13 一旦落ち着きましょう
「……」
「……」
私とランヴェール卿が放り込まれたのは、ベットルームだった。ティールームに併設された休憩場所のようだ。もしかしたら、パーティ中に休憩と称してそういうことに使う部屋かも、なんて考えてしまったのがいけなかった。薄いカーテンから透ける光がベッドを照らし、室内の陰影がどこか色っぽく見えてしまい変にドキドキしてきて落ち着かない。
私と彼はベッドの隅から隅の距離。お互いに一歩も動けないまま無言の時間が過ぎていく。
「「あの」」
何か話さなければ、そう思って出した声は、またもランヴェール卿と重なってしまう。
二人で「お先にどうぞ」と譲り合い、再び沈黙が流れている。
「あ、ルロワ伯爵令嬢。あの後、体調は大丈夫でしたか?」
『あの後』が何を指しているのかは直ぐにわかった。彼の前での数々の失態とその後倒れたことについてに違いない。
「っ、は、はい。ご迷惑をおかけしました。運んでくれたようで、ありがとうございました」
彼からあの話題を出してくれ、すんなりと謝罪することができた。これで一つ、肩の荷が下りた気分だ。
「いえ、お気になさらず。疲れが溜まっていたのでしょう。それにあんなこともありましたから……」
「そう、ですね……」
ああ、きっとアミールとのことを言っている。あの恥ずかしい一件についてはどうか忘れて欲しかった。
「ランヴェール卿!」
「はい」
「私の、その、ず、頭突きについてなんですけど」
急に大きな声を出した私に、ぴしりと姿勢を正すと彼はきょとんと私の顔を見た。そして、肩を震わせて……堪えきれなかったようにぷっと吹き出す。
「……あははは! すみません。思い出してしまいました」
「なっ! それ、すぐに忘れてください!!」
「ふふ、見事な頭突きでしたよ?」
「ああああ、恥ずかしい! どうか今すぐにお忘れください!」
ぶわっと顔が熱を帯びる。こんな恥ずかしいことは今まで生きてきて一度もなかった。
涙を滲ませながら爆笑するうさ耳男子に、むっとしながらも、こんなに笑ってくれるならもういいかと思う自分もいる。
「ははっ……はぁ、こほん、それで、『悩み』とは今のことですか? 大丈夫です。誰にも言いませんよ」
「あ、う、それはそうしていただけると嬉しいのですが、それが本題ではなく……って、え? 本当に聞いてくれるのですか?」
「おや、私がそんなに薄情な男に見えましたか?」
「いえ! そんな……!」
「ラスには、相談するつもりだったのですよね? 私では不足ですか?」
笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら、彼は真剣な顔つきになる。いざ伝えなければと思うと、どうにも緊張してしまう。
「そう、なんですけど……その、私の身体の、ことなんですが……」
「からだ?」
ランヴェール卿はまたもや、きょとんと目を丸くする。もう今言うしかない。解決策を見つける機会はもうないかもしれないのだから。
「はい。私が、あの、は、発情してるのか確認してもらいたくて!」
言った。言ったぞ。発情って口にするのってめちゃくちゃ恥ずかしい。でももう言った。あとはどうにでもなれ! である。
「……は? は!? は、発情!?」
大声で私の言葉を繰り返した彼はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「ええ! 発情です! その、私の匂いを嗅いでくれませんか?」
「に、匂いですか!?」
「そうすれば、発情しているかどうかそれでわかると聞きまして」
「え、いや、そうかもしれませんが……ルロワ伯爵令嬢の、その、自覚症状とかそういうのは?」
彼の赤さに釣られるように私も全身が熱くなってきた。なんで彼がこんなに照れているのだ。この麗しい見た目、さぞモテていることだろう。発情だって経験があるはずだ。勝手な憶測だけど。
それなのに、こんなに初心な、まるでまったく経験がないような反応をされたら、私はどうしたらよいのだ。
「自覚症状はないのですが、今まで何人かの男性をその、ゆ、誘惑してしまって……」
「……っ」
これ以上ないくらいさらに真っ赤になったまま動かなくなったランヴェール卿に、私の上がった熱がさあっと冷えていく。
やはり迷惑だったのだ。冷静に考えれば、今からあなたの理性を試しますとでも言っているかのようで、とんでもなく恥ずかしい。そのうえ、これがなんでもなかったら自意識過剰もいいところである。
「あ、す、すみません! やはり、ご迷惑ですよね! 私からラス様に交代できないか聞いてみます。フィリベール殿下へは私のほうからお願いしてみますね! そう、ラス様は安全だと聞きましたから! あ、あ、決してランヴェール卿が危ないと言っているわけではなくてですね、あああ、でも、それ以上は近寄らないほうがいいと思います! 何かあるといけませんから!!」
私がぐるぐるしながら色んなことを捲し立てていると、固まっていたランヴェール卿は、口元を隠したまま、ふふふと笑い出す。
「ルロワ伯爵令嬢、落ち着いてください。大丈夫です。あなたの許可なく、これ以上近付きませんから」
「そ、そういうわけでは!」
「……」
「ランヴェール卿?」
笑顔がぱっと消え、じっと顔を見つめられている。頭の上のお耳が少しずつ後ろに下がっていく。
「私のことも、ルシアンと呼んでください」
「っえ?」
「殿下のことも、ラスのことも名前で呼ぶのに、自分だけ呼ばれないのはなんだか……私にもルシアンという名前があります」
ぷいとそっぽを向きながら、やや拗ねた様子に胸がきゅっとなった。か、かわいい。
「……ルシアン様?」
「……っ! はい、メーラ」
「っ!」
短めのお耳がピンと立ち上がり、ふわりと花が咲くように笑顔が向けられて、私の心臓は口から出るかと思うくらい大きく跳ねた。
「あ、すみません。勝手に呼び捨てにして!」
「い、いえ。構いません。呼んでいただけて嬉しいです」
名前を呼びあって、それだけでお互い真っ赤になって、まともに顔を見ることもできない。
「……」
「……」
せっかくほぐれた空気が、また緊張感のあるものになってしまった。沈黙が流れる中どうするべきかと悩んでいると、ルシアン様がこほんと咳払いをした。
「え、っと私が確認してもよろしいでしょうか」
「え?」
「あなたが発情しているかどうか、私が確認してもいいですか? そう、ですね。私も比較的安全なほうだとと思いますよ。だいぶ理性があります。あ、うさぎの中では……なんですけど。それに、扉の向こうには殿下もラスもいます。鍵もかかっていないので叫べばすぐに助けがくるでしょう。だから……」
真っ赤になりながら必死に安全性をアピールする姿にまた、胸の奥がきゅっとなる。だんだん耳が後ろに倒れていきそうになって、早く返事をしなければと思った。
「はい……お願いします」




