姫髪騒ぎ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、女子のロングヘアとショートヘア、どちらが好みだ?
俺は断然、ロングヘアだな。前髪ぱっつん、黒のストレートならばなおよし。もううん年前の初恋だが、やっぱ影響が大きいわ。
いまでもバリバリの、第一琴線。触れたら、ホイホイにはまったゴキブリみたいに、コロッといきそうな気がするぜ。
――たとえがお下品で、せっかくの美しさが台無し?
いーじゃん、いーじゃん。自分の気持ちにウソつきたくないじゃん? それだけ確殺レベルってわけよ。
彼女にするなら髪の長い子! こいつあ、譲れねえぜ。
だが女子からチラッと話を聞くに、長い髪はお手入れが大変らしいんだよな。歩くたび揺れる豊かな髪はどストライクなんだが、それを維持してくれる女子はあんまいねえ。適当なところで短くしちゃうのが大半だ。個人的に、すごく残念。
そうなると、マンガやアニメや映画に興味が出てくんのよ。ロングヘアのキャラがいつ、どんな理由で髪をカットしようと、ページや作品内の時間を巻き戻れば、いつだって長かったころが拝めるだろ?
切るのは一瞬、伸ばすのは数カ月。けがとかにもいえるが、ゆるい一方通行を強いるこの世の原理って、俺は嫌いだね。
だが、そんな世の中だからこそ、昔から長い髪に一定の価値があるのも事実。一朝一夕に手に入らない積み重ねが、目に見える形でそこにある。
俺も自分の好みを自覚したばかりのころ、長い髪にどうして惹かれるのか。かつてはどのような扱いを受け、影響があったのかと、いくらか調べ物をしたことがあるんだ。その途中でいくつか奇妙な話にも出会ったよ。
つぶらやもネタを欲しがってたろ? こいつが少しは足しになるといいんだが。
平安時代の中ごろ。
とある貴族のお姫さんに、洗髪の日が近づいていた。お姫さんの髪は、立って歩くだけでも、先端から一尺ほど(約30センチ)が畳をこするほどの長さだったらしい。
当時の女性の髪は、好きなときに洗えるもんじゃなかった。占いとかで縁起のいい日を選んで行うもんだから、月に一回だけとか珍しくない。時期によっちゃあ数カ月、下手すりゃ一年洗わないとか、「ホンマかいな?」というレベルだがな。
今回、お姫さんは自分の髪が、チリチリとうずくような感触をしばしば感じていたらしい。かゆみを覚えるのは初めてじゃないし、当初は気にしていなかったようだがね。
特に洗わないゆえにまとう臭さをごまかすため、お香を焚き出した直後などは、このうずきを感じやすかったとか。
そして洗髪の当日。侍女たちが集まって、お姫さんの髪にくしを通していく。
まずは目の粗いくしを使って汚れを落とし、それから現代のシャンプーにあたるものをつけていく。
よく知られているのは、「ゆする」という名の米のとぎ汁だろう。だがお姫さんの家では、伝統的に「そうず」というあずきの粉末を溶かしたものを使っていたらしい。
お姫さんの家では吉凶を占う際に、小豆粥を炊いてその具合を占う、粥占いを好んで採り入れていた。そのうち吉兆を見出した小豆の一部をとっておき、そうずの材料として髪へしみこませていたという。いわばゲン担ぎの一種だな。
そのそうずをたっぷり数刻かけて、侍女たちがくしですいたり、布でこすってなじませたりする。そうしてすっかり重くなった髪を数人がかりで丁寧に持ち上げ、乾燥に入るんだ。
当時はドライヤーなんて便利なものはない。長い髪は一日がかりで自然乾燥させるよりなかった。
お姫さんは髪をいじられると、特に眠気に襲われる性質だったようで、寝転がれる環境を好んだ。
だから自分はすでに敷いてある布団の上へ横になり、髪の毛だけは脇へと伸ばして寝かせ、御簾ごしの風と、そばに置いた火鉢の熱をもって乾かしていたらしい。
数年前までは侍女に紙を扇で乾かすのを手伝わせていたが、いまは部屋の外で控えることのみ許し、自分一人の空間を持つことを重視していた。
実はお姫さん、数年前から自分が毛深くなってきていることに気づいたらしい。
ややもすればすねとか、へその下とかから何本も黒い毛が姿をのぞかせる。ここ最近は手の甲、指の付け根などにも短いながら毛が生えてきており、それを誰かに見せたくないと思ったんだ。
その時もかみそりを握り、横になりながら服をはだけ、確かめられる範囲でこそこそと毛を剃っていったものの、ついうっかりまぶたが落ちそうになってしまう。
プチりとへそ周りの毛が切れたが、少し遅れて肌ににじんでくるのは、汗とは違う赤い血。少し刃がかすめてしまったらしい。
人は呼べなかった。無様な姿をさらしたくはない。
持ち歩いている懐紙をあてがい、血がこれ以上にじんでこないことを祈りつつも、眠気はなおも止まることを知らなかった。
掛け布団代わりの単衣をかぶるや、お姫さんはたちまち、うとうとまどろんでしまったんだ。
はっと目覚めたとき、寝る前はまだ中空に浮いていたはずの陽の光が失せ、外は薄暗くなっていた。
腹の血はもう止まっている。ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、また頭にうずくような感覚が走ったんだ。
しかも寝る前よりひどい。髪の根元がずりずりと頭の中にまで音を響かせ、周りの髪もさわさわ揺らして、遠ざかっていくかのような心地がしてくる。
もののけの仕業かと、すぐさまお姫さんは声を張り上げた。侍女はなお部屋外で待機していたらしく、すぐさま返事が来る。
明かりを持ってくるよう告げ、侍女の足音が離れていく間、お姫さんは起き上がろうとするも、難しかった。
少なくとも数刻は乾かし、軽くなっているはずの髪の毛が、石でも乗せられたように動かなかったんだ。顔を多少上げたり、回したりするのがせいぜい。
四肢は動く。お姫さんははだけたままの服からのぞく、自分の肌や手足を見やって、はたと気づいた。
眠る前、剃り残していたはずの毛たちが、すっかり体から消えているんだ。そして毛が消えたあたりに残っているのは、いつも自分が好んで焚いている香の匂いだった。
やがて足音が戻ってきて戸が開かれるや、複数の侍女が空の燭台と、火を灯した松やにのロウソクを手に部屋へ入ってきた。
しかしその明かりのいくつかが、お姫さんの髪の毛あたりを照らすや、「あっ」と声があがる。
横に伸ばして寝かされた、お姫さんの髪の毛。
そのうちの数本が、他の髪の毛たちより抜け出て、畳の上をうねうねと、ひとりでに這っていたからだ。
髪たちはすぐに部屋の隅にある柱の一本までたどり着くと、今度は虫のように、床に対してほぼ直角の柱を駆け上がる。姫様の頭よりひとつなぎのまま、髪は柱の表面をひた走って、今度は天井の板の隙間へもぐりこんでいく。
「つるうち!」
おののく侍女たちを前に、お姫さんは短く叫ぶ。
ややあって、どたどたと廊下を踏み鳴らしながら飛び込んできたのは、館に控える近侍のひとり。その手には身の丈なみの大きな弓を抱えていた。
つるうち。
このころはよく知られた魔除けの手はずで、矢をつがえないまま弓の弦を鳴らし、音をもって邪気を追い払うというものだ。
近侍は弦を引き絞り、空の矢を放っては音を響かせ、それを繰り返すこと7回あまり。
とんとんとん、と天井の板越しに音が響く。ちょうどお姫さんが眠る真上あたりだ。
お姫さんは侍女たちに、重たい髪ごと自分の位置をずらしてくれるよう頼む。それが済むと引き続き、つるうちを続けさせた。
新たに5回。存分につるの音が響くと、天井を叩く気配はますます強くなり、板そのものがミシリときしむ。
そして長いつるの音がやむや、天井の一部へたちまちひびが走り、そのまま破れて、お姫さんが寝ていたところへどさりと、落ちてくるものがあった。
一瞬、わたぼこりに思えたが、それは丸まった物体のあちらこちらを、ほこりが彩っているに過ぎない。
それは人の顔の大きさほどにまとまり、ちぢれながら重さを保った、大量の髪の毛だったのさ。石と見まごう振動で、畳を大いにへこませるその身からは、ほこりに交じってところどころにうごめく、白い米粒ほどの虫らしき姿があった。
しかしその場にいる者たちを刺激するのは、気味悪い見た目ばかりじゃない。
匂いだ。
そばに仕える侍女たちなら、すぐに分かる。お姫さんが日ごろから使っている、香の匂い。
そいつが普段の何倍もの強さで、部屋中にしみ出したんだ。くわえて、ずっと弱いがかすかに混じるのは、あずきの甘味を覚えさせる香り……。
もはやそこの虫らしきものにもてあそばれているのが、お姫さんの髪の毛だと疑う者はいなかった。
お姫さんの親も起き出してきて、件の髪の毛は即刻、焚き上げられる手はずとなった。
準備の間、近侍に天井を見てもらったところ、髪の毛とそれにまとわりつく虫たちの姿はまだまだ残っており、それらもことごとくが排除された。
どの髪たちも水を含んだだけとは思えない、鉄塊のような重さを持ち、このままだと遠からず、天井全体が抜け落ちていたやも、と判断されるほどだったとか。
そうして集められた髪たちは、大いにおこされた火の中へ投じられるも、ことは粛々と運ばない。
断続的にパン、パンと薪が弾ける音と共に、火の子よりもなお高く、空を舞う炎のつぶてがあった。あの髪にくっついていた虫たちが火だるまになりながら跳び、やがて雨のように落ちてくるんだ。
居合わせた者はあちらこちらへ逃げながらも、一部の者は長い竿を振るって、火がおさまるまでの間、館へ振り落ちそうになるものを懸命にはたいていったという。
その時より、あずきのゲンに傷がついたと、お姫さんの家は「そうず」の使用をやめる。扱う香も別のものへ取り換えてしまった。
何が奴らを引き寄せたかは判断に困る。が、長い髪とそれにまとうものは、つねづね気をつけるべき力があるのだろうな。