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10 執務室にて

 執務室内には、紅茶の香りが漂っている。


 通常この時間に出てくるのはコーヒーだが、今日は婚約者のレーヌが城内でお茶会を開いている。レーヌに、俺もお茶会に出席したいと頼んでみたが「フィリベール様、今度のお好みは草食動物じゃなくて人間ですか?」とそれはそれは冷ややかな笑みを頂戴したので、諦めて、男しかいないむさ苦しい執務室の椅子に座っている。

 俺への配慮なのか、俺が本当にお茶が飲みたいだけだと思ったのか、はたまたお茶会には近づくなという牽制なのかはわからないが、お裾分けという名目で高級な茶葉と甘い菓子がこの執務室にも届いた。

 紅茶を飲むのであればぜひとも美しい女性との時間を楽しみたかったのだが、つい最近、草食動物のご令嬢との逢瀬がバレて、怒ったレーヌのご機嫌取りが済んだばかりなので、ここは大人しくしているほかない。


 香りのいい紅茶を啜りながら、手元の書類にサインを入れて隣の男に渡す。……いつもなら数枚サインするだけで飽きてしまう作業だが、今日は違う。


 俺の作業を台無しにする男がいるのだ。


 王子である俺を目の前にして心をどこかに飛ばしているこの男。グレーで短めの立ち耳が女子についていたら、確実に俺のタイプだったであろうルシアン・ランヴェールは手元のペン先からポタポタとインク溜まりを生み出している。

 ルシアンが書いた書類にサインして返却し、ルシアンが確認するという作業だから、俺はのんびり茶を啜り、菓子を食べる程度には余裕があるが、このままでは終わるものも終わらない。

 しかし、ルシアンがこんなに使い物にならない時は滅多になく、新鮮で、面白もの見たさに放っておいていた。


 ルシアンは俺の側近である。次期宰相だと噂されるこの男は、先祖がうさぎで草食動物ながら公爵まで上り詰めたランヴェール家の長男だ。ランベール公爵はとても賢明で、今も王である父のもとに仕えている。歳が同じということで紹介された息子のルシアンも父親に似て大変優秀で、俺はすぐに気に入った。

 そんなルシアンとは幼い頃から一緒にいるが、そんな俺ですら、彼の浮いた話を一切聞いたことがない。俺に寄ってくるご令嬢の一人や二人、三人や四人、手を出していたってなんら不思議ではないというのに。

 見た目が悪いのかと言われるとまったくそんなことはなく、学園にいた頃から大変人気であった。

 大きな瞳が特徴の甘い顔立ちに、グレーのうさ耳。本人に言うと怒られるが、可愛いという言葉が真っ先に出てきてしまう容姿。年上女性からの人気は今も健在。やや小柄な身体は女性たちを安心させる。性格は面倒見がよく、明るいし、温厚で紳士。家柄もよい。これでモテないわけがない。あの頃は肉食動物のご令嬢に追われている姿を何度も目撃しているし、俺よりもルシアンがタイプだというご令嬢も山のようにいた。

 上位貴族は肉食動物を先祖に持つものが多いから、他の獣人に比べたら小柄に見えてしまうが、俺の護衛を兼任しているから、ちゃんと鍛えられており、頼りなさは一切感じない。頭もよく、執務もテキパキこなし、俺の無理難題にも……文句は言うがしっかり応えてくる。

 俺が認めるくらい完璧だというのに、なぜ女性の影がないのか不思議だった。歳は同い年であるから、二十。そろそろ結婚も考える歳だ。俺にはすでにかわいいかわいい婚約者がいるというのに。


 未だに婚約者も恋人もいないルシアンを心配しているのは俺だけではない。


「ルシアン? おーい、ルーシーアーン? こほん、ランヴェール卿?」


 新しい書類を持ってきた男が、ルシアンの顔の前でひらひらと手を振り、ポタポタとインクを落とすペンを取り上げた。そして、まるで意味がわからないとでもいうように顔を顰めながら話しかけてくる。


「殿下、この男どうしたんです?」

「ああ、ラス、もうご令嬢は到着したのか?」

「ええ。先ほど案内が済みました。で? ルシアンは何を呆けているんですか?」


 侍従であるラスティンは、歳が一つ上で、学園では俺たちと行動を共にしていた。そのため、ルシアンのモテている様子と女っ気のなさをよく知っている。この男もまたルシアンの将来を心配しているひとりだった。


「ここのところずっとこんななんだ。困ったもんだろ。これなら俺がお茶会に参加しても変わらないと思わないか?」

「……まだ諦めてなかったんですか。それはレーヌ嬢が否を出したのですから、いい加減折れてください」

「はぁ、分かってるさ。だからこうして、男と茶を飲んでいるんだろう。ああ、そうだ、ラス。レーヌは今日何色のドレスだった? 青か? それとも、この間買った赤?」

「どうせこの後レーヌ嬢には会うんですから、そんなのその時に直接確かめてくださいよ。殿下、本当は何が聞きたいんですか」

「ははは、そんなのもちろん、今日のお茶会の参加者についてに決まっているだろ」

「殿下も懲りませんねぇ」

「なに、この話題に興味があるのは俺だけじゃないぞ」

「え、どういうことですか」

 

 ラスは俺に近い性格をしている。この手の話題は大好物。興味津々、キラキラした目でこちらに詰めてくる。


「ふふふ、聞いて驚け。ついにルシアンに春が来たのだ」

「え!?」


 バッと音がするほど勢いよく、ルシアンに振り返るが、見られている本人はティーカップを手に持ったまま固まっている。


「えっ、殿下。それ、詳しく。相手は誰です?」

「聞きたいか? いいだろう。なんと! ……お前がさっき案内したご令嬢だ!」

「えっ!? まさか人間の!?」

「ああ」

「メーラ嬢! ですか!?」

「っ!!」


 ラスがわざと人間のご令嬢の名前を大きめの声で口にする。その名前を聞いて明らかに動揺したルシアンはお茶を吹き出しむせている。


「「ふっ」」


 ラスと顔を見合せ、二人で吹き出す。


「見たか、あの動揺っぷりを」

「ええ、見ました。これは本当っぽいですね。ついにルシアンが……」

 

 ついこの間、メーラ嬢のお披露目パーティに参加してからというもの、ルシアンはずっとこの調子である。ラスと一緒に涙を拭う仕草をしながら笑いを噛み殺す。



「あ、メーラ嬢」

「っ!!」


 ラスが窓の外を見ながら、人間のご令嬢の名前を口にした。この窓から見える庭園は王族しか入ることが許されていないので、メーラ嬢がいるわけないのだが、ルシアンはまた、むせて、ゴホゴホと咳を繰り返す。それを見てラスがクスクスと笑っている。


 ルシアン、お前、遊ばれてるぞ。


「あ、そうだ。ラスは彼女を見てどうだった?」

「どう、とは?」

「何か感じなかったか?」

「……うーん。まあ魅力的な女性ではありましたが、私にはアーヤがいますから」

「あ、ああ、そうだな。お前たちは相思相愛。つけ入る隙もないものな!」

「あ、殿下。最近あったアーヤの可愛い話聞きますか?」

「いや、それはまた次の機会に……」


 アーヤ嬢はラスの婚約者で、彼の重い愛を受け止めている稀有な人物である。これ以上話を振ると聞いてもいない惚気に付き合うことになるので注意が必要だ。何とか話を切り上げて、再びルシアンの話題に戻ってくる。


「で、ルシアンはメーラ嬢に惚れてポンコツになったということですか」

「っ、ほ! 惚れてなどいません!!」

「お、ルシアンがやっと動き出した」

「ルシアン、お前、手真っ黒だぞ」


 この、今までにないくらい面白い様子を見ているのも楽しいのだが、こうもポンコツになると執務に支障がある。


 ここは俺が一肌脱いでやるか、心が通じ合った俺とラスは頷き合いながら、レーヌのお茶会への乱入方法を考え始めたのだった。



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