第15話 襲撃者の正体 2
「気が早い子は嫌いじゃないわよ」
俺のすぐ背後で、そんな甘い声が耳朶を撫でた。
「おまっ……!」
テレポートで千メートルもの距離を離れたはずの女がすぐ背後にいた。
当たり前だ、千メートル離れた場所にテレポート出来るなら千メートル離れた俺の元に再度テレポート出来るのも道理だ。
物理的に距離が離れたことで、もう俺たちに興味がないと、自分本位に高を括っていた。
俺はすかさず、持っていた短剣を振り向きざまに斬り下ろす。
だが、女には当たらなかった。女の前には金色の結界。その結界が俺の短剣を容易に弾いた。
「くっ……」
「まぁまぁ……そんなにはしゃいじゃって」
女は楽しむように舌なめずりをする。だが、俺に攻撃を仕掛けて来ようと身構えていない。それほどまでに余裕綽々ということなのか。
「あんた何者だ」
「あなたのことを知っている人間よ」
「……」
俺は、押し黙る。
「俺自身のことは俺が一番知ってる」
「そんなことはないわね。私の方があなたを知ってるわ」
話が全く進まない。水掛け論だ。
「お前があーちゃんたちに魔法をかけたのか」
「そうよ。早くしないと死んじゃうわよ」
ふふふ、と昏い微笑を湛えながらも、それ自体が些末なことであるかのように、そう言った。
「解除しろ」
俺は語気を強め、短剣を女の喉元に向ける。だが、女は全く動じない。道理だろう、俺が突き刺そうとしてもまたあの結界が発動するだけだ。この女がこの距離で再度風魔法を発動すれば俺も無事ではいられない。が、何故か女は何もしない。
解せない。
俺をからかって遊んでいるのか? 度し難い悪癖だ。
「自分で解除するといいわ」
女はそう言い張る。本当に、会話が出来ない、続かない。
「もういい!」
俺はあーちゃんたちの命のリミットとこの女と話し続けることの利益を斟酌し、女との会話を打ち切るため、短剣を女に突き刺した。
だが、予想通り女には短剣は届かない。直前で、金色の結界に阻まれる。
「ふふふ……無駄よ」
女は余裕のある声で俺を睥睨している。何故あの距離からは風魔法を放ってきたのに今は全く放ってこないのか。今風魔法を行使されればあーちゃんを守るため、あえなく遁走するしかないが、全く魔法行使の予兆も感じられない。
魔力を使い果たしたのか……? いや、そう考えるのは早計だ。風魔法を放つ魔力が残っていないと考え女の警戒をしておくことは必要だ。警戒していれば放たれた瞬間にもあーちゃんたちを抱え遁走するが、反撃されないからには俺は攻撃を繰り返すことが必至だ。
俺は何度も何度も女に短剣を突き刺す。
「壊れないなら、何度も突き刺すだけだ!」
女は結界に何度も突貫する俺の様子を睥睨し、少し不満げな顔をする。何度も突き刺された結果、結界にひびが入った。女はそれを契機に俺から少し離れ、俺と目を合わせた。
「気に入らないわね。私はあなたが記憶を戻さない限りはこれからも何度もあなたの命を狙うわよ」
そう言って踵を返し、悠然と歩いて行った。
一体何だったんだ。遠くからの風魔法だけをして、俺の短剣の刺突にも顔色一つ変えず反撃も遁走もしなかった。
解せない。全く分からない。
だが、今はあーちゃんだ。
俺は、あーちゃんと双子たちの元へと走って戻った。
「あーちゃん、双子さん! 大丈夫か!」
「「「…………」」」
――誰も、返事をしなかった。
「おい! あーちゃん! 双子!」
「……い……生きてるにゃ……」
ゴホッと血を吐き、あーちゃんが返事をした。
「生きてるなら早く返事をしろ!」
俺の問いかけに暫く口を閉ざしていたあーちゃんに少し腹が立ち、体を揺さぶった。
「あ……あんまり揺らすにゃ……これは盗賊スキル≪仮死≫にゃ……こいつらも今……使ってるにゃ……いつか教えて……や……」
何故か俺に返事をするのにしばらく時間がかかったあーちゃんは、仮死状態になっているようだった。見れば、双子は目を閉じ、仮死状態と言われても分からないほどに微動だもしていない。つまりはコールドスリープということなのだろう。
「わ……悪い。体調はどうだ? 治りそうか?」
「……全然大丈夫じゃないにゃ……ミスト……たすけ……」
あーちゃんは俺に助けを求める。
俺が、俺がやるしかない。
だが一体どうすれば。
いや、今は霧を振りまいていた魔物がいない。霧が晴れている。これならあーちゃんと双子を担いで帰ることが出来るんじゃ……。いや、駄目だ。霧が晴れていても俺は帰り道が分からない。あーちゃんたちに教えてもらおうにもこの状態で道案内が出来るとは限らない。やはり俺が、ここで何とかするしかない。
だが、一体どうすれば……俺は刃こぼれした短剣をベルトにつけながらも、考える。すると、短剣を戻すまでに、固いものに手が当たった。
サイドポーチに収納されていたスキルブックだ。
俺は即座に思いついた。この中のどれかのスキルを使用すればなんとかなる、と。
幸運にも、俺は多数のスキルが使える。その中に治療スキルが……。
俺はスキルブックの中でも治療系スキルのページをめくった。だが、治療系スキルは――
全く輝いていなかった。
治療スキルは使用できない。
どうすればいい、どうすれば……。俺が頭をフル回転させていると、あーちゃんがまた血を吐いた。
「ミスト……お前魔物あんな簡単に……強い……にゃ……」
「なんで今なんだ! 後でいくらでも褒めてくれ!」
あーちゃんは、最期の言葉を俺に託すかのように、口を開いた。
何か、何か。
仮死状態で病状を和らげようとしているあーちゃんに、双子。なら……
俺は必死にスキルブックをめくる。戦闘系スキル、補助系スキル、治癒系スキル、生活系スキル、様々なスキルがあり、俺は様々なスキルが使えた。
が、今の状況を打開してくれるようなスキルは全く輝いていなかった。
くそ、くそ……俺はスキルブックをめくる、めくる、めくる。
だが、最終ページに達するも、結局は期待されるようなスキルは取得していなかった。
終わった……。あーちゃんは死ぬんだ、ここで死ぬんだ。
そう思うと、涙があふれてきた。その俺の様子を見たあーちゃんが、俺の頬に手を添えてきた。
「何泣いてるにゃ……冒険者はよく死ぬ生き物にゃ……」
「で……でも……」
俺は泣きながらも、あーちゃんに目を落とす。
「あぁ……最後にはお風呂くらい入りたかったにゃ……」
あーちゃんは死を覚悟したのか、最期の望みを言う。
「そんな……そんなこと言うなよ……」
俺は反駁する。人は、死を覚悟した瞬間に生きるという選択肢を失ってしまう。生きというる意欲がないと生きることは出来ない。
あーちゃんはそんな一言と共に、髪の色が急激に落ちていった。死を想起させる言葉を自ら放ったことが原因で髪の色が落ちたのかもしれない。
くそっ……もうあーちゃんを死なすことしか出来ないのか……。
俺は歯を食いしばる。食いしばる力が強すぎたことが原因で、口から血を流す。
あーちゃんの最後の願いを叶えるべきなのか……。
俺は下を向き、大粒の涙を流し、拳を強く握りしめながらあーちゃんの先程の言葉を反芻する。
――お風呂くらい入りたかった。
その言葉が脳内を駆け巡り、俺は途端に思いついた。
俺がお風呂にすらなれるんじゃないかと、そう呟いたスキル≪所持品箱≫
病状を遅らせる仮死。それと似た効果を持つスキル。
あーちゃん曰く、アイテムボックスの中は時間の流れがない、と。熱々の味噌汁を入れれば次いつ取り出したとしてもまだ熱々のままだ、と。
ならば、あーちゃんをアイテムボックスの中に入れても問題はないんじゃないんだろうか。幸いにも俺のアイテムボックスは熟練度最高、あーちゃんの一人や二人は余裕で入る。
思いついた俺は即座にアイテムボックスを起動し、あーちゃんを担いで入れた。そして仮死状態の双子たちも。
そして、アイテムボックスを異空間に戻そうと声高に叫んだ。
「アイテムボックス、クローズ」
すると、アイテムボックスに光の粒子が集まり、アイテムボックスが異空間に収納されるようなことが
――起こらなかった。
もしかしたら、と思いついたまでは良かったが、やはり生を持った者を異空間に収納するような奇天烈な発想は不可能だった。
あぁ……万策尽きた。
俺は、アイテムボックスの前で無力に立ち尽くしていた。