第10話
琴枝の料理もいつも美味だが、外で食べるごはんにはそれとは違う味わいがある。
何より、ナイフとフォークで気取った食事をしていそうな宗隆が、割り箸を割る場面を見られるなんてちょっと面白い。
「…いただきます」
意外にも手慣れた動作で箸を割った宗隆は、控え目に呟いてうどんに箸をつけた。
この人、こういう所はちゃんとしてるんだよな、と柾は思う。琴枝の教育の賜物なのだろう。
…箸遣いもキレイだし。
「おい、ニヤニヤしてないで君もはやく食べろ」
「ニヤニヤなんてしてないし」
「…自分で気付いてないだけだぞ」
柾が宗隆と一緒にいる時間は、同じ家に住んでいてさえ酷く短い。
学校へ送迎されている間は車の中でふたりきりだが、お互いに特に社交的という訳ではないので個人的な事を喋る余裕もないのだ。
だから、宗隆と寛いで話が出来るのが柾には嬉しかった。
心なしか宗隆のしかめっ面も和らいで見える。
「ねえ、ここってどういうお店なの?うどん屋さんて訳じゃないよね」
「元、うどん屋だな。親父さんが腰を傷めて続けられなくなったから、改装してカフェにした。…それでも親父さんの味を懐かしがる人は多くてな。今はこうして不定期にうどん屋を再開してくれている」
注文をしていないうちからうどんが出てきたのはそういう訳らしい。
「確かに、忘れられない味かも」
「そうだろう?」
特にこの出汁の味わいったら!
はしたないかな、と思いつつも柾は鉢から直接つゆをすすりこんだ。
「嬢ちゃん、ええ食べっぷりやなぁ」
不意に現れた割烹着姿の老爺が、それを見て感心したように笑う。
「よぉ食べる子にはええもんあげよ」
老爺は手にもっている大皿に盛られた天ぷらを菜箸でつまみあげると、ひとつふたつと柾の器に放り込んだ。
「やった!天ぷらっ!!」
「そない喜ばれたらサービスせんわけにはいかんやないか。あとでおあげさんもあげよな」
「ありがとうございます!これ何の天ぷら?山菜?」
「菜の花や。今年はぬくいさかいにもう市場に出回りよる。…そっちの無愛想な兄さんはどないや?まだ食えるんか」
好好爺然とした面の中で、目付きだけを鋭くして老爺が宗隆を見る。
ギクリとしたように、宗隆は体を強張らせた。
「いただきます…ご無沙汰して申し訳ありません」
「まったくやで。金がない時分には毎日のようにたかりに来よったのになぁ。金があっても使う暇が無いんじゃしょうがあらへんやないか」
ぼやくように老爺は言って、宗隆のどんぶりに天ぷらを投げ入れる。
ぶっきらぼうだが、その言葉には宗隆への確かな情が隠れているようだった。
察するに、この店がうどん屋であった頃からの縁なのだろう。
言うだけを言うと老爺は他のテーブルに天ぷらを配りに行ってしまった。
「…お金が無いときがあったの?あんな豪邸に住んでるのに」
「昔の話だ。…知りたいなら話してやってもいいが、あまり楽しい話ではないぞ」
「じゃあ話さなくてもいいけど…」
柾は天ぷらを箸で掴みながら、言おうか言うまいか、迷って口をつぐむ。
琴枝の話を聞くにつけ、疑問に思っていた事だ。
「何だ?言いたい事があるならはっきり言え」
言葉尻を捉えて宗隆は、柾に鋭い視線を向けた。これは別に彼が柾を睨んでいるという訳ではなく、おそらく単純に目付きが悪いのだ。
「じゃあ言うけどさ。それって、アンタがご両親と一緒に住んでない事と関係あったりする…?」
躊躇いがちに口にした柾に、宗隆はすぐには応えなかった。
「いい!やっぱり今のナシ!!聞かなかった事にして」
興味本意で口にしていい事ではなかったと、前言撤回しようとする柾に、けれど宗隆は意外にも微笑を向ける。
「関係ない、とは言えないだろうな」
「…そっか」
返す言葉もなく、柾はただ呟いた。
琴枝から断片的に聞く宗隆の過去の話には、両親が登場する事がない。
広い屋敷の中にも、その痕跡さえ見つける事が出来ないのだった。
宗隆があの屋敷で育ったのは間違いないらしいのに。
「…菜の花の天ぷらってあたし食べるのはじめて」
柾は無理矢理話題を変えて、つゆをたっぷり吸った天ぷらにかじりついた。