名前をつけて!
俺の返事を聞いて彼女は非常に喜んだようだった。うん、うん、と何度も確かめるように頷く。
「私の言葉がわかるんですね!」そして嬉しそうに言った。
「あ、ああ、綺麗な日本語だ。……日本人でもここまで上手い人はそういないだろう」
俺は正直な感想を言った。
「ねぇ、ねぇ。あなたのお名前は?あなたのお名前が知りたいの。教えて、教えて? あなたのことをなんて呼べばいいの?」
「……川村、ゆうじ」
彼女の質問に俺は答える。本名を言うのはどうかと思ったが、どうにも、この状況下では嘘を付く気にはなれなかった。
「かわむらゆうじ? かわむらゆうじで良いの?」
「ああ、できれば、ゆうじと呼んでくれ」
俺の返答を聞いて、うんっ。ともう一度宇宙人は大きく頷いた。そして、
「それでそれで、あなたはなにをしていたの? あなたはどんなことをしているの? あなたはどうしてここにいるの? ゆうじ?」
……宇宙人の少女は息を付かせず俺を質問責めにする。彼女の赤の瞳は純度をますます増して、もはや真紅と言って良い程の光彩を放つ。……こっちだって聞きたいことは山ほど在るのに、それをさせてくれる暇もない。なにより、状況が悪い。体を密着して見下ろされるという今の状態は、著しく俺に不利であると斉しく思う。
「?、?、?」
さっきと同じように、無邪気な瞳で宇宙人は答えを待っている。彼女が頭を動かす度に、大きく伸びたうさみみが、ひょこ、ひょことこちらに向かって動く。それはおそらく俺の回答を少しも聞き逃さないためになのだろう。
「……昼寝」
うんっ、と宇宙人が頷く。
「……高校生」
俺は続ける。
うんっ。もう一度、宇宙人が頷く。どうやらこれがこの宇宙人の了解の合図らしい。
「…………………眠かったから」
俺が最後の問いに答えると、やはり、うんっ、と宇宙人は頷いた。しかし、我ながら馬鹿な回答だと思う。もう少し捻った返事をするべきではないだろうか。せっかくのファーストコンタクトなのだから。
「それで、昼寝って何? 高校生って? 眠かったって何?? どういうこと? ゆうじ?」
しかし、ぼんやりしていると矢継ぎ早にまた質問が投げかけられる。
……くそう、このままイニシアティブをとられっぱなしではまずい、と俺は思った。このままでは地球人の沽券に関わる。
「?、?、?」
宇宙人は先ほどと同様に俺の答えを待っている。このまま相手にだけ質問を許しては、向こうが問いを出し、こちらがそれに答えるという定式が成立してしまう。それではこちらの好奇心はいつまでたっても満たされない。彼女はそれを認識していないだろうがこれはこちらにとって不公平もいいとこだ。
「……」
俺はとりあえず、投げかけた質問には答えずにむくりと起きあがる。とりあえず、対等の位置に立たなければ。
……彼女の体の重量はたしかに素晴らしいものがある。
おっぱいだってディ・モールト(非常に)柔らかい。
だがしかし、これは威圧外交の一種だろう!
このままでは不平等条約を結ばされてしまう!
清国の二の舞だ!
(――西郷さん、桂さん、今はこげな日本の中で争っている場合ではなかととよ――)
誰かの声が頭に響く。
(……)
――結局。
――俺は最近日本の近代史で勉強したばかりの事例で、己を奮い立たせたのである。
「わ、わわ?」
……で、俺が起きあがると当然の結果として宇宙人の女の子は体勢を崩す。
「ぅおっと」
俺はとっさに両手で相手の肩を支えてやる。
「……」
宇宙人は差し出されるままにぽけーっと俺の手に捕まる。そしてそのまま俺達は立ち上がった。
「?、?」
宇宙人は驚いたように、俺と、彼女を支えるために伸ばされた俺の両腕とを交互に見る。俺は彼女の足が彼女自身をしっかりと支えたのを感じると、両手を離した。宇宙人が驚いたように自分の足と俺の顔を交互に見比べる。
……これで二人は対等な関係になったわけだ、よしよし。俺は心の中で思う。
「?、?、?」
そんな俺の様子を宇宙人は不思議そうに見つめていた。
「……それでは君の問いに答えよう」
彼女に指を突きつけながら芝居がかった声色で、俺は彼女に言う。これもこちらに少し余裕ができたせいだろう。俺は満足した。やはり、こうしたことは間違いではなかった。言葉を続ける。
「昼寝とは、昼間から眠ることだ」
うんっ。宇宙人は頷く。
「高校生とは、日本における身分の一つで、高等学校と呼ばれる機関に通っている生徒を一般にそう呼ぶ」
うんっ。
「眠かったとは、眠いの過去形で、過去形とは昔の事象であった事を示すための文法表現だ」
うんっ。
……なんか余り説明になっていないような気がするが、こういった根元的な疑問にとっさに答えることは難しいものなのだ。
「ちなみに、昼寝とは夜に寝ていたにもかかわらず昼にも眠ってしまうことを示す言葉であり、恒常的に夜に起きて昼に眠る生活を送っている人が眠っているのを指して昼寝とはあまり言わない」
さっきの答えではあまりにも回答になっていないように思えたので、俺は早口にまくし立てる。……ますます混乱させただけかも知れない。
うんっ。しかし、それでも宇宙人は俺の言うことにいちいち頷いてくれる。
……本当にわかっているのだろうか?俺は訝しく思ったが、
「そんなことより、君の名前は?」
気を緩めずに俺は質問する。彼女に付け入る隙を与えてはいけない。ペースをこちらに引き込む必要があった。
うんっ。俺の質問が理解できたのか、宇宙人はこちらを見つめて、つぅと、佇まいを正した。
そして口を開く。
「わたしの名前は、…○▼……△☆◆▽……って言います。ゆうじ」宇宙人が言う。
「……認識できません……」
……ある程度予想していたが、この宇宙人の名前と言うものは人間の耳ではとうてい聞き取れない発音であるらしい。
「……。じゃあ、あなたがつけて。ゆうじ?」
俺が困っていると、それを察したのか宇宙人はそう言って姿勢を崩して微笑んだ。
……むう。俺は考え込む。これは袖にしてはならない重要な依頼だろう。
「はやく、はやく」
ぼんやり考えていると宇宙人が急かしてくる。……ふと、一つの名前が俺の頭に浮かんだ。いやしかし、そんな安易な名前をつけて良いとは思えない。俺はその名前を頭の中から追っ払った。そしてもう一度考え込む。
「名前、つけて」
……再び催促される。俺はあれこれ考えてみたがどうもこれというのが浮かばない。もっと深く、もっと深く……俺はさらに考え込む。
「おねがい! おねがい!」
俺が目を下に向けて考え込んでいると、宇宙人はぴょんと跳ねていきなり俺の肩をつかむ。
「うわ!」俺は驚いて声を上げた。
「うわ? うわ? 名前?? なまえ、うわ?」
宇宙人は大きく口を開けて嬉しそうにはしゃぐ。
「ちがうちがう!」
……そんな変な名前を付けてたまるか。カンガルーじゃないんだから。
「じゃあ、なに?」
宇宙人は俺を見上げて言った。そして前後に腕を激しく動かす。つられて俺の視界がぶんぶんぶれる。
……ううっ、……体を揺するな。また口から妙な叫び声が出そうになってしまう。
このままでは俺の奇妙な叫び声が名前になってしまう。それだけは避けなければならないだろう。こんないい加減に名前を付けたことが上層部に知れたら、戦争の原因になりかねん。そうしたら……
(えーい、それはそれとして!)
……さっきの妄想が頭をかすめる。それを断ち切るために俺は頭をブンブン振ってみる。
ところが、俺の頭は彼女の手による横揺れと、俺自身の運動による回転揺れに晒されてくらくらしてしまう。これでは全くの逆効果だ。俺は頭を振るのを止めた。
「はやく、はやく!」
しかし宇宙人の揺さぶりは止まない。いや、ますます激しくなって来ている。このままではもう持たない。じきに、何か妙な声が俺の喉から飛び出すだろう。
そうなれば……。……思考は奇妙に循環しながら「俺の呻き」と言う終局へと向かう。その鎖を断ち切らなければならない。その為には蛮勇が必要だ。単純で力強い決断が。
「お前の名前はミミ! うさみみだから! ミミ! 名前 is ミミ!お 前の名前イコールミミ! ……ドゥーユーアンダスタン?!」詰まるところ、俺はやけになってこう叫んだのである。
……しかし、この名前だけはあまりに安直すぎるのでどうにかして付けるまいと思っていたのだが、こうなってしまった以上仕方ない。――……残念だ。
「??」
……気が付くと、いつの間にか俺の体を揺さぶる原動力はその活動を停止していた。
動きを止めた宇宙人の腕の先を目で追うと、彼女は冷たい瞳でじっと俺を見つめてる。
「……」
「……」
そして、ぽぉんっ、と両手を俺の肩から離す。
「……っと」
俺は少しよろめく。……結構、力が強いな。
「……」
「……」
怒ったのだろうか?? 無言で立ちつくすミミに俺は不安になる。やはり他人に安易に名前なんてものを付けてはいけない、俺はそう思った。
宇宙人は姿勢を正して、俺の眼をじっと見つめる。顔には真剣な表情が浮かんでいた。俺はそれに圧倒されて姿勢を正してしまう。
「……」
「……」
(……たしかに、名前は一生の問題だからな)
俺は相対する宇宙人の少女を見やりながら考える。悪いことをした。
(……だいたいうちの両親も「ゆうじ」なんてありふれた名前を付けやがって。きっとそのせいだ、俺がネーミングセンスと言うものが欠損しているのは)
……処刑されたらやっぱり両親のせいだ。そうだ、きっとそうだ。そうに決まっている。……裁判でそう言おうと俺は決心した。
ザッ。宇宙人が一歩後ずさる。俺は身構えた。緊迫した空気が周囲に張りつめる。
「……良い名前ですね。わたし、その名前気に入りました。ありがとうございます、ゆうじ」
……宇宙人は姿勢をすっと正すとまじめな顔で口を開く。
「……」
「ああ、そう、それなら良かった……」
俺は安易な名前を付けた気まずさかに沈黙し、それからもにょもにょと口ごもる。だいたいミミって何だ。幼稚園で飼っていたうさぎの名前か?
そう思っていると、どぉんと言う衝撃と共にミミが俺の胸に飛び込んで、体を密着させてくる。
「どうも、ありがとうございます!」
それからぱぁっとさっきの笑顔をもう一度見せると、俺から離れ、あたりを跳びはね回って大喜びした。
俺は彼女のそんな姿を見ながら安堵の吐息をつく。どうやら、気に入って貰えたようだ。……これで処刑や裁判は遠くのものとなった。
とにかく、これで宇宙人だの、彼女だの、宇宙人の少女だのと言ったしまりのない言葉を使わなくても良くなったわけだ。何しろ名前がわかったのだから。まあ、正確には俺が名前を付けたのであるが。しかし、やはりありきたりな名前だよな、と思う。しかし嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるミミを見ていると、それを言い出せる状況ではないことを俺は悟らざるを得なかった。
(やれやれ……)
まあ、良いか。俺はミミの名前に関しては全てを諦めた。
キーンコーンカーンコーン…………
そんなこんなで俺が一仕事終えて胸をなで下ろしていると、濁ったノイズの入った学校のチャイムがやかましく鳴った。
「ゆうじ、これは何? なんの音?」
ミミはそう言いながら、辺りをきょろきょろと窺って頭の大きな耳を盛んに動かす。どうやら何処から鳴っているのか確かめようとしているらしい。だがこのチャイムはそこら中に設置されているスピーカーから一斉に流れてくるのだ、わかるはずはあるまい、と俺は思った。
「……これはチャイムと言って、周りの人に時間を知らせるために鳴らされるものだ」
俺はこう答えた。チャイムで思い出し、俺は腕にはめている時計をふと見てみる。……1時25分。つまりさっきのは5時間目が始まる予鈴のチャイムか。
……5時間目くらい顔を見せた方が良いかな……。俺は郁子や彰と言ったクラスの友人の顔と、古典の生田の厳しい顔とを代わる代わるに思い出しながら考える。
しかし、ミミがいる。この問題はどうしたものだろうか。ここで別れても良いが、それではあまりに惜しすぎる。こんな機会など、絶対に二度はない。俺はもっとミミと話がしたかった。いろんな事を聞きたかったし、いろんな事を教えてあげたかった。
「むぅ……」
考える間にも時間は過ぎて行く。それにしても、教育の慣れというものは恐ろしい。なんで、俺はここまで逡巡しなければならないのだろう。このまま、ミミといろいろ話をしていた方が楽しいに決まっているのに。一度思い立つとどうしてもこの授業には出なければならないと言う気がするのだ。何か良い思案はないだろうか。
「……」
「……」
「???」
俺が考え込んでいるとミミが俺を見つめていた。
「??」俺はミミの顔を何となく見てしまう。
にっこり。
ミミが微笑む。
「なんだ? なんか面白いのか?」
俺はミミに聞く。
「ゆうじって」
言いながら、ミミが顔を近づけてくる。
「ぼーっとするの、好き?」
「!!」
む、むむむむ! 俺は別にぼーっとしているわけではない。あくまで考え事をしているのだ。しかし、良く彰や郁子にもそんな事を言われることは事実である。そうするとやっぱり外からは、そう見られてしまうのだろうなぁ。あんまり嬉しいことではない。しかも、その割には大して賢い行動が自分で出来ているとは思えない。さっきまでの行動を思い返し、俺はそう思った。
しかし、初対面でそれを見抜くとは、慧眼恐るべし。だが、しかし……。
「?、?、?」
……気がつくとミミは興味深そうに俺を観察している。どうやら、
(またぼーっとしていたらしい)
やれやれ。俺は心の中で溜息を吐いた。……どうにかならんものか。しかし、困った。
(……まあ、いいか、生田には後で宇宙人がかくかくしかじかとでも報告しておけばいいだろう。やっぱり、こんな機会を逃す手はない)
あれこれ考えるだけで時間を無駄にするのなら、考えない方がましだ。結局、俺はそう決心した。
「?、?、ゆうじ、どうしたの?」
ミミが心配そうに尋ねてくる。
「いや、なんでもないよ。それより、俺は君のことが知りたいな。良かったら、もっと君のことを教えてくれないか?」
俺はミミに言う。もう決心したんだ。今日はとことんまでミミと付き合おう。
「うん! いいですよ!」
にっこり頷いて、ミミがぱぁーっと駆け寄ってくる。やはり笑うと可愛い。さて何を質問しようか、えーと、まず定番としては『何処の星から来たのか』からかな。