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18 赤い果実

「貴方がメーラね……会いたかったわ」


 緑の匂いに包まれた日当たりのいい庭園に案内され、大きなアーチをくぐったところにその人はいた。

 太陽の光を浴びてキラキラと輝く赤い髪は長く美しく波打ち、金色の瞳は濃い蜜を垂らしたかのよう。その見た目は私を少し大人にしたような雰囲気で、彼女を見て、自分も将来有望だと我がことながら嬉しくなった。


「レーヌの母、そして貴方の伯母のモニカです」

「ミュレー公爵夫人、初めまして、メーラ・ルロワと申します」


 丁寧で美しいお辞儀と、鈴の音のような声からは、兄が言った『恐い人』のイメージがちっとも結びつかない。私が慌てて礼を取ると、彼女は陽だまりのように優しく笑った。

 

「あら、やだわ。私は貴方の伯母さんなのだから、気軽にモニカと呼んでちょうだい」

「も、モニカ様」


 レーヌ様という子供がいるとは思えない美貌とスタイル。笑顔は可愛らしいが、その中には高貴さを滲ませており、口を開くのも緊張する。彼女の穏やかで、洗練された動きに目を奪われていた。公爵家の妻とはこういう人なのだと実感する。


「ふふ、緊張しているの? あ、レーヌがいないからかしら? ごめんなさいね。彼女は少し遅れてくるわ。先にわたくしとお話しましょう」

「はい、モニカ様」


 私の顔が強張っているのに気が付いているのだろう。モニカ様はにこにこと笑顔を絶やさず、話しかけてくれる。そのおかげで少しずつ緊張はほぐれていく。やはり『恐い人』なんていうのは、所詮噂なのだ。モニカ様自ら淹れてくれた紅茶を飲み、一息つく。彼女も同じように紅茶に口を付けると、すっと私を見据えて、話し始めた。


「会うのがこんなにも遅くなってしまってごめんなさい。聞いているかわからないけど、わたくし、ルロワ伯爵夫人に嫌われていましてね」

「……!」


 それは聞いたことがなかった。モニカ様の存在をメーラが十六歳(この年)になるまで知らなかったのだから、何か理由があるのだろうと思っていたが……お母様が彼女を嫌っている……?


「メーラのお母様は、人間であることを、それはそれは誇りに思っているでしょう?」

「はい、そうですね……」


 あなたの婚約者よ、と人間の男性を会わせてきたお母様の顔が浮かんだ。私の心配よりも先に、人間の男性との関係を心配してきた母の顔が。


「あら、その顔は……それで何か嫌な目に遭っているのかしら」

「い、いえ、そんな……」

 

 つい寄ってしまった眉間の皺をぐいぐい伸ばして、モニカ様に笑顔を向ける。


「ふふ、遠慮はなしよ。わたくしはきっとメーラの力になれるわ」

「モニカ様……ありがとうございます」


 思いがけず優しい言葉をもらって、つい彼女が母親であればよかったのにと思ってしまった。


「……ミリアンは獣人に嫁いだ私が気に入らないの」


 モニカ様はお母様の名前を口にして切なげに笑った。


「私が適齢を迎えた頃は、まだ人間との縁談が沢山あったわ。異国から嫁いできたミリアンにはルロワ家しかなかったようだけど……彼女がルロワ家に嫁いできて、私はとても嬉しかったの。家族以外の同性の人間と関わることなんてほとんどなかったから、正直弟よりも私の方が仲良かった思うわ。彼女も私のことを本当の姉のように慕ってくれて……私も彼女のことを妹のように思っていた。でも、ミリアンがルロワ家に慣れてきた頃、私は今の旦那様、当時はミュレー公爵令息だった彼との、子を身籠ったの。結婚はおろか、婚約もまだだったし、何よりも人間ではなくて獣人の男性を選んだ。それがミリアンにとって信じられないことで、裏切られた気持ちになったのでしょうね……」


 人間は結婚してから子を作るのが普通だけど、獣人たちはそれが前後することを何とも思わないのよ、とモニカ様が補足した。


「ミリアンは人間と結婚するために家出同然で、国まで捨ててルロワ家にきた。それなのに、選り取りみどりで人間との婚姻を選べるのにそうしなかった私が憎かったのでしょう。私は妊娠が発覚してすぐにルロワ家をでて、それからは一切連絡を取れなくなってしまって……貴方が生まれたという噂は聞いていたの。でも全く表にでてこないから、なかなか会えず、会いに行くことも許されず、こんなに時間が経ってしまった」

「モニカ様……」

「メーラの前で言うのもなんですけど、弟のマルクは気が弱いから、ミリアンの味方についてしまうしね」

「ふふ、そうですね」


 お母様の言うことに、眉を下げて笑って頷くお父様。モニカ様が指で下がり眉を作り、お父様の真似をしながら私を笑わせてくる。モニカ様はお茶目な一面もあるようだ。少し気の重くなる話だったため、和ませようとしてくれているのだろう。


「早く貴方に会わなければいけなかったの。ルロワ家の血がきっと貴方を苦しめてしまうから……」

「え?」


 モニカ様が急に真面目な顔をして、私を見つめてくる。ぞわりと背筋を悪寒が駆け抜けた。


「レーヌに貴方の話を聞いて、無理にでも、もっと早く会いに行けばよかったと後悔しました。……よく今まで無事でいてくれましたね」


 カチャッとカップが音を立てる。モニカ様の温かな手が私の手を包み込んだ。


「『赤い果実(ホズ・エペル)』」

「え?」

「やはり聞いたことはない?」

「ありません……」

「……弟も私の手紙を読んでいないのね」

「申し訳ありません……」

「あら、メーラが謝ることじゃないわ」

「貴方の身に何かある前に、こうやって会えたのですもの」


 聞きなれない言葉で不安になったが、モニカ様の温かな手に力が籠り、私は不安を拭うようにこくんと頷いた。


「……モニカ様、『赤い果実(ホズ・エペル)』とは何なのでしょうか」

「これは、……ルロワの呪いとでも言うのでしょうね」

「呪い、ですか?」

「貴方の発情の症状はそれのせいよ」

「え!?」


 原因はまさかの呪い。耳も角もしっぽもなくて、あったのは呪いでした……

 くらりと気が遠くなった。まさかこれが呪いだなんて。その恐ろしい響きにどきどきしているが、モニカ様はこの呪いに詳しそうで、まだ諦めるには早い。


「これはルロワ家の女性にだけ起こることなの。だから、ルロワ家に女の子が生まれたら、すぐに私へ連絡しなさいと、弟に言い聞かせていたのに……なによりも、私もそうでしたから……」

「モニカ様も……?」

「ええ。獣人の女性の発情時のような、獣人の男性を誘惑する匂いを発するようになって、見境なく惹きつけてしまう」

「あっ」


 モニカ様が口にしたことは、まさに今私が困っていることだった。


「心当たりがあるでしょう」

「……はい」

「『赤い果実(ホズ・エペル)』は私たちには自覚症状がないのが問題なの……いつ始まったのかわからないから事前に対策もとれないし、いつ男性を惹きつけてしまっているのかもわからない。最初はなんだか獣人男性が私のことを見てるわ……? くらいでね。モテ期かしら? なんて普通に過ごしていたら、パーティ中に空き部屋に連れ込まれちゃってね。思いっきり頭突きしてやったわ」


 拳を作って、ふふふと可愛らしく笑っているが、少しどこかで聞いたような話で、私はちょっと笑えなかった。そしてモニカ様が『恐い人』と言われる所以を垣間見た気がした。


「今は平気なのですか?」

「ええ、もうすっかりなくなったわ。これから対策を説明するわね」

「!! はい! お願いいたします!」

「それでは、まず一つめ、これは人間の男性には効果がない」


 ルロワ家の先祖はお母様のように人間であることを誇りに思っていて、他の血が混じることを嫌っていた。近親婚や人間同士の結婚を繰り返していたが、ある時、突然変異のように、獣人だけを惹きつける娘が生まれるようになったという。

 獣人との結婚を促すように獣人だけを魅了する。まるで獣に食べられることを待つ果実のようだとしてその症状の出る娘を『赤い果実(ホズ・エペル)』と呼ぶようになった。人間の男性には一切効果がなく、獣人たちを繁栄させるため存在しているようだった。


 初めのうちは『赤い果実(ホズ・エペル)』を王に献上していたが、だんだん王族の力が強くなるにつれて、彼らも直接人間の血が混じるのを嫌い、ルロワ家の娘が王に嫁ぐことはなくなった。

 その頃から私たち人間は繁栄の象徴になったようね、とモニカ様が微笑んだ。


「二つめ、獣人が飲む抑制剤も効くけど、飲み続けることはできない。溜め込みすぎると大変なことになる」

 薬が効くということがなによりも朗報だった。それだけで、大分生活が楽になるのではないか。しかし、飲み続けることができない上に、大変なことになるというのはいったい……


「恥ずかしいのだけど、わたくしの経験談をお話しましょうね」


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