かな? それくらいの側妻がいる。筆頭はあとで紹介してやろう。仲良くしておいた方がいい」
「……未婚の男性と聞いていたのですが」
「まだ正室を決めていないのだから、未婚のようなものだろう?」
「……」
自分の妻の人数もわからないのか。なんだか頭が痛くなってきた。たぶんこの人とは根本的に合わない。
「ああ、お前の母親によろしくと言われていてなぁ。学校など通わずにこのまま俺に嫁いでこないか?」
「嫌です」
つい、食い気味に返事をしてしまう。またお母様の言い付けを破ってしまった。
「はは、そうはっきり言うなんて。やはり面白い女だな。俺はこの国の王子で、お前に何不自由させない。しかもこの顔だぞ。一体何が不満なんだ」
図らずも『面白い女』の称号を手にしてしまった。気に入られたくないというのに。その自信満々な態度が気に入らないのだとそのご自慢の顔面に頭突きを食らわせなかっただけ成長したと思う。
アミール王子はソファから体を起こし、こちらに寄ってくる。
「ほら、こっちに座ってもっと話をしよう」
「ちょ、や、引っ張らないでください、ひっ」
結局、ソファに沈められ、すぐ隣に男の気配を感じる。ふわりとスパイシーでどこか甘い香りがして心臓が飛び跳ねた。ここで動揺したら、この男の思う壺なのだ。逃げるが勝ち。平静を装いながら立ち上がろうと足に力を入れた。
「ん? なんだ、この匂い」
強く腕を引かれて、立ち上がることは許されなかった。それと同時にすんっと匂いを嗅がれ、反射的に身構える。この男が人間だとわかっていても、その行為には警戒してしまう。 そして、ハッとする。長時間馬車に乗り、暑い気候の中、汗もかいた。
もしかして、汗臭い!?
「あ、アミール王子、私っ」
「ん、どうした? 急に慌てて」
「私、汗臭いと思うのでもうそれ以上近寄らないでください!」
「汗? ん……? お前も人間じゃないのか?」
「何言ってるんですか? どう見てもけも耳もしっぽないでしょう? それよりも本当に、臭いと思うので、それ以上は!!」
擦り寄るようにアミール王子に匂いを嗅がれ、何かを彷彿とさせるような甘い空気に心臓が大きな音を立て始める。
「いや……では、セリアンテではこういうものが流行っているのか?」
「なんのことだかわかりませんが……本当にそろそろ……」
「口ではそう言いながら、こうもその気にさせるとは。いや、ますます気に入ったなぁ」
「は、はい……? 今のやり取りに気に入る要素ありませんでしたよね……」
「まあ、今日は到着したばかりだからな。このくらいにしておくか。疲れているだろう。近く歓迎の宴を催す予定だ。ゆっくり休むといい」
「……え?」
思ったよりもすんなり解放され、訝しげな視線を送ってしまう。それを何かと勘違いしたように、アミール王子はにやりと口の端をあげた。
「なんだ、一緒に寝てやろうか?」
「け、結構です! もう! リナを呼んでください!」
「ははは、そう言っているのも今のうちだな」
ひらひらと手を振って出ていくアミール王子と入れ替わりにリナが入ってきた。




