第3話
かくて柾を乗せた車は、住宅街を走り出した。見慣れた通学路を抜けて、馴染みのない大通りへ。
助手席でシートベルトに胸を押さえられた柾は、ただ膝の上で組んだ手を強く握りしめ黙り込んでいた。
車に乗り込む一瞬、何か懐かしい匂いを嗅いだ気がしたのだが、あれは何の匂いだったろうか。
今はもう革張りのシートのにおいと、整髪料だろうか宗隆のにおいがするだけである。
ハンドルを握る宗隆も、不機嫌そうに唇を引き結んだまま押し黙っていた。
詳しい説明を求めたのだが、自分の説明では柾は納得しないだろうと突っぱねられたのだ。
車は宗隆の自宅を目指しているらしい。
柾はハンドルを握る男の手許に視線を遣った。意外にも無骨な手をしている。スポーツでもしていたのだろうか。…その指にリングの類いなどはない。
だが、結婚しているからといって皆が皆指輪をする訳でもないだろう。
見た所、宗隆の年格好はそこそこ大きなこどもがあってもおかしくはないくらいである。
まさか宗隆と二人きりで生活せねばならぬという事もあるまいが、よその家庭の中にまざる事を考えればそれはそれで気詰まりだ。
「…あ」
そんな事をあれこれ考えている最中、車は偶然にもあの公園の近くを通った。懐かしさのあまり思わず洩らしてしまった声を恥じるように、柾は片手で口許を覆う。
学校があるのは公園のある方とは反対の方角なので、この頃は近くを通る事も殆ど無かった。
「公園がどうかしたのか?」
「何でも…」
言いかけて、柾は思い止まった。
公園で出会った彼の事は、今まで誰にも話した事はない。一度くらい他人に話してみても罰は当たらないのではないだろうか。
「…昔あの公園で大きな迷い犬に出会った事があるの。ちょっとそれを思い出しただけ」
シートに体を沈めて、柾は少しだけ笑った。
宗隆はそうか、と短く呟いてまた唇を引き結んだ。
むく犬のようだった彼は元気にしているだろうか。彼にどんな悲しい事があったのかを柾は知らない。それでも時の流れが彼の悲しみをいくらかでも癒し、笑って過ごせる日が来ているといいな、と思わずにおられないのは、柾が彼に自分自身を重ねているからなのだろう。
「ねえ、ところでもしかして家ってかなり遠かったりします?」
車が市街地を離れ、山間部に近づきつつあるのに気付いた柾は、不機嫌そうな男の横顔を盗み見ながら口を開いた。
「通学なら心配いらない。私が毎日送迎する手筈だ」
「え!?毎日!!」
それはあまりに負担が大きすぎるのでは、と思わず柾の口からはすっ頓狂な声が出る。
「いや、そういう事が訊きたかった訳ではなく…まぁいいや。遠いならちょっと寝てもいいですか。何かもう疲れた」
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