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14 あなたがうさぎだから?

「……っ」

「……」


 ルシアン様は失礼します、と言いながらさっきから縮まらなかった握手の距離を軽々超えてくる。整った顔が近づいてきて、すんすんと匂いが嗅がれた。私はただドキドキしながら結果を待つしかない。


「あ、あの、ルシアン様? 私、臭くないですか」


 動いたら触れてしまいそうで、息をするのも躊躇ってしまう。なかなか結果を言ってくれない彼に我慢の限界だった。もしかしたら、臭くてなんて言おうか悩んでいるとか……? 痺れを切らして、声をかけた。


「っ、臭いどころか……、めちゃくちゃいい匂いがします」

「え?」


 拳一個分。より近くなった距離に反射的に身体が強ばった。


「る、ルシアンさ、ま……っ、あっ!」


 次の瞬間、背中に柔らかな感触と、ひんやりしたシーツの質感。


 私は今、柔らかなベッドに沈んでいる。強めに押え込まれていて、身動きがとれない。慌てて見上げると熱を帯びた視線とぶつかった。

 瞬時にわかる。彼もまた、私の何かに影響を受けてしまったということが。しかし、今までのお見合いの時のような恐怖はまったくない。

 彼がうさぎだから? 肉食動物ではないから、恐怖がないのだろうか。

 そんなことを考えながらも、心臓はどんどん鼓動を早め、胸が苦しい。

 私を見下ろすルシアン様の可愛らしい顔が、今はなんだかとても男らしくて、かっこよく見えて……逃げなければと思うのに、心臓がきゅうっとなって、ばくばくして、この状況に自分が高揚しているのがわかる。だんだん頭がくらくらしてきて、思考が上手くまとまらない。


「メーラ、すみませんっ。は、ぁっ、叫んでっ」

「え? ルシアン様……?」


 その言葉は彼のなけなしの理性が絞り出したものだったのだろう。私の顔の横のシーツを握りしめて、下唇を噛んでいる。

 耳がぺたんと下を向き、苦しそうにしている姿を見て、助けを呼ばなきゃ、そう思うのに声が出ない。これは恐怖とは違う何かだ。

 彼が噛みしめている唇が痛そうで、自由に動く左手をそこに伸ばした。このまま触れたい、触れて欲しい。我慢しないでと言いたい。


「はぁっ、く……っ」

「あ、ルシア、ンっ、さ!? ひぁっ」


 大きく息を吐いた彼が倒れ込むように私に重なった。あっ、と思った時にはかぷりと首元に噛みつかれ、ぴりりと痛みが走る。反射的に小さく悲鳴が漏れた。


 私は今何を考えていた?


 ぼんやりしていた思考が痛みによって戻されていく。このまま身を任せていいわけがない。ルシアン様だけでなく、レーヌ様や殿下にも迷惑を掛けてしまう。やっと意識がはっきりしてきて、おかれている状況が危険なものだと気付く。

 何をうっかり空気に流されているんだ。自分に喝を入れながら必死に抵抗する。


「ルシアンさまっ、だめっです……!」


 完全に理性を失っているように、荒い呼吸を繰り返しているルシアン様の胸元を、強く押し返すがびくともしない。小柄だと思っていたが、それは大柄な殿下や背の高いラス様と並んでいるからで、女の私からしてみたら、全然大きい。当たり前のように重いし、力も強い。でもやっぱり、他の獣人男子のように恐いと思うことはなく、彼の熱の心地よさを感じてしまう。

 「メーラ」と甘く耳元で囁かれ、私の身体がひくりと反応し、再び首元に熱い何かが触れた。


「ルシアンさま……っ」




 ぞわぞわと背筋を上る痺れに、目をぎゅっと閉じた時、ガチャリと扉の開く音がした。


「おや、これはこれは」

「殿下! のんびりしてる場合じゃありません! 早く止めなければ!!」

「あ、ああ、そうだな。おい、ルシアン! そこまでだ!」


 ルシアン様の向こうから殿下とレーヌ様の声が聞こえて、助かったと安堵する。


「っ、殿下……?」

「ルシアンこれを飲め」

「んっ」


 ルシアン様は殿下によって私の上から退いていき、すぐに口へ錠剤が放り込まれている。私はその様子をレーヌ様に抱き起されながら見ていてた。


「メーラ大丈夫!? ごめんなさいね、助けるのが遅くなって」


 ぼーっと放心状態の私の背中をレーヌ様の手がさすってくれている。彼女は申し訳なさそうに耳を垂れた。


「あ、い、いえ……大丈夫です! 何も起きてませんから……」

「……ちっとも大丈夫そうには見えなかったわ! ……本当にルシアンに何もされてないかしら!?」


 私は何かされたのだろうか。殿下にばしばしと背中を叩かれているルシアン様を見ながら、今起こったことを思い出していた。レーヌ様は私のドレスの乱れを確認している。


「ルシアン、大丈夫か?」

「殿下……」

「とりあえず、抑制剤飲ませたが効いてきたか?」

「……はい」

「ふぅ、良かった。そんなふうになるとは……お前も男だったんだなぁ」

「なっ!」

「フィリベール様! 呑気なこと言っている場合じゃありません! もう! 殿方は出ていってくださる!?」


 レーヌ様の怒声が飛び、殿下と少し落ち着いたらしいルシアン様が慌ててベッドルームから出ていった。


 レーヌ様は今にも泣き出しそうな顔をしている。確かにベッドに押し倒されはしたが、それ以上何も起きていない。私はまったくの無傷である。それにすぐに助けを呼ばなかった落ち度もある。彼はちゃんと限界を告げていたのに。


「っ、……ごめんなさい……」

「え?」


 何かに気が付いたらしいレーヌ様は悲しそうな顔をしながら、持っていたハンカチを私の首に巻いてくれた。


「あっ」


 そこは、ルシアン様が私に触れた場所。


 鏡を見ていないからどうなっているかはわからないが、そこを想像しただけで、さっきまで起きていたことが鮮明に蘇ってきて、平静を保てなくなってしまう。


「こ、これは……」


 一気に顔が熱くなって、心臓がどきどきしている。

 私はあの時何を考えていた? 甘い囁きに身を任せたくなっていたのでは?

 ルシアン様に触れたい……触れられたいと思った……

 これでは、さっきレーヌ様が言っていた『発情』の症状そのままじゃないか。


「本当にごめんなさい。私のせいであなたのことを危険な目に合わせてしまって……」

「いえ……これは私のせいですから。こうなる前にルシアン様はちゃんと言ってくれたんです。でも私が……」

「恐かったでしょう?」

「いいえ、ルシアン様は私を傷つけないよう、ずっと耐えてくれていて……私がちゃんとしなかったから」

「メーラ……ルシアンと殿下にはのちほど罰を与えるわ。もちろん私にも」


 レーヌ様は大きな瞳に涙を溜めていた。こんなにも心配させてしまった自分が情けない。このことをお願いしたのは私で、こうなってしまったのも私のせい。罰が与えられるならば私の方である。ルシアン様の身も危険な状態にしてしまったのだから。


「っ、いえ! 本当に、大丈夫です。なんともありませんし、罰を与えられるならば私の方です。私がルシアン様に触れたいと思ってしまったことが、そもそもの原因で……っ」


 口から出た言葉を取り戻すことはできない。恥ずかしいことを言ったと自覚したときにはレーヌ様のキョトンとした顔がだんだん笑顔に変わっていった。


「……メーラ」

「……レーヌ様、今のは聞かなかったことにしていただけませんか……」

「それは無理な相談ね。聞いてしまったわ。でも大丈夫。私はあなたの味方よ。もし本当に、ルシアンが良いと思ったのであれば……」

「いやいやいやいや、そんな、滅相もありません! 私がルシアン様を、そんな……!」

「あら、なぜかしら。彼の家系は血を重んじていないわ。そもそも人間の娘が家に入ることを拒む家なんてこの国にはないけれど」

「そう、なんですか?」

「ええ。あなたの家の血は貴重なものだから。それにルシアンには婚約者はいないから安心して。なんだったら今回の責任を取らせるって言えば拒否権はないわ!」

「れ、レーヌ様、落ち着いてください」


 彼女はいつの間にか目をキラキラと輝かせて、ルシアン様の逃げ場を無くす算段を立てている。


「……でも、あなたの婚約という問題があったわね」

「あ、そう、でした……」


 しゅんと耳を垂らしたライオン女子は、うーんと唸りながら、何か考え込んでしまった。

 私の方はうっかり人間の婚約者様のことを忘れていた。あとなんだか、私がルシアン様を……好きということで話が進んでいる気がする。さっきのあれは彼がうさぎさんだから、恐さがなくて、それに安心してしまっただけだ。

 まだ好きと言えるほどに彼のことを知らない。


「ルシアンもその気ならあっという間に解決できそうだけど、彼真面目だから……」

「?」

「さて、この後どうしましょう。メーラの発情状態に薬が効くか試す必要があるようなんだけど」

「あ、そうでした……」

「そういえば、ルシアンは大丈夫かしら……」


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