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21 マーキングって!

「あら、抑制剤飲みすぎ注意の話しよ」


 モニカ様は、ぱちんとウインクをする。

 私はここにレーヌ様がいない理由を察した。今、夫婦の馴れ初めをたっぷり濃厚に聞かされたわけで、娘が聞くには堪えないだろう。これが私の両親の話だったら羞恥に耳を塞ぎたくなる。


「あの時は抑制剤が効いていなかったわ。遠くにいる方にも分かってしまうくらい、漏れ出ていたのです」


 惚気で胸焼けしている私を無視してモニカ様は話を続けた。


「……なぜ公爵様は平気だったのですか?」

「ふふっ、旦那様は強靭な忍耐をお持ちのようで、あの時は私の匂いにやられないように必死だったようですわ」


 モニカ様は「可愛らしい旦那様」と言いながらうっとりと微笑んだ。


「そこで、抑制剤を飲み続けることはできないと知りました。しかし、これは獣人にとっては常識だったようですね。抑え過ぎると効かなくなる。そういうものだと旦那様に教えられました。私は獣人について疎かったので、そのことを全く知らずに薬を飲み続けてしまったの。しかも、私の身体にも異変が起きました。抑えが効かないような開放感に襲われて、旦那様に助けてもらわなかったら何をしていたかわからないわ。そうね……副作用のようなものかしら」


 抑制剤については、ここだけ聞けばよかったのでは、と思ってしまったがモニカ様が楽しそうなのでそれは言わないことにした。

 副作用と聞いて少し身構える。


「獣人たちは発情の気配も自覚症状もあるようだから飲むタイミングを調整できるけど、私たちはそうではないわ。薬は周りの男性の様子がおかしいなと思ったときに即効性のあるものを飲むようにしたほうがいいわね」

「……はい、わかりました」

「あ、でも、この抑制剤を使わなくてもよい方法があるのよ」

「!!」


 不安定で不確かな薬に頼るしかないのかと思っていたところに、まさかの朗報だ。これはしっかり聞いておかねばならない。


「それはね……」


 ごくりと唾を飲み飲んだ。やけに焦らしてくるモニカ様に私はじりりと前のめりになる。


「それは、マーキングです」

「……マーキング?」


 マーキングとは、動物が縄張りなどを示すために用いるあれだろうか。

 動物であれば、尿をかけたり、身体を擦り付けたりするのがそれだ。しかし、獣人たちは獣よりも人の部分が大きい。そんなことをするとは思えない。

 だとすると、マーキングとは私の知ってるものとは違うということだろうか。私が考え込んでいると、モニカ様がにっこりと笑う。


「また、旦那様との話で悪いのだけど、私たちはそのパーティの日を境にお付き合いを始めたの。旦那様も私のことを好きだったのよ! あんなに無愛想で、冷たかったからまったく気が付かなかったわ。それでね、旦那様からマーキングしてもらったら、なんと匂いが消えたと言うのです! それからは常にマーキングしてもらうことで、『赤い果実(ホズ・エペル)』の症状はほとんど出なかったわ」

「ま、待ってください。マーキングとは具体的に……?」

「ああ、そうよね。メーラも人間ですもの、知らないわよね」


 うんうん、とモニカ様ひとり納得したように頷いた。


 そこへ……


「メーラ!」


 遠くから私を呼ぶ声がする。そちらに顔を向けるとレーヌ様がカツカツとヒールの音を響かせて大股で近づいてきた。


「お母様、酷いです!」

「あら、レーヌ遅かったわね」

「遅かったわね、じゃありません! メーラが来るという時に、あれやこれや頼むなんて! 私がメーラをおもてなししたかったわ!」


 ぷくっと頬を膨らませるレーヌ様が普段は大人っぽいのに、少し幼く見えて可愛らしい。

 どうやら、モニカ様の策略によりレーヌ様は遅れて到着したということのようだ。

 そして、ぷりぷり文句を言っているレーヌ様の後ろに、大柄な男性がいた。この国の王様や王太子殿下、そしてレーヌ様と同じ輝く金髪と深い緑の瞳を持つ男性。


「レーヌ、お母様も理由があったのだろう」

「もう! お父様はいつもお母様の味方ですものね」

「ふふ、レーヌ、許してちょうだい。旦那様、お待ちしてましたわ」


 私は慌てて礼をする。この方がレーヌ様のお父様で、モニカ様の旦那様、ミュレー公爵様その人だ。


「公爵様、本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「ルロワ伯爵令嬢、ようこそ、いらした。形式的な挨拶は結構。レーヌと仲良くしてくれて、さらにはモニカの話し相手になっていただき感謝する。今日はモニカから言われ、城下町で評判の焼き菓子を届けにきただけだから。私はすぐにお暇するよ。そう畏まらなくてもよい」


 公爵様はモニカ様が話していた通りの人だった。抑揚の少ない言葉と低い声。髪を後ろに撫で付けて、きりっと上がった眉と、切れ長の瞳。整ったお顔は同じだが、王様よりもクールで知的な印象の男性だ。レーヌ様の性格はモニカ様似、見た目は公爵様似だなと、私はこっそり分析した。


「旦那様ったら、本当に丁度いい時にいらしたわ。メーラが獣人のマーキングを知らないって言うの。少し教えてあげたいのですけど……」

「……それは」

「いつものようになさって」


 モニカ様は公爵様の胸元に擦り寄る。背の高い公爵様を見上げながら、彼の頬を撫でた。急にぶわっと濃厚な空気が広がって、私は見ていてもいいものなのかと慌ててしまう。

 レーヌ様に目を向けると、『いつものことよ』と口だけを動かした。


 公爵様はモニカ様の手を掴むと自分の後頭部へ導き、体を寄せる。そのままゆっくりと口付けを落とした。


「っ、……え」

「メーラ、これが獣人のマーキングよ」


 少しずつ深くなる口付けから目を逸らすとレーヌ様が私に耳打ちをした。


「相手の体内に自身の体液を入れることによって、匂いが移るの。そうして、自分のものだと示すことができるようになる」

「マーキングって、まさか……」

「他の方法もあるけど、これで真っ赤になるメーラにはまだ早いわね」


 レーヌ様がぱちんとウインクする。やはり母娘だ。


「これでお母様の身体にはお父様の匂いがついたわね。私にも感じるもの。二人は同じ匂いがする」


 レーヌ様に言われて私も匂いを嗅いでみたがさっぱりわからなかった。


「で、メーラはなぜマーキングについて知りたかったの?」

 レーヌ様がこてんと可愛らしく首を傾げた。

「私の発情……の匂いを消す方法があると聞きまして……」

「……なるほど。それがマーキング……そう、それはいいことを聞いたわ」

「え?」

「ところでメーラには意中の方や婚約者はいるのかしら?」

「ええっ?」

 公爵様との濃厚なマーキングを終えたらしいモニカ様がつやつやの笑顔でこちらを見ている。


 意中の人という言葉に、真っ先にルシアン様の顔が浮かんだが、急いで振り払う。

 そんな私を見ながら、モニカ様はくすくすと笑っている。


「婚約者として、紹介された人間の男性がいます……」

「人間……ですか。そうね、ミリアンはそうするでしょうね……ごめんなさい。人間でもマーキングができるのかは、私も分からないわ」


 もし人間でも可能だとしても、あの人とこんなことはしたくないと思うのは贅沢なのだろうか。

 これはしばらく抑制剤で様子を見るしかないなと思った。


「メーラはこれから入学が控えているでしょう?」

「……にゅう、がく?」

「十六のお披露目が済んだのだから、これからは寮生活でしょう?」

「寮、生活……」


 レーヌ様とモニカ様の言葉に私はしばし放心した。

 すっかり忘れていたのだ。これから学園に入り寮生活を送らなければならないということを。


 この国の貴族は皆、十六歳を迎えるとひとつの学校に入学する。

『セリアンテ貴族学院』

 国のことを学び、貴族としての教養を身に付ける。正式に社交界に出る前の練習でもある。

 そして、ここでは三年間、寮に入り共同生活を送ることになる。


 学園生活と聞いてわくわくしたものだ。早く十六歳を迎え、沢山の獣人の、もふもふの友達を作りたいと。

 こんなことになる前はうきうきわくわく獣人たちとのもふもふ学園生活のはずだったのに……

 このセリアンテ王国にはルロワ家以外には人間がいない。私の匂いに感化される獣人しかいない学校で過ごさなければいけないという事実を私はすっかり忘れていたのだ。



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