十五 桜かすみ
十五 桜かすみ
桜の押し花が完成した。
私はその押し花を和紙にのり付けすると、適当な形に切って蓋付きペンダントの中に封じ込めた。母から譲ってもらった、銀細工の蓋の綺麗なペンダントの中に。首から提げられるようにすれば、制服の中にも入れておけるし、肌身離さず持っていられると思ったからだ。
私は授業が終わると、制服から着替えて完成したペンダントを早速首から提げた。
着替えを手伝ってくれたちよに全体を確認してもらってから、私はちよに向かって笑いかけた。
「ありがとう、ちよ。行ってくるわね」
「はい。どうぞお楽しみくださいませ」
ちよは微笑むとちょこんと頭を下げて、私を見送ってくれた。
部屋から廊下に出て、階段にさしかかる。すると、ちょうど蓮子様が上から下りてこられるところだった。
「まあ、葵子さん」
「蓮子様」
「どなたかと、どこかへおでかけ?」
「はい。でも、よくお分かりになりましたね」
「ふふ」
蓮子様は軽やかな笑い声を上げられた。
「何だかそんな感じがしたの。おしゃれをしているから」
「お、おしゃれでしょうか?」
「ええ。どなたと会うの?」
「兄と出かけます」
「まあ、お兄様? すてきね。楽しんできて」
「はい。ありがとうございます!」
私は蓮子様にお別れを言うと、一階へ下りた。
寄宿舎を出ると、校舎から教員宿舎へ向かう道へ出てきた人があった。類巣先生だった。
私達はお互いの姿に気付くと、近付き合って、私は頭を下げた。
「こんにちは、類巣先生」
「どこかへお出かけですか」
「はい。兄と散歩に出るのです」
「それはいいですね。ぜひ楽しんでください」
「ありがとうございます」
「それで、その後はいかがですか」
その後とは、桜の森で鴉を殺した兄の話や、人が殺された後にどうなるかなどの、私の悩み事のことだろう。
私は小さく頷いた。
「はい……。色々ありましたが、大丈夫です。それに、希清様は私のお兄様ですから……。大切にしたいと思います」
「そうですか」
「あの新聞記事は、もう少し貸してください。その内必要がなくなったら、必ずお返ししますから」
「構いませんよ。早く必要がなくなるといいですね」
「……ありがとうございます」
類巣先生の言葉が温かく感じられて、私は何だか嬉しかった。
「それでは、どうぞお気をつけて」
そう言うと類巣先生は頭を下げて、さっと教員宿舎のほうへと行ってしまった。
私はその後ろ姿を見送って、再び歩き出した。
そして校門を見ると、あの方の姿。もう既にいらしていたのだ。
私は校庭を横切って、その方のほうへ駆け寄っていった。
「希清様」
声をおかけすると、希清様はこちらへ振り向かれた。
「ん、ああ。早いな」
「希清様こそ……。もういらしていたのですね」
「あ、ああ。たまたま、早く終わったんだ」
そう言って希清様は頬を赤くなさった。私はそれで何となく察した。早く終わったのではなく、急いでいらしたのだろう。それをごまかすようにおっしゃるから、私はそのお可愛らしさに思わずくすくす笑ってしまった。
「それじゃあ、行くか」
「はい」
私達は歩き出した。
この東京府東京市、桜の名所は数あるが、私達が向かう所は決まっている。
私達はその目的地へ向かう間、緩やかな坂道を歩いて行った。
「希清様」
「うん?」
「見てください。これ……」
私はペンダントをつまんで、希清様のほうに差し出した。蓋を開けて、押し花にした桜の花をお見せする。
希清様はそれを覗き込まれて、感心したような目をなさった。
「なかなか綺麗に仕上がったものだな。花を押し花にすると、こうなるのか」
「はい。今回は特別綺麗に出来ました。希清様が綺麗な花を拾ってくださったおかげです」
「う、うん。そうか。よかったな」
そうしているうちに、目的の桜の森へと着いた。
花嵐の起こる森。希清様が鴉を殺した森。
桜の森の中に入ると、希清様は少し何かを言いにくそうにするようなお顔をなさってから、ちらりと私のほうを見た。
「あー……、その、葵子」
「はい?」
「神隠しも、呼んでやったらどうだろうか」
「藤一郎を……ですか?」
希清様がそんなことをおっしゃるのは何だか意外な感じがした。希清様は藤一郎のことを、そんなによくは思っていらっしゃらない印象があったからだ。
「なぜですか?」
「その……。……癪だが、あの神隠しには借りがあるからな。俺から葵子を守ってくれた。だから、少しは見事な光景でも見せてやってもいいと思ってな。……癪だが」
癪だ、癪だ、とおっしゃるその横顔がお可愛らしく、私はくすりと笑った。
「……お優しいのですね」
「い、いや、優しいわけでは」
「では、藤一郎も呼びましょう」
そう言うと、私達は大きな桜の木の下で立ち止まった。
「藤一郎」
「何だ」
呼ぶとすぐに、藤一郎は私の隣に現れた。
「希清様が、藤一郎にも桜を見せてやりたいとおっしゃったから、呼んだの」
「聞こえていた」
藤一郎は呆れたような顔をした。
「僕は花には興味はない」
「……そうでしょうね」
藤一郎らしいと言えば、らしい。
希清様は藤一郎のことを少しにらむように見た。
「神隠し」
「何だ」
「その……こんなことをお前に言うのは癪だが、これも礼儀だ。……葵子を助けてくれたな。その、何だ……感謝は、している」
「言いたくなければ言わなければいいものを」
「藤一郎っ」
なんて失礼な口をきくのか。
希清様はため息をおつきになって、額に手を当てた。
「……いや、いいんだ、葵子。この神隠しはこういうやつなのだからな」
「希清様は本当にお優しいのですね……」
「う、うん、いや、そうかな」
「そう言えば、希清様」
「何だ?」
「希清様はすぐに藤一郎のことを見破られましたね。もしかして、そういうものが見えたりするのですか?」
「そういうもの?」
「心霊や、妖怪変化の類いです」
「ああ、なるほど。まあ……そうだな。小さい頃からよく見えていた。璃子のほうが、俺よりも……」
と言いかけて、希清様ははっとしたようなお顔をなさり、首を振った。
「……いや、何でもない。すまないな」
「……いいえ。いいのです」
私は微笑んで首を振った。
「希清様」
「ん?」
「もしよろしければ、そういう話をお聞かせくださいませんか?」
「そういう話? 心霊の話とかをか?」
「はい。怖い話を集めているのです」
「変わったものを集めているんだな、葵子は……」
「いけませんか?」
「いいや。葵子がそう言うなら、少し話そう。いつのものがいいかな……」
「出来るだけ、怖いものがいいです。……あ、でも、怖すぎるのはちょっと……」
私がそう言うと、希清様は苦笑なさった。
「難しいことを言うんだな」
「すみません。でも、希清様からそういうお話をしていただけると、嬉しいです!」
私の言葉に、希清様は少し頬を赤くなさって、額をかいた。
その時、春らしい強風が吹いて、桜の森を花嵐が満たした。再び巻き起こる、人々の歓声。
――春が、降ってくる。命の営みが、降ってくる。
私達はその様子を見ていた。
時刻は夕刻にさしかかるとき。明治五十五年の春、強い風が吹いていた。