22 前途多難です
「一年だけだけど、メーラとの学園生活楽しみだわ! でもその発情の匂いはどうにかしないと大変そうね……」
「そう……ですよね……」
三年間、獣人たちの中で過ごさなければならない。楽しみなはずだった学園生活は途端に不安なものとなる。
頼みの綱の抑制剤は飲み続けることはできず、この体質は制御できないし、「始まるぞ」という前触れもない。
もし抑制剤を飲むタイミングを誤って、男性を誘惑してしまったら……考えるだけで恐ろしい。
「……婚約者が厄介ね」
「え?」
「いえ、なんでもないわ。一年は私やアーヤ、シャルロットがいるからいいけどその後が問題よね……」
ぽつりと何かを呟いたレーヌ様は、考え込むように俯いた。
「……やはりルロワ伯爵令嬢もあの症状がでるのか?」
「ええ」
公爵様の言葉にモニカ様が頷いた。モニカ様と共に過ごしてきた公爵様にはあの呪いはよく知ったものなのだろう。
「先程言っていた人間の婚約者にマーキングを頼むことはできないのか?」
「人間にマーキングが可能か旦那様はご存じ?」
「......いや。人間の情報は少ない。我が国の人間の一族はルロワ家だけだからな……」
マーキングについて、お父様やお兄様に聞いても無駄だろうなと思う。お父様は人間の女性であるお母様しか知らないし、お兄様に至っては、先日の話っぷりからも分かるように、初心で身持ちが固い。まだ見ぬ人間の婚約者に夢を見て、獣人のご令嬢と遊ぶことはない。そこがお兄様の良いところでもあるのだが。
「それに、メーラはその人と結婚したくないのですよ」
私が答える前にレーヌ様が口を挟んだ。私が渋っていたことを覚えていたらしい。できればあの人との結婚は避けたい。しかし、そんなことを言っていられない状況であることも分かっている。
「ふむ……」
公爵様もレーヌ様と同じく考えるように腕を組んだ。皆揃って私の心配をしてくれている。それだけでとてもありがたかった。
「メーラ、私も少し考えてみるわね」
「……ありがとうございます、レーヌ様」
レーヌ様の微笑みに少し安心して、私も微笑み返す。入学まであと数か月。それまでの間に解決策を見つけなければ。
ミュレー公爵家に招待され、伯母であるモニカ様から聞いたルロワ家の呪い『赤い果実』。
人間の私が発情期、ということではなく安心したのも束の間、それよりも、もっと厄介な代物だった。
抑制剤とマーキングが匂い消しに有効だと知ることができたものの、どちらの方法にもリスクがある。
マーキングのほうが身体的に安全そうではあったが、その方法はまさかの……キスで、レーヌ様にぼかされた他の方法というのはキスよりも、もっともっとハードルが高いやつだ、きっと。
こうなったら誰かとキスをしてしまう?
婚約者がいる身で他の人とそんなことできない! という潔癖な自分と、まだ公表してるわけではない上に、私の婚約者様は別の国のお方でここにはいないのだから、学園生活中に一時的なボーイフレンドでも作ってしまえばいいのではないか! と唆す自分が戦っている。しかも一度キスすれば、永遠に継続するという都合のいいことはあるはずもなく、それが定期的に必要だと思うと……
恋愛偏差値が底辺な自分に、お遊びで付き合うなどという高度なことができる気はしない、とため息が漏れる。
ミュレー公爵家から帰ってきた私はうんうん唸りながら、どのように学園生活三年間を生き抜くか、頭を悩ませていた。
そんな時……
「メーラ、あなたはシャマール国に行きなさい」
「……はい?」
領地から帰ってきたお母様から新たな道が示された。
シャマール国……?
婚約者だと紹介されたアミール王子がいる、あの……?
お母様は『赤い果実』について知っていた。もしかしたら、領地の邸宅でモニカ様や、先祖が残した何かを見たのかもしれない。
そして、獣人だらけのセリアンテ貴族院は危ないからとシャマール国の学校への留学を勝手に決めてきたらしい。お父様は眉をハの字に下げて、「よかったな」と笑っている。手続きは完了済み、私に拒否権はない。
すぐにでも出発しなさいとお母様に急かされて、レーヌ様宛てに『シャマールへ行きます』そのひと言だけを手紙に託し、私は荷物をまとめた。
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「殿下!」
ノックもなく勢いよく開け放たれた扉の先には、愛しい婚約者がいた。その後ろからぜぇぜぇと肩で息をしながら追いかけてくるこの城の護衛騎士たち。
美しい令嬢すら止められないとは情けない。鍛え直した方がいいなと遠い目をする。
「どうしんだ、レーヌ」
「殿下! メーラが!」
レーヌの『メーラ』という言葉に、俺の側近であるルシアンは手に持っていた書類をばさばさと取り落とした。いまだにこの反応をするうさぎを面白いと言ったらまた殴られるだろう。だが、からかっている場合ではなさそうだ。
「レーヌ様、メーラがどうしたんですか?」
「大変よ! メーラがシャマールへ行ってしまったの!」
「え?」
折角拾い集めた書類をまた取り落とし、短いうさ耳がピンと立ち上がる。それは俺も聞き捨てならない。
「さっき、手紙が届いたの。シャマールへ行きます、と。恐らくルロワ伯爵夫人が手を打ったのね。シャマールは人間のほうが多いからそちらの方が安全だと思って……」
「人間が安全?」
ルシアンが眉を顰めた。シャマール王国はレーヌが言うように人間の数が多い。だが、それとメーラ嬢の安全がどうにも結びつかない。
俺はレーヌへ話しの続きを促した。
「あっ、そうね……その説明が必要だったわ。メーラのあの発情は体質で、人間には効果がないらしいのよ。だから人間の多いシャマールの方が獣人しかいないセリアンテより安全だと判断したのね……」
あれが体質だとして、人間に効かないのは分かった。しかし、我が国よりも少ないとはいえ、シャマール王国にだって獣人はいる。しかも、メーラ嬢の婚約者だという第四王子にはいい噂は聞かないし、なによりも……
「……嫌な予感がするな。……ルシアン」
「はい、殿下」
「予定を早めてお前も発ったほうがいいな」
「……そうですね」
メーラ嬢がシャマール王国に行くというのは予想外だったが、こちらの計画には変更はない。先日話したことを思い出したように、ルシアンはしっかりと頷いた。




