出会いと好奇心
この学校から5キロぐらい離れたゴルフ場に宇宙船が降りてきてから、もうかれこれ2ヶ月になる。宇宙船が降りてきてからというもの、日本政府や国連はその対応で大わらわで、この街のホテルを借り切ってそこを前線基地に、少し離れた県庁所在地に対策本部を設置して彼らと交渉を続けている。しかし、相手が友好のジェスチャーを示している以上、こちらとしても非常警戒態勢や戒厳令と言った頑なな態度を採るわけには行かず、また、「宇宙人がやってくる」なんていう前代未聞の出来事にどう対処して良いかなんて誰にもわかりようもなく、日本政府は周辺住民に対して、辺りを物珍しそうにうろつく宇宙人達に関わらないよう、そして宇宙船の半径1キロ以内に近づかないように、特に彼らをむやみに刺激しないように注意を勧告するに留まっていた。
まあ、未曾有の事態に対しては、やっぱりこの国の政府の反応は鈍かったという事を実際に証明することになったと言え無くもないだろう。しかし幸いにも「宇宙からもたらされた人類に破滅的な害をもたらす未知のウイルス」なんてものは科学者の綿密な調査の結果、――それより先に宇宙人自らそう申告していたのだが――見つからず、このことは全世界の人々をとりあえず安心させた。それに宇宙人は驚くほど容姿が人類に酷似していたのである。似ているものには基本的に人間という生き物は気を許すものだ。もちろん似ているからこそ怖いのだという考えもあるにはあるのだが。
しかし、「どうせなら学校を休校にすれば良いんだ」と言うのがこの宇宙船が学校にほど近い場所に降りてきてしまった可愛そうな学校に通う生徒達の本音であっただろう。授業をサボって校舎の屋上でうたた寝をしている2年生、川村ゆうじもまたそう思っている内の一人であった。って俺のことなんだけどな。
「んっ」
俺は横になったまま体を伸ばした。そうするとうたた寝で凝り固まった全身の筋肉がほぐれてゆく。体の位置がずれ、6月を半ば過ぎたもはや夏と言って良い程の強力な陽光に晒された床が、半袖の俺の肌に直に触れる。
「っあちぃ……」気温はそれほど高くないのに、やはり太陽というものは偉大なんだなーと俺は思った。しかし、こうしてしばらく熱い床に我慢して体をつけていると、床の熱が肌に吸われてゆく感じがしてそれが何となく心地良いのだ。俺は思う存分そんな感触を愉しみながら、目を閉じて今何時間目だろうとぼんやりと考えてみた。
「……」
しばらく考えてみたが、どうにも思い浮かばない。思考がまとまらないと言うのはこのことを指すのだろう。しばらく悩んでいるとやがてまた眠気が再びやって来た。
(別に抗う必要もないだろう)
そう思い、俺はそれに身を委ねる。
「……」
体が深いところに落ちてゆくような感覚。眠りが近いのを感じる。しかしそれを妨げるように突然、何かが俺の視界を横切った。
(???)
目を閉じていてもこの強い日差しの下では、視界の明暗というものはわかるものだ。最初は鳥かなにかだろうと俺は思った。この学校の上空にはよく海から鳶が飛んでくるので、きっとそれが日差しをかすめでもしたのだろう。俺は一人で納得し、ふたたび微睡み始める。
しかし、それはどうやら違うらしかった。
2度、3度。その影は何度も俺の視界を遮る。まるでこちらの様子をうかがうかのように。
(……??)
余りの頻度に俺が訝しく思っていると、4度、5度。俺の閉ざされた赤の視界の中で影が踊る。
前触れ無く横切り、静止し、また現れ、大きくなり、小さくなり、ふいに消える。
そしてもう一度。前触れ無く横切り、静止し、また現れ、大きくなり、小さくなり、ふいに消える。今度はリズムを変えて。それが何度も何度も。その影が俺の体を撫でてゆくのが、皮膚の感覚でなんとなくわかる。そしてその動きに呼応して近づいたり遠ざかってゆく微かな足音。緩やかな風に混じる忍び笑いの声。
(……聞き慣れない声だな)
俺はぼうっとした頭で考える。どうやら、誰かが寝ている俺の周りを走り回っているらしい。しかも声の調子から考えると、走り回っているのはどうも女子の様だ。しかし、人の周りをぐるぐる回ってくすくす笑うなんて、余り良い趣味の持ち主とは思えない。いったい誰だろうか。そんなことを考えている内に俺の眠気はどこかに吹き飛んでしまった。好奇心に駆られてそっと薄目を開けてみる。
――陽光が眼に痛い。と思っていると、視界を影に遮られた。今度は近い。誰かが自分のすぐそばに立っている。俺はそう知覚した。体を動かさずにその方向に薄く開いた視線だけを向ける。確かに誰かがすぐそばに立っていた。ぼんやりとした視界の中で俺はそれを確認して満足する。俺の予想は間違ってはいなかった。
次に俺はその人影が誰であるかを確かめてみることにした。するとまずこの人影がうちの学校の制服を着ていないことに気がついた。うちの学校の制服は紺のごく地味なブレザーだが、その人影が身につけているものは黄色系統の、それも、とびっきり派手な色のジャンプスーツであるようだった。こんな服は派手好きな音楽教師の朝倉だって着ないだろう。さらに顔を覗き込んでみる。残念ながら顔はちょうど逆光になっていて伺うことは出来なかった。しかし、そこで俺は妙なことに気がついた。その人影の頭から2つの長細い突起が上に向かって伸びているのだ。
(何だぁ?みょ~な頭飾りだなぁ)
まるで子供が縁日でつけている光る飾りの付いたカチューシャみたいだなと思っていると、それが不意にぴくぴくっと動いた。
(耳?)反射的に俺はそう認識する。その瞬間、人影は足を嬉しそうにタンッ! と鳴らすと、身を翻して俺の視界から遠ざかっていった。
(なんだなんだなんだ?)今のはいったい何だったのだろうと俺は思った。あの妙な衣装にあの耳……。あの姿を思い出して考えてみる。……すぐに一つの答えに行き着いた。
(宇宙人?)
どうやら昨今この世界を騒がせているあの珍妙なうさみみ宇宙人と俺は接触しているらしい。なるほど、さっきまでの奇妙な行動もそれならば納得が行く。つまり、あの宇宙人は俺に興味を持って観察をしている真っ最中なのだ。
「……」
さてどうしよう。今俺が相対しているのが件のうさみみ宇宙人だとすると、これは一大事である。まさか俺もこんな学校にまで宇宙人が入り込んでくるなんて考えもしなかった。学校や政府の報道で彼らには関わるなと注意もされていたし、宇宙人の恐怖を煽るようなマスコミ報道もなされていた。実際、俺も怖くないと言えば嘘になる。しかし、そんな恐怖感をかき消すほど俺の心は高揚していた。いや、正確にはドキドキしていた。
これからどうなるのだろう。
これからあの宇宙人はどんなことをするのだろう?
好奇心が心の奥からあふれ出してきてどうにもこうにも止まらない。
で、結局しばらくの思案の後、
(……しばらくこのままじっとしていよう)
俺はそう結論を出した。
そんなことを考えている間も宇宙人の姿はチラリチラリと視界に入ってくる。それに伴い影が俺を撫でるように、幾度無く交錯するのがわかる。それがなんだかくすぐったくてしかたない。しかし全身の感覚はその影に集中させる。向こうも俺の周りを回りながら神経をこちらに集中させているのがわかる。しばらくそんな緊張感のある(と俺が勝手に思っている)水面下の折衝が続いた。
やがて宇宙人はそんなことに飽きたのか、ぐるぐる回る輪の半径を次第に狭めてきて、ついにはおそるおそる俺に近づいてきた。ねっころがる俺の頭のすぐ横で立ち止まると、顔をしげしげと覗き込む。俺も宇宙人の顔を薄目のまま仰ぎ見た。しかしくやしいことにこっちは逆光と薄目のせいで、向こうの顔が良く見えない。
「……」
やがて、うさみみ宇宙人はすっと座ると、俺の顔に自分の顔を近づけた。2つの耳がタパタパと揺れる。その時俺は初めて相手の顔を見ることができた。
まだ形の整った若い女の子の顔だった。過度で過剰な報道のおかげで俺は宇宙人には人間と同じように男女の性別があることを知っていた。だから今、顔を近づけているこの宇宙人は女性なのだろうと俺は悟った。そう言えば盗み見た宇宙人の体躯もどことなく華奢だった。そして今こうして見ると、体にフィットしたたんぽぽ色のジャンプスーツからは、淡く膨らんだ胸も確認できる。俺に向かって大きく見開かれた赤いつぶらな瞳。それを彩る雪白の肌。頭を飾る長く伸びた白亜の耳。そして生成色のまっすぐな髪。
「……」
宇宙人は俺が想像していたよりも遙かに人間に近かった。いやそれよりも。
(……美人だな)と俺は心の中で思った。人間にだってこれほどの美貌の持ち主はそうそういないだろう。こちらにじっと向けられた赤い瞳は確かに異彩を放っていたが、どちらかというとそれは彼女を魅力的なものに見せていた。俺は薄目のまま宇宙人の顔を眺めやる。見れば見るほど人間にそっくりだ。いや、頭から飛び出た長い2つの耳と真っ赤な瞳さえなければ、人間と別段変わったところはない様に思えた。
向こうは円らな瞳でじっと俺の眼を見つめている。俺も自然と彼女の目を見る。そのまましばらく時間が流れた。
「……」
「……?」
唐突に動きがあった。うさみみ宇宙人はゆっくり目線を俺に近づけてくる。
「……」
「……」
宇宙人の顔が迫る。赤い瞳は俺の視線から外れることなく、ゆっくりと、ゆっくりとその距離を狭めてくる。
「……」
「……」(じ~……)
(ひょっとして、狸寝入りがばれている?)ふと、そんな考えに俺は至った。
「……」
「……」(じ~……)
「……」
「……」(じ~……)
「……」(汗)
……やっぱり狸寝入りをして事に気付いているようだ。うさみみ宇宙人はにじり寄ってくる。……いったい俺をどうするつもりなのだろうか?俺は不安と好奇心で彼女から目を離すことが出来なかった。
「……」(じ~……)
「……」(じ~……)
しかし、視線が痛い。と言うより、くすぐったい。まぶたがぴくぴくする。それに薄目をずっと開けていたから眼が乾燥してきた。……まばたきがしたい。
しかし、そんなに顔を近づけるのはちょっと犯罪じゃないですか?このまま行けば最終的にはあなたのお口とわたしのお口がくっついてしまうのではないでしょうか? 俺は微動だにしなかったが、内心ではしちゃかめっちゃかに慌てていた。
「……」
「……」
あいにく、俺の心の叫びはまったく彼女には聞き入れられなかった。宇宙人はますます顔を近づけてくる。もう目前に迫ってきている。いいかげん、俺の体がくすぐったさに耐えかねて小刻みに震えているのが自分でもわかった。もしかしたらずっとこうだったのではあるまいか。……もう限界だ。俺は観念して目をぎゅっと閉じる。と同時に床に着けていた両手に力を込めた。
「!!」
俺は寝転がったまま体中の筋肉を使って、全速力で後退し、彼女の視線から逃れる。そしてすぐさま半身を起こすと、何が起きたか理解できていなくてびっくりした様子の宇宙人を背後から両手を伸ばしてしっかりと抱きかかえた。
「つかまえた!!」
俺の勝利の叫びが辺りにこだました。が、捕まえた拍子にバランスをくずして、俺は彼女を抱きかかえたまま背中から倒れ込む。
「わ、わわ」その衝撃で彼女がなにやら叫んだ。
しかし、そんなわずかな痛みぐらいでは俺はへこたれない。彼女を抱きしめたそのままで仰向けになる。彼女の重さが心地よくて嬉しくなってしまう。
「ふふふ、甘く見たなッ!すでにお前は俺の射程距離内にいたのだッ!!」
妙な言葉が口から漏れてしまう。実際俺はこの時、狂騒の渦中にいたのだ。
回した両腕に少し力を込めてみると彼女の華奢な体躯が密着した体に直接伝わってくる。
そして鼻腔をくすぐる髪の良い匂い。思わずほわーんとなってしまう。
「ううぅ、とおちゃん、かあちゃん、俺はやったぁよぉ。オラこぉんなべっぴんのよめこをもろうただよー」
俺は彼女を抱きかかえたまま歓喜のダンスを踊った。――と言っても体をもぞもぞ動かすだけなのだが。それでも相手のたおやかな四肢の感覚がこちらに伝わってくる。それをもっと感じたくて、ぎゅっと抱きしめる。
「ぅわぁ」すると相手は甘い声を出してそれに答えてくれる。ますます俺はほわーんとなる。
ほわーん。
ほわーん。
(……あれ?)
しかし何か妙だ。俺は重要ななにかを忘れている。少し考えてみる。……思い出せない。いったい何を忘れたんだろう。俺が考え込んでいると、彼女はきょとんとした表情でに俺の顔を覗き込んで来た。長い耳がふらふらと揺れて俺の視界に入ってくる。
「あぁ~~」
俺は宇宙人を抱きしめたまま声を上げた。俺の突然の大声に宇宙人はビクッと硬直する。ようやく俺は自分がとんでもないことをしていることに気がついた。こんな所行は他の知的生命体とのファーストコンタクトの際にとるべき態度では、いや初対面の人間にだってこんな態度をとってはいけない。絶対にいけない。俺はこちらへ向けられた宇宙人の赤い大きな瞳を見つめる。
「……」
「……」
「……」
「……??」
「……やは、初めまして」ひきつったこれは俺のセリフ。
「……?」
「……」
「……?」
「やっぱり、駄目?」
「……?、?」
どうやら、宇宙人は何が起こったのかさえ理解できないようだ。まあ、俺もどうしてこんな事をしたのかいまいち理解できない。実に不思議だ。
「……」
……不思議と思っていてもやってしまったことは仕方がない。俺は抱きしめた手の力を緩めて行く。
「……ひどいことしてごめんよ。……もうしないから逃げてくれ……」
――キャッチアンドリリースが釣り人のマナーだ。俺はどこかで読んだわけのわからないことを思い返しながら無駄に疲れた声でそれだけ言うと、彼女を解放した。力を失った俺の両手が床に投げ出される。
俺は顔を横に背けた。
(あぁ……これで地球人の心象が悪くなって戦争が始まってしまうかもしれないなぁ。どうしよう……)
横を向いたままぼんやりと考える。
(許せ地球の同胞達よ。あぁ!恨んでくれてもいい。殺してくれてもいい。そうしたら川村ゆうじ、この川村ゆうじはこの身一身に罰を受けよう……)
そうなったらやっぱり戦犯として処刑されたりするのだろうか。なんだかお腹が痛くなってきた。
(さようなら、お父さん、ありがとう、お母さん。……ゆうじはあなたの息子として生まれて幸せでした)
……でも真剣に考えているとちょっと自分でも泣けてきた。
(……飼っている熱帯魚には毎日餌を上げてくれ。それと1ヶ月に一度は水槽の水を取り替えてくれ。ついでに3ヶ月に一度は濾材を交換してくれ。そうして一年に一度は魚を外に出して底砂利を洗ってくれ。それから俺の心の友である彰。俺が死んだら、俺の机の引き出しの3番目にあるエロ雑誌はみんなおまえのものだ。できれば親に気づかれないように回収してもらいたい)
……俺の頭はいつのまにか来るべき俺の処刑に際しての遺言を綴り始めていた。
(それから、郁子には幼なじみだから迷惑を掛けるだろうが、できれば老いた両親の面倒を見てもらいたい。話し相手になるだけでいい。この件に際しての罪はただ一人、ゆうじのみに在る。それを鑑みて、きっと湧き起こる世間の冷たい目からどうか守ってやってくれ……)
……遺言は進む。今まで俺はなんて親不孝者だったのだろう。こんなことならはもう少し親孝行をしておけば良かった。しかしそれはもう叶わぬ事だった。悲しくてたまらない。
親孝行 したいときには 俺はなし
……おまけに昔のことわざをうまく借用した辞世の句まで浮かんできた。しかもなかなかの傑作だ。
……しかしどこかで聞いたことがあるような気がしたので、俺はこれを自分の辞世の句として採用することを保留しておいた。――遺言と言うものはこの世で残す最後の言葉。すなわち、自分で満足できるものでなくてはならない。……と思う。俺は遺言を続ける。
「……」
「……」
(……ではさようなら!さようなら! ああ、優しかった両親! ああ、麗しく青く輝くの祖国! そしてああ! 愛おしき友たちよ!! あなた方の愛してくれた私はこれでおしまいです! ああ!!――しかし忘れないでください。私は、川村ゆうじは人類全てを、この世界の塵芥に至るまで全てを、全てを愛していたということを! ……本当に、心から愛していたのですッ!! そして今でも、愛していますッ! そして、いま、死を前にしても、この愛が止むことはないのですッ!! これをどうか、どうか、この遺言を読む人は、この私を知る人は忘れないでいただきたいッ!! それではさようなら! さようなら……)
……いつの間にか俺の遺言はロマンティックで疾風怒濤な空気に感染していた。いわゆる若気の至りという奴だ。
「……ふぅ」そして最後にため息一つ。こうして俺の完璧な遺言は終わった。しかし、
(どうして、まだ上に乗っかったまんまなんだろう?)
戒めは解かれ、既に自由に動けるはずなのだが宇宙人は逃げる様子もなく、ただぼーっと横目で俺の顔を眺めているだけだ。
「……」
「……」
……あの、逃げてくれないとせっかく頭の中に思い描いていた完璧な遺言が揺らいでしまうんですが。
「……」
「……」
……しかし、宇宙人が動く気配はなかった。
お、俺はもう死ぬ覚悟だってできているんだぞ!それこそ絞首刑から電気椅子から薬物注射まで! ……のこぎり引きだけは嫌だけど。あ、あと火あぶり系も。……。……んー、ギロチンは微妙かな。……って、ああ、だから、そんな風に苦しみを引き延ばさないでください! ……いっそ楽に……楽に……って――
「ぬぉ!!」この間抜けな声は俺の声。唐突に宇宙人が身をよじらせて俺の体の上でぐるりと半回転したのだ。服と服がこすれ合って大きな音を立てる。
ふに。
と、なにか柔らかいものが俺の胸に当たった。
(!!!!! ぬぉぅ! これはおっぱい!!)
俺がその感触にどぎまぎしているうちに宇宙人は回転を終えて、俺と宇宙人は寝転がった態勢で向き合う形になった。ぴょこんと飛び出た宇宙人の2つの耳が俺のすぐ目と鼻の先で揺れて、俺の視界を覆う。細かい毛で覆われた耳は俺の顔を直接撫でて、こそばゆかった。しかし、そんなことよりも。
ずるり、るり……。
服が互いにこすれ合う音を立てながら、柔らかな宇宙人のおっぱいの感触が胸の下から鎖骨の方へとせり上がってくる。
(……こりはたまらんッ!)
俺はおもわず全身の神経をそこに集中させる。さっきの悲劇の英雄きどりの気分なぞ、もうすっかり忘れてしまっていた。
「……」
……ずるり……ずるり……。
柔らかな感触の行軍は続いてゆく。俺はこの感覚を一生忘れないでいようと心に誓った。時よとどまれ、とすら願う。
……しかし、残念ながらにじり寄ってきた柔らかなおっぱいの感触は俺の鎖骨の少し下まで来ると、ふるん、と俺の体から離れてゆく。
(ああ、名残惜しい……)
俺はその感覚だけに心を奪われていたせいで、気にもしなかったが、ふと我に返ると、宇宙人の顔が俺と目線を合わせた位置で止まっていた。大きな赤い瞳がすぐそばでじっと俺の目を見つめている。
(あ、俺が写っているよ……)
俺はぼんやりと思った。……たしかに、宇宙人の瞳に俺の顔が写っていた。
「……」
「……」
……なぜか鼓動が高鳴る。……どうしてだろう?
……おっぱいが柔らかだったからだろうか?
それもある、だがそれだけではあるまい。
……体が密着しているからだろうか?
確かにそれもある。だがそれだけではあるまい。
……俺は宇宙人を見つめる。
宇宙人は俺を見つめている。
――そして少女は破顔一笑。
「はじめまして、こんにちは!」
彼女が初めて意味在る言葉をしゃべった。
「……」
俺はこんな可憐なジャパニーズは初めて聞いた。その言葉は俺の言語中枢を揺さぶり脳内に甘く反響して、俺をどこか、遙か彼方に運んで行く。
「……」
「?」
向こうはじっと俺の返事を待っている。自分の話した言葉が実際に通じるのか気になって気になって仕方ないような、そんな顔をしていた。
「……」
しかしなんて可愛い顔だろう。期待とほんの少しの不安に満ちた顔。それは人間と少しも変わることはない様に思える。
「?、?、?」
……この人の、悲しそうな顔は見たくない。何となくそう思った。汗ばんでいた拳をぎゅっと握りしめる。
「……やあ、はじめまして」
俺はなるべくゆっくり宇宙人に向けて言葉を発した。それは相手のことをおもんばかったと言うよりも、むしろ自分の心の動悸を押さえつけるためだった。
そして俺は言葉を続ける。
「地球へ、ようこそ」
そう、それが始まり。
俺は、この宇宙人に恋をした。