3-1 世界は変わり、その者の歩みは————
今回はネタバレを含んでしまいそうなので前書きはしません。
少し長いですが、楽しんでいただければ幸いです。
世界は、自らの免疫力を強化しイレギュラーを排した。
自身の体(地球)を違う形へと変えようと、まだ起こっていないはずの未来を知り、突起な行動を起こし出来物(事象改変)の根元を潰すために。
それは成功した。
イレギュラー———眞壁簗はこの世界から消滅した。
しかし、出来物は消えなかった。
既にそれは、それが正しい姿であると体が認識してしまっているのだ。
それにより地球は、眞壁簗が居ない世界が出来上がりながらも、その中に部分的な矛盾を生み出してしまった。
砕け散った世界の破片が漆黒の闇の中へ落ちていく。
それと同時に、彼女の体も落ちていた。
ああ、もしかして私はこのまま天界に召されるのかな?でも、悔いは無い。
家族の未来を変えるこができた。伊吹夫妻の未来も変えることができた。最後に、先輩への思いを伝えることもできた。
ああ、ああ。なんて最高の最後だろう。どんな晩餐を準備されようとも、これ以上の美酒はありえない。
達成感と陶酔感に包まれながら、奈落へと私の体は落ちていく。
どこまでも。どこまでも。終わりなく――――――と、思っていたのに。
「っ!!」
いきなり、背中が何かと接触し鈍い痛みが走る。同時に落下による浮遊感も消滅していた。
「ってて……一体何に――――――」
ぶつかったの?と続けようとした私の口は、あいたまま固まってしまう。
それもそのはず。私がぶつかったのはコンクリートによって舗装された、見慣れた道だったから。そして起き上がった目の前に続くその道は
「――――商店街?」
朽ちたアーチに加え、すべてのテナントの前にはシャッターが閉められており、尚且つ色もほとんどない浮世離れした景観ではあったものの、そこはまごうことなく私の知る商店街のそれだった。
「なんで……ッ、こんな……」
まるで未来の商店街のようだと考えたとき、私の頭にある人の顔が浮かぶ。
「そっか。私は未来に飛ばされたんじゃなく、元の場所に戻されたんだ」
考えてみれば簡単なことだった。だってそうだろう?私の改編の始まりは―――ここにあるあの店からだったのだから。
世界の修正力だとしても、イレギュラーの私を飛ばすならここしかない。
「……向うに行く前に、あのコーヒーをもう一杯だけ、飲みたいなぁ」
そう呟きながら、私は朽ちかけて天井すらない商店街へと歩を向けた。
やはり、そのお店はそこにあった。
初めて訪れたとき同様に、扉の前に立つと扉の両サイドに炎が灯る。しかし今回は不気味な青ではなく、温かみのあるオレンジだった。もしかしたら青い炎は、隣接する魂の者たちの世界を照らす炎だったのかもしれない。
などとメルヘンなことを考え、小さく笑う。
私も随分中二病みたいになっちゃったなぁ……。でもこれだけ立て続けに非現実的なことを目の当たりにして体験したら、そういう風に思考回路が変わっても当然なのかも。
ふっと小さく息を吐き、重厚感のある扉の取っ手を掴み押し開ける。
カランカランというベルの音がすでに懐かしい。
そして、初めて来たときと違うことが一点だけ。
「お帰りなさいませ」
扉の前で立っていたマスター―――白羽楽斗さんが45度に腰を折り立っていた。
「帰りました。マスターさん」
「ご無事でなによりです。早速結果のほうを――――」
「あの、マスターさん!」
何か書類をもってそれを読みだそうとした楽斗の声を遮るように呼ぶと、彼は「どうしましたか?」と視線で問いかけてきた。
私はニコリと微笑み、最後の願いを言葉にする。
「コーヒー一杯、いただけますか?」
カウンター席に座りコーヒーを待つ。
静かな部屋に響くのはコーヒーミルで豆を砕く音。そしてお湯の沸く音。
そんな何気ない音たちが、私の心を安らげていく。微睡にも似た感覚が私を包み、自然と瞼を閉じさせる。
しかし眠りにはつかない。ただその音に、この空間に、すべてを委ねるように―――
「お待たせしました」
と、私の意識が少し遠のきそうになっていたその瞬間を見計らったかのようなタイミングで、楽斗はカップをテーブルへ置いた。
「ありがとうございます。いただきます」
今回も同じように砂糖とミルク、そしてアイスが一緒に出されたが、私はどれにも手をつけずにそのままブラックで含む。
今まで何度か挑戦したことはあったけれど、子供舌の私には苦すぎる代物だったはずのコーヒーは、そんなことを一切感じさせない飲み物になっていた。
「……私、ブラック飲めた」
私のほとんど独り言な呟きを聞いたマスターは「はっはっは」と大人びた笑い声を上げた。
「それは貴女が、少し大人になった証拠ですよ」
「大人になったんですか?私」
「なりましたとも。人は、一度の苦悩を自らの力で越えた時点で大人への階段へ足をかけるもの。眞壁簗さん。貴女は今日、初めての1段目を登ったんですよ」
「そう―――なんですね……」
大人……。まさか死んでから大人になるなんて、皮肉だな。
でもこの生ならではの美味しさを知ることができたのなら、まあ悪くないかも。
そこからしばしの時間はコーヒーの味を、最後に味わうかもしれない味を、時間をかけてゆっくりと味わう。
そんな静かで穏やかな時間が過ぎていたとき。扉のほうからカランカランという来客を伝えるベルの音が店内に響いた。
三段ほどの階段を上ってきたのは、燕尾服に身を包みシルクハットを被った老紳士であった。老紳士は鷹の装飾が頂部にある杖を使いながらも、軽い足取りで店内を進んできた。
「お嬢さん、お隣の席よろしいですかな?」
「え……ええ、大丈夫ですよ」
何故わざわざ隣に?とも思ったが、シルクハットを傾けて見えた優しそうなおじいさんに私はNOという言葉を口にすることは、自然と頭の中から消えていた。
椅子に腰かけた老紳士はシルクハットを取り注文を済ませる。
「マスター、ブレンド一つ」
「かしこまりました」
見れば楽斗さんは、注文を受ける前から既にブレンドの準備を始めていた。もしや常連さんかな?と思ったが、このお店に常連という概念が存在するのか怪しく、その予想はすぐに否定した。
「お待たせしました。ブレンドになります」
「ありがとう。いつも早いね、君は。さすがの手際だよ」
「恐縮です」
楽斗さんの額には数滴の汗が浮かんでいた。緊張しているのだろうか?つまりこの老紳士なイケ叔父はかなりの重鎮とかそういう―――
「お嬢さん」
「ひゃい!?」
思考にふけっていたせいか、おじいさんがこちらを見ていることに気付かなかった。いきなり声をかけられて変な返事をしながら姿勢を正す。
「ああそう畏まらずに。このお店でそれは無粋ですから」
「は、はぁ……?そういうものですか」
半分はマスターに向けての質問だったのだが、マスターはいそいそと何かの準備をしていてこちらの会話を一切聞いていない。
「地球の方ですかな?それも、当方の島国の……えー、名前はなんだったか……」
「もしかして日本ですか?」
「おお!それだそれだ。日ノ本の出身かね?」
「はいそうですけど……あの、おじいさんは?」
「私か?私はしがない作家をしている老人と思ってもらえれば結構。名前は―――アビスとでもしておこうか」
老紳士改めアビスさんがそう名乗った瞬間、カウンターの中から「ブフッ」と吹き出すような音が聞こえたが、視線をそちらへ向けたときマスターは普通に準備をしていたので勘違いだったのだろう。
差し出された手を握り握手を返すと、アビスさんは私の手をまじまじと見つめてきた。
「私の手が何か?」
「いや、綺麗な手だと思いましてね。天界でもそうそう見ませんからな」
「あ、やっぱりそういう類の方だったんですね」
「もちろんだとも。この店に来るのは君のような犠牲者か、我々概念的存在の者だけだ」
また知らない単語が出てきたが、なんとなく意味は分かるので頷いておく。
アビスはカップを上げ小さく回した。
「私も君の半生を見させてもらったよ。実に素晴らしい生き様だった。大主神が天使にと押すわけだ」
「どうも……」
「だがね。あまりにも綺麗過ぎる」
カン!と強く打ち付けるようにしてソーサーにカップを置く。荒い置き方だった為、その周りには何滴かのコーヒーが毀れている。ハッとしたアビスさんが「すまない」と謝り常設されている紙でテーブルを拭く。
「いえ、気にしていませんので」
「……すまない。どうも年をとるとカッとなりやすくなってしまっていけない」
「それであの、綺麗過ぎる……というのは、一体どういうことですか?」
ピタリと机を拭いていた手を止め、両手の指をからめるようにする。俯き気味のその顔には大きな皺が刻まれている。
「人間から天使へ昇格する存在は少なからずいる。天使とは神のつくりし傀儡であり半身だ。それに値する人間には、当然だが大きな条件が課せられる」
「条件?」
「一つはその生き様が美しいこと。美しいという判断基準は、“どれだけ偽善者であれるか。どれだけ他人を思い自らを捨ててきたか”というもの」
それは人間の世界でも素晴らしい生き様だといえる。でも実際にはこんな生き方ができる人など八割も居ないだろう。なぜなら人は、偽善者を正義を小馬鹿にする。それによって救われる命があろうとも、それを無視しただ自分たちが面白いからと馬鹿にし見下す。そんな空気にさらされ続ければ、当然、偽善を貫ける者たちも減っていく。
「もう一つは、苦難を乗り越え逆境を諸共しない強靭な精神を者もの。これは一生の内に一度でもあればいい。その基準は“大人になった”という実感をもつこと」
「なるほど……―――あれ?だとしたら私、あの時点では条件を満たしていなかったんじゃ……」
「その通り。君は一度目の死を経験したそのときまで、一度として苦難を乗り越えていないのだよ。だから綺麗過ぎる」
さらに皺が濃くなり、カップの取っ手を握る右手に力が入り陶器がキシキシと音を発てる。ただ今回はそれを打ち付けることはなかった。逆に、ふわっと手から力が抜け温かい視線を感じ見ると、アビスの顔は孫を見るような愛おしい輝きを湛えた瞳になっていたのだ。
「だが、今の君は、今回の事件を逆境とし乗り越えた。大人への実感があったのだろう?」
「そうなんです!ブラックコーヒーが飲めるようになったんです!」
「ははは、それは凄い。もう立派な大人ですね―――ここでは、の話だが」
「えっ――――――」
微笑みが、真剣な面持ちへと変化する。私も目を丸くし続きの言葉を促すように黙する。
「君が変えた世界は定着した。しかし君は世界の修正力によって弾き出されてしまった。つまり、君が行った軌跡はあっても君自身は何も変化していないことになる」
「そんなッ……それじゃあ――――――」
「――――だから」
悲壮感が滲みゆがみそうになったその時、アビスの右手から伸ばされた人差し指が私の額にトンと軽く当てられる。
「君は、あの世界に存在しなければならない。天使になるのは、天命を全うしてからだって遅くはない」
刹那、意識が覚醒させられるような産毛が逆立つような感覚になり、肉体の密度が増す。密度と言うが急に太ったとかそういう意味ではなく、単純に存在情報が増加したようなそんな感覚。ふと視線を両手へ落とすと、仄かな薄黄色の光が全身を包んでいる。
「これって———」
「君に新たな存在を与える。さあ、戻りなさい。正しき世界、正しき時間へ」
「わわっ!?」
世界が砕けた時のように、今度は私の肉体が足元から砕けていく。
「よき人生を」
紳士によく見られる恭しい礼で見送るアビスに、そして笑顔で手を振ってくれているマスターに向けてぺこりと一礼する。
「色々ありがとうございました!本当に、感謝しています!!本当に—————」
ありがとう。そこまで言いたかったが、光の屑へと消滅する方が早く私の意識もそこで途切れることとなった。
———————私が戻ったのは、2021年7月12日。
目覚めた私を待っていたのは、見知らぬ部屋だった。
ふかふかの濃い赤のカーペット。中世の洋式机とそれに付属された同装飾の椅子。
「え、え、え、え?」
天井から吊るされたチューリップ型の照明。白いレースのカーテンから見える窓は長方形の枠が片方2つずつと一番上に扇状の枠が一つずつ。少し開けられたそこからそよ風が吹き込み私は自身の長髪が崩れないように片手で押さえようと上げた時、その手に純白の長手袋が身に着けられているいることに気づく。
「嘘……これって、まさか————」
視線は自然と下に、自身の肉体を包むモノへ。上半身は肩回りを露出させるすべすべのレース生地に、下半身はフリルがふんだんに使われた大きなスカート。
その全てが白磁で、日常的には絶対にしない服装。これは所謂
「—————花嫁衣裳」
なんでこれを私が?と考えていると、背後の扉からノック音が聞こえた。
振り向くと、扉の前にいつの間にかスーツの女性が立っていた。
「眞壁様。お時間です」
「……はい?」
そういうやいなや女性は私を急かしたてその部屋を後にする。女性に導かれ廊下に出る。
右側には多くの部屋が並び、左側は壁という少し狭い感じを受ける廊下を進んでいくと、突き当りで右手に曲がり、また突き当りにあう。しかしその突き当りは、両開きの扉だった。
「あの!すいません。これは一体なんなんでしょう?」
「何って、これは眞壁様の結婚式ですが?」
……まあ分かってはいたけど。でも実際に言葉にされてもなんというか現実感がないというか……。
と苦笑いしている私の隣に、スーツを着た男性が立つ。
その男性は、私の知る人で、しかし知っている顔から少しだけ老けている。
「———お父さん」
「…………簗」
全身をゆっくりと見た父はもう一度視線を上下に動かし、瞳から大粒の涙を零した。私の知らない間につけた眼鏡を上げ、双眸を隠すように片手を当てる。
グスリと鼻水を一度啜り、父は涙を流したまま
「世界一、綺麗だよ」
それが、決め手だったのかもしれない。私の視界も歪み、ぼたりぼたりと雫があふれ出してきた。控室と同じ絨毯の敷かれた廊下に二人の鳴き声が小さく木霊する。
どちらかともなく、抱き締めあおうとした私達に、居心地の悪そうなおずおずとした声が挟まる。
「あのー……そろそろお時間なんですが……お二人ともよろしいですか?」
「す、すいません。つい……」
「もう大丈夫です」
そう言うと、もう一度父の顔見て頷く。そして手を差し出し
「行こ、お父さん」
「……ああ」
その手を取り、扉へ向きなおる。
光のベールとともに、扉は開きファンファーレが—————鳴る。
少女はまた歩み始める。
正しく変化した世界で。正しく変化した時間で。
その歩みは、1度目の世界よりも強く、真っすぐとした歩みである。
彼女の将来に続く道は、青色のヒヤシンスに彩られている。
その花言葉の通り———“変わらぬ愛”を持つ、素敵な未来へ。
備考:ヒヤシンス
可愛らしい小さな花と甘い香りが魅力的な春の花です。多彩な種類があり、それぞれに花言葉があります。
赤は「嫉妬」、
白は「控えめな愛らしさ」、
紫は「悲しみ」、
青は作中でもあった通り「変わらぬ愛」、
黄色は「あなたとなら幸せ」、
ピンクは「淑やかな可愛らしさ」。
今回はその中でも青のヒヤシンスの花言葉を題材に作りました。
この話で本編は終わりとなりますが、この後にエピローグを一本挟もうと思っています。
何時投稿できるかは見通し立たずですがお楽しみに。