プロローグ
お楽しみいただけますように!
雨が降る度に思い出す光景がある。
柾がよく行く公園のゾウさんのすべり台。まるくくり抜かれたようなその足の下に、一人の青年が膝を抱えている。
雨を含んだ癖っ毛がくるんと巻いて、その先端からポタリと雫が落ちるのを少し離れた所から柾は見ていた。
頬が濡れているのはきっと雨のせいだ。
彼は、泣いてなどいなかった。
けれども彼は泣きたかったのだ。
柾にはそれがわかった。何故って柾もそうだったから。
悲しくて悲しくて悲しい時には、かえって涙など出ないものなのだ。
母が死んだ時に、柾はそれを知った。
悲しいのに泣くことも出来ないのが余計に悲しくて、ぼんやりしているとおばあちゃんが飴玉を食べさせてくれた。
すももの味のミルクキャンディ。
ほっぺたの奥がきゅうっとなって、その甘さに涙が出た。
あれから一年が経った今も、あの時のキャンディは柾のお守りだ。
今も、ポケットに入っている。
柾はポケットに手を入れて、キャンディをぎゅっと握った。
近付いてよく見ると青年は細身だけれどとても背が高いようで、こども用のすべり台は随分窮屈そうだ。
かける言葉はどうしても見つけられずに、柾はただキャンディを差し出した。
びっくりしたらしい青年は、大きく見開いた瞳で柾を見上げる。
凄く年上な人のはずなのになんだか可愛いな、なんてその瞳を見つめ返しながら柾は思った。
「…あげる」
「ん…ありがとう」
彼の声は掠れていて、やっぱりとても疲れているようだった。
キャンディの袋を開ける青年の指先は震えていた。寒さにか、それともまた別の理由があったのか。
微かに笑みを刻んだ唇が柾の記憶には鮮やかだ。
…あの人は元気でいるだろうか、と雨が降る日には思い出す。
もう五年も前の出来事である。
ここまで読んでくださりありがとうございました。次話もお楽しみいただけますように!