依頼2~蛙の子は蛙
NPO探偵事務所~暁に新しい依頼が舞い込んできたのは、まだ暑さの残る九月中旬くらいの事だった。
「失礼します……」
依頼人は、どことなく気品漂う着物姿の初老の女性だった。
「今日は、所長の兼松が飼い犬に尻を噛みつかれて病院に行って治療をしておりますので私が、お話をお聞きいたします。遠藤と申します。よろしくお願いいたします」
遠藤一正は、出来たばかりの自分の名刺を依頼人の初老の女性に差し出した。
「ガールズバー・オアシス……?」
「あっ!間違えたっ!!失礼しました!こっちが本物の私の名刺です!!」
一正は、行きつけのガールズバーのあんずちゃんの名刺を間違って依頼人に差し出してしまった。事務員の蝦夷ミチルが呆れた顔で天井を見上げた。
「そ、それで、今回の依頼の内容は?」
一正は、ミチルが用意してくれた麦茶を飲んでから話を切り出した。
「実は……こんな事。とても恐ろしくて大きな声では言えませんが……」
依頼人は、そう言った後、バッグの中から数枚の写真を取り出して一正に手渡した。
「こ、これは……?」
一正は、その数枚の写真を驚いた表情で見つめていた。
「体がバラバラの死体の写真です……」
その言葉に事務仕事をしながら聞いていたミチルが突然立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってください!マジですか!?」
ミチルは、まさかこのヘボ探偵事務所にそんな大それた依頼が来るのか?とビビってしまい動揺している様子だった。
「お前、何そんなに動揺してんの?」
一正は、写真とミチルを見比べながらそう言った。
「お前~?貴様、私をお前呼ばわりしたのか~!?」
ミチルは、案件の事よりも一正に「お前」と呼ばれた事に噛みついた。
「お前だからお前っつたんだよ!この、今現在三十一歳。恋愛経験ゼロの処女なのに淑女ぶっていて婚活中だけど婚活パーティーでは誰一人として相手にされない上に今時セーラーズのトレーナーしか着ているとこ見たことないし風呂もガス代節約のために三日に一度しか入らないで飼い猫のゴロにも近づくだけで「シャーッ!!」って吠えられて嫌われている趣味がパチンコしかない女子力マイナス90点のクソ女め!!」
「そ、そんな言い方しなくても……ウッウッ、ウワ~ン!!」
さすがのミチルもこれにはハートブレイクしたみたいで、事務所内で依頼人の居る前なのに大声で泣き出してしまった。
「……それで、このバラバラ事件について弊社に何とか解決してほしい……というご依頼で間違いないでしょうか?」
「はい……けれども……」
「どうされましたか?」
「あの。事務のお姉さんに、あそこまで言わなくても……」
依頼人は、あまりにも酷かった一正のミチルへの暴言を遠慮しながらも戒めた。
「エ~ン……あっ!やっぱりそう思いますよねぇ!!この男、許せませんよねぇ!?」
泣いていたミチルは、急に泣き止んで反撃に出ようとした。
「許せないのは、お前みたいな……まぁ、とにかくどうしますか?警察には、届け出したんですか?」
「いえ、まだです……」
「私にも写真見せてよ~!」
恐らく、いや、完全なウソ泣きだったミチルは、興味津々にその依頼人が持って来た数枚の写真を見ようとして一正の元へ近づいてきた。
「うわっ!これは……酷いなぁ……」
ミチルが、写真を見てそう言った。
「お前の顔の方が、これの数百倍酷いよ……」
一正は、容赦なかった。
「まあまあ、お二人とも……仲良く仕事してくださいませ!」
依頼人の気品高き初老の女性は、そう言って二人を宥めた。
「手と足。頭と胴体が、バラバラですねぇ……」
一正は、もう一度その写真を見つめ直した。
「でも。これ、カエルですよねぇ……?」
ミチルが、恐る恐る依頼人の顔色を伺いながらそう問いかけた。
「はい。我が家で十年間も可愛がっていたニホンヒキガエルの美智子です……」
依頼人は、少し涙ぐみながら写真に写っているバラバラ遺体のヒキガエルに手を合わせて拝み始めた。
「……」
「……」
仕方がないので一正とミチルも、その「美智子」というニホンヒキガエルの遺体の写真に目を瞑って手を合わせた。
所長の兼松は、可愛がってきた飼い犬の「ランボー」に尻を噛まれたショックから立ち直れずにいた。
「ランボー……あんなに可愛がってやったのに……何で……?」
兼松は、病院で尻を何針か丁寧に縫ってもらって痛み止めと抗生物質を薬局で貰ってからショボくれた表情で力なく事務所に出勤してきた。
「おはようございます……」
「ああ、所長!!ご苦労様です!」
一正は、今回の案件を解決できるのは、ひょっとしたら少し頭のボケかかった兼松所長かもしれないと思っていた。
「ああ、昨日依頼のお電話をくれた……確か、今泉さん……?」
「金杉ですけど……」
依頼人の金杉さんは、ちょっと引きつった笑顔でそう答えた。
「ああ、すみません。今泉は、私の死んだ親父の愛人の名前でした……」
「所長。認知症の検査、受けに行ってくださいよ……」
「それでは一度、金杉さんのお宅に行ってみて、誰が美智子ちゃんをバラバラにして殺したのか?現場検証しましょう!」
「ええっ!美智子さん?バラバラ殺人ですかっ!?」
何も知らない兼松所長が、突然大きな声でそう叫んだ。
「……じゃあ、行きましょうか!」
一正は、取り敢えず今回も早く解決させてしまおうといち早く行動に打って出た。
「ここが、私の自宅です……」
そこは、千葉市若葉区の桜木町にある物凄い豪邸だった。
「どうぞ、お入りくださいませ……」
金杉八重子さんという依頼人にそう言われて、三人は豪邸の中に入ってみた。
「うわ~、床が全面大理石じゃないですかぁ……」
兼松所長は、そう言ってミチルと一正に目を配った。
金杉家は、地元では知らない人の居ない資産家で代々からの開業医だった。
「それで、現場はどこになりますか?」
一正が、早く事件を解決しようと何故か?躍起になっていた。
「ご案内いたします……」
金杉夫人は、上品な足取りで家の中を進んでいった。
「この中でございます……」
そこは、いかにも豪邸の中の雰囲気ビンビン漂う、大きくてゴージャスなバスルームだった。
「このバスルームの中で幸子ちゃんは、バラバラにされていたんですね?」
「幸子では無くて美智子です……」
兼松所長は、もう多分認知症なんだろうと一正とミチルは確信した。
「このバスルームの中で一緒にお風呂に入るのが、美智子は大好きでした……」
「はい?」
一正は、空耳か?幻聴を聞いた気分でもう一度金杉夫人に問い正した。
「あの子は、お風呂の中を泳ぐのがとっても上手でそれはそれは可愛かったんですのよ!」
「……大丈夫でしたか?茹でガエルに、なりませんでしたか?」
一正は、バスルームの中を隈なく検証しながら質問を重ねていった。
「それで、美智子を殺した犯人は……?」
応接間に通された兼松所長と一正とミチルは、金杉夫人の問いかけに家政婦さんが入れてくれた高級そうな紅茶を飲みながら黙っていた。
「あの~……」
この家に入って来て初めて、ミチルが声を発した。
「何だよ……?」
一正が、めんどくさそうにミチルに視線を向けた。
「多分……ですけど……犯人、わかりました」
ミチルは、小さな声だったが、ハッキリとそう言った。
「本当ですか!?誰が!?」
思わず身を乗り出して金杉夫人がミチルに食いついた。
「犯人は……金杉夫人。あなたです!!」
身を乗り出していた金杉夫人は、思わずズッコケてしまう。
「はいはい、ミチルさんの推理をお聞かせくださいなぁ~!」
呆れた一正は、一応ミチルの推理を聞いてあげようと思った。
「美智子さんは、毎日それなりに熱いお風呂の中を泳いでいた……その為に一緒に毎日お風呂に入っていた美智子さんの身体にカエル菌が感染してしまった。恐ろしくなった金杉夫人は、茹で上がった美智子さんをバラバラにしてオイスターソースで野菜と一緒に炒めて食べた!どうですか?私の推理!」
「……」
「……」
「……」
ミチル以外の三人は、やっぱり聞かなきゃ良かったと死ぬほど後悔した。
「カエル・バラバラ・バスルーム・開業医……」
一正は、いくつかのキーワードを頭の中で並べてシャッフルしながら必死に推理した。何故?今日、一正がこんなに急いでいるのか?それも謎と言えば謎だった。
「今日は、ご主人はお仕事ですか?」
一正は、紅茶を飲み干した後金杉夫人に質問した。
「はい。左様でございます」
金杉夫人が、そう答えた事で一正は何かを確信した。
「失礼ですが、ご主人の専門の医療分野は?」
一正が、確信を高めるためにダメ押しの質問をした。
「精神科医です」
一正は、予想通りの金杉夫人の解答に意を決したように立ち上がった。
「犯人が、分かりました!」
一正が、頻りに腕時計を気にしながらそう言った。
「誰だよ?」
兼松所長は、しかめっ面で一正に聞いてみた。
「犯人は……」
一同が、固唾を呑んで一正の次の一言を待った。
「いません!!」
「はあっ!?」
一正以外の全員が、少し怒った表情で反応した。
「あの、いませんって……?」
金杉夫人は、面食らった感じで一正に問い直した。
「結論から言うと。美智子さん。多分、まだ生きています。近くの川かなんかで優雅に泳いでいるんじゃないですかね!」
「まあ、強いて言えば今回の事件は、金杉さんの旦那さんが仕掛けたトリックです!」
「トリック……?」
「はい。奥様が、持ってこられた美智子さんのバラバラ遺体の写真ですけど、見てください!」
「……?」
「どこが、トリックなんだ……?」
兼松所長は、縫ったお尻を気にしながら一正の言っていることが、まるで分からない様子だった。
「バラバラの遺体ですけど。奥様、確か美智子さんは、ニホンヒキガエルでしたね?」
「は、はい……?両生類の専門店で買いましたので間違いないですけど……?」
「この写真を見る限り……あっ!頭の部分。ここ!ここが、ポイントです!」
「と言いますと……?」
「この写真に写っているヒキガエルは、ニホンヒキガエルではありませんね」
「えっ!?それでは、この写真のカエルは……?」
「アズマヒキガエル。です。見た目は殆どニホンヒキガエルと変わりませんけど、この写真のヒキガエルは学術的には、アズマヒキガエルです。ポイントはここ!鼓膜の部分の大きさです。ニホンヒキガエル。奥様!美智子さんの生きている写真有りますか?」
「あっ!はい!何枚かあります……」
そう言った後、金杉夫人は応接間を出てしばらくしてから戻ってきた。
「これです……」
夫人は、数枚の美智子さんの写真を持ってきた。
「うん、やっぱりそうだ!見てください。目の後ろの鼓膜の部分です!」
「目からの距離が、鼓膜の大きさと同じニホンヒキガエル。それに対して鼓膜が大きくて目からの距離よりも鼓膜の直径の方が大きいアズマヒキガエル。バラバラの方と、今奥様が持ってきた美智子さんの鼓膜の大きさが、二倍くらい違いますよね?」
「よって、このバラバラのカエルと美智子さんは別のカエルです!!」
「誰が、何のために……?」
不思議な表情を浮かべながら、ミチルは一正に尋ねた。
「さっき、ご主人の病院。金杉という名の開業医を調べました。船橋市の金杉メンタルクリニック。奥様、ご主人のクリニックですよね?」
「は、はい……そうですけど……?」
「無理を言って来ていただきました」
一正がそう言った後、応接間に初老の身なりの整った男性が静かに現れた。
「我が家は、代々続いてきた開業医として何不自由なく幸せに暮らしてきました。ただ、一つだけ……」
そこまで聞いて、一正が喋り出した。
「子供さん。失礼ですが、お二人の間にはお子さんは、いらっしゃらない?」
一正の指摘に初老の男性、つまりこの家の主の金杉大一は、
「ええ。それで、これが急にヒキガエルを飼いたいと……妻は、私の元患者です。少し変わった所がありまして……しかしながら、毎日一緒にお風呂に入ったりご飯を食べる時まで。遂には一緒に寝るようにまでなりました……」
「そ、それの、な、何がいけないのよ!!」
突然、妻の八重子が大きな声を張り上げた。
「八重子!カエルだって命あるものなんだ。お前のカエルへの愛情は愛情の域を超えていたんだよ……」
大一は、そう言ってから妻であり自らの患者でもある八重子に優しく語りかけた。
「赤ちゃんに恵まれなかった事は、私もお前も長年苦しい思いをした。だけど、カエルをあそこまで溺愛するお前の姿を私は見ていられなかった。バラバラの遺体の写真は、医学部時代の知人に頼んで用意してもらったものだ……」
「み、美智子はっ!?」
八重子は、大一に激しく詰め寄った。
「自然に返したよ……八重子。カエルは、カエルらしく自然の中で生きるべきなんだ……」
「そ、そんな……」
倒れかけた八重子を、大一はその場でしっかりと受け止めて、しばらくの間強く抱きしめたまま咽び泣いていた。
「な~んか、後味の悪い事件っていうか、ねぇ~……?」
兼松所長は、事務所に戻ってから開口一番そう言った。
「蛙の子は蛙。人の子は人。ですかね……?」
一正が、お道化た仕草を見せながらそんな言葉を口にした。
「なんか、奥さんも旦那さんも可哀そうでした……」
ミチルは、いつもは見せないような何だか悲しい表情を浮かべていた。
「あっ!!」
一正が、突然叫び声を上げた。
「ど、どうしたっ!?」
兼松所長が、驚きながら一正に問いかけた。
「今日は、ガールズバー・オアシスのあんずちゃんとデートの約束してたのに!すみません!俺、今日は、これで帰りますっ!!」
一正はそう言った後、事務所を飛び出して行ってしまった。
「お疲れさまっ!!」
兼松所長とミチルは、明るい笑顔で急いでいる様子の一正を送り出した。
NPO探偵事務所~暁。未だに動物絡みの事件ばかりだが、少しずつ確実にその歩みを進めていた。次は、どんな事件が舞い込むのか?乞うご期待!!