再び-9
「ちょ、だ、大丈夫? 朧丸!」
そんな、今にも希望を失いそうな朧丸を、ここにいると聞きつけて様子を見にきたアリスが拾い上げて声をかけた。
「アリス殿……お主は、かなりまともな方だったのだな……拙者のご主人に慣れ慣れしく纏わりつくちょこざいな女だと思っていたが、拙者が間違っていたでござる」
「朧丸……そんなこと思ってたんだ」
今すぐ捨てようかとアリスは薄目になったが、さすがに怪我をしていたので、食材を置いてあったテーブルの上へとそっと置く。
「それで……二人はどうして争ってるの?」
「おお! 良いところにきおったアリス! お前も一言言ってやってくれんか⁉」
「アリス……どっちに味方すべきかあんたならわかるわよね?」
そして、パルナの右側の頬が引っ張られ、フラウの両側の頬が両手で押し込まれた頃合いで、二人はアリスの存在に気付く。
「ボク魔族だけど……フラウさん助けてほしいの?」
「ふふん、前までの妾だと思うなよ? さすがに……お主がどれだけ周りから信頼されているのかくらいはわかる。あと……魔族だからといって低俗な連中とは違うということもな」
改めて言葉にするのは気恥ずかしいのか、フラウはもじもじとしながら頬を紅潮させた。
身分の差を気にせず勇気を出して言葉にしてくれたのが伝わると、アリスは太陽のようなはにかんだ笑みを浮かべた。
「ちょっとアリス騙されてんじゃないわよ! そう思わないのが普通なのよ! むしろ今まで魔族だからって低俗な連中と一緒だと思ってたんだ~って怒るところよ!」
「パルナさんが言うんだ……それ」
アリスがジト目で見つめると、パルナは餅で喉を詰まらせたような顔で視線を逸らす。
「む、昔の話じゃない! 昔の話!」
「ほほぅ? それなら妾の差別も昔の話じゃし、責められる筋合いはないのぉ?」
その反応を見てつけこむ隙を見つけたからか、今度はフラウが嫌味な笑みを浮かべた。
「もしかして……まな板がないから取り合ってたの? まな板ならここにあるよ?」
セイジから詳しく施設内部のことを聞いていたアリスは、キッチンのテーブル裏にあるボタンを押し込むと、調理台の上に透明なプラスチックで作られたまな板と、切っ先が鈍くも美しく光る包丁を出現させる。
そして、パルナとフラウが使っていたものを指差し「それ、キッチンの飾りとして置かれているものだよ?」と、衝撃の真実を告げた。
「さ、さすが旧文明の施設……なんか古臭い包丁だとは思っていたが、まさかただの飾りとは」
「今度からこれを使うといいよ……まあそれはそれで置いといて」
旧文明の調理器具を前に目を輝かせるフラウを横目に、アリスはすぐさまパルナの顔をジッと見つめた。あまりにも真っ直ぐな視線に、パルナは思わず目を逸らす。
「パルナさんはこんなところで何をしているの? セイジさんが……やらなければならないことがあるって言ってたけど。もしかして……これ?」
「な、何よ……文句あるの?」
「ううん、もし本当にこれがパルナさんのやらなければならないことなんだったら、良かったと思って。パルナさん……ボクのせいでクラスチェンジしなかったから、これからどうするべきなのか悩んでるのかと心配してたんだ」
「……アリス」
そう言いながら笑顔を見せるアリスに、パルナはどこか思い詰めた顔で頭を撫でた。
「ま……悩んでないって言ったら嘘になるわね。そりゃ、役にたとうと思えばあんたやそこのお姫様みたいにやれることは色々あるとは思うけど……」
そこまで言葉にして、パルナは口を閉ざした。
自分は守る側の存在であって、クラスチェンジをしなかったのはアリスを大事にする気持ちと、守りたいと思う気持ちを失わないようにするためだった。なのに、その守るための力がないのでは本末転倒で、結局何がしたいのかわからない中途半端だったから。
「やっぱ、諦めきれないのよね……どうにかして戦う力を手に入れられないかって」
「パルナさんは充分強いよ! スキルだって持ってるし……色んな魔法使えるし!」
「ありがと……でも、実戦になれば鏡やロイド、それにレックスについて行くことは絶対に無理。私の魔力じゃ……デミスにダメージだって与えられないだろうし」
「よくわからんことを言うなお主」
すると、聞き耳だけはたてていたのか、調理を始めようと置いてあった食材を片手にフラウが心底不思議そうに首を傾げた。
「何がよくわからないってのよ」
「確かに鏡やロイド、そして……クラスチェンジを終えたレックスは巨大な力を手にしたが、奴らは基本的に接近戦がメインじゃろ? ロイドとやらはよくわからん技で遠距離攻撃もできるが……魔法じゃない。お主は魔法使いじゃろ? 充分あの三人にはできないことができるはずじゃ」
「そ、そうだよね! フラウさんだって僧侶だから、皆の傷を癒すことで役にたってるし!」
まさにその通りだと、アリスはフラウの言葉を称賛するが、パルナの表情は曇ったままだった。
「魔法ならクーちゃんが使えるわ……それも、あたしより高威力の魔法をね。クラスチェンジで……もっと強い魔法が撃てるようになったみたいだし」
「なんじゃ……つまりあれじゃろう? 自分だけにしかできないことがないから悩んでいるんじゃろう? 贅沢な悩みだ……よっぽど妾より我儘だと思うがのう?」
「そうじゃ…………ないわよ…………」
言葉では否定しながらも、結局はそうなのかもしれないと、パルナは顔を暗くする。
何もかもが中途半端だったからだ。
アリスをデミスから守るだけの力もなく、サポート面でも少し回復魔法が使える程度で自分は戦いにおいて大きくは貢献できない。かいがいしくフラウやアリスのように皆のお世話をするのも悪くなかったが、それは結局誰にでもできることだった。それも、フラウのように僧侶としての高い回復力もなければ、アリスのように皆を元気にさせるような笑顔を浮かべることもできず、どちらにしろ中途半端。
自分で言うのは悲しかったが、これが何かの物語であるならば、自分はきっとスポットライトを浴びることのない複数いる脇役の一人にすぎないのだろうと考えてしまう。
せめてヒロインになれればと、ずっとレックスにつきっきりでサポートし、こうして料理を作ろうとしているが「あたしは何をやっているんだろう?」という疑問が拭えない。
「お主はクルルにもできないことができるじゃろう? それをやればいいではないか?」
「あたしが? 言っとくけど、あたしが使えるような魔法は大体クーちゃんは使えるわよ?」
「スキルがあるではないか? レベル100を超えた者にだけに与えられる特殊な力が。お主のスキルはクルルと同じというわけではないのだろう? 見たことはないが」
「……被ってはないけど」
「ならそれでなんとか活躍できる方法を考えてみればよいではないか? 案外見つかるかもしれんぞ? あの生意気なツインテール……ティナとやらも、今回の戦いの鍵になっておるが、自分でも最初、こんな風になるとは思っていなかったらしいではないか。考え方次第でどうにかなるのではないか?」
「簡単に言うわね」
呆れた顔を浮かべながらも、パルナは言われたとおりに深く考える。
しかしパルナのスキルは、他人の身体を自分が持っている杖のように媒体にして魔法を放てるだけのスキルであり、他人の魔力を使えるとはいえど、魔法の威力はパルナが自分の身体から放つものと変わらない。
「……あれ?」
そこでパルナは矛盾に気付く。魔法の威力とは、魔法に込められる魔力の精度、いわゆる知力に大きく影響する。だからこそ、いくら他人の身体を経由しても魔法の威力が変わらないのだ。
だがそれは、一発に込められる魔法に限った話である。
魔法の発動は、発動に必要な魔力量さえあれば発動可能で、パルナがよく使う氷の刃を雨のように放つ魔法も、魔力消費の少ない氷の刃を複数連続で発動して、別の魔法のようにみせかけた応用魔法。
無論、魔法の発動時は無防備になってしまうため、優秀な魔法使いは魔力を一発の魔法に込めて撃ち放ち、敵との距離を探りながら戦う。
やろうと思えば、氷の刃を雨のように降らせる魔法も、任意で魔力が続く限りは打ち続けられるが、誰もそんな馬鹿な真似はしない。敵に攻撃が当たり続けるなんてことはないからだ。
だが、どれだけ隙だらけで来るのがわかりきっている魔法でも、当たるのであれば――、
「魔力の量だけ……ダメージを与えられる?」
「……パルナさん?」
突然、何かに気付いたのか目を見開いたパルナに、アリスが心配して声をかけると、パルナはエプロンと三角巾を脱ぎ捨ててキッチンから立ち去ろうとする。
「ごめんアリス! ちょっと代わりにやっといて! 皆のご飯を作るだけでいいから!」
そしてそれだけ言い残すと、パルナは通路へと出て、トレーニングルームのある方へと走っていった。
「せわしないでござるな。こういうのを情緒不安定と言うのでござろうな」
テーブルに身体をべったりとくっつけた気力のない体制で、パルナが立ち去ったドアを呆けた顔で朧丸が見つめる。
「変な奴じゃの……レックスを取られたくないから妾と張り合っておったのかと思ったが。突然いなくなりよって……ま、これで気兼ねなく腕を振るえるというものじゃ」
同じく呆けた顔を浮かべながら、フラウはヤレヤレとため息を吐くと、これで気兼ねなく料理ができると上機嫌になって包丁を握りなおした。
「……ありがとう。フラウさん」
「な、なんじゃ? 妾は別に普通のことしか言っておらんわ! ええい! そんな笑顔でこっちを見るでない!」
そんなフラウを、アリスがニコニコと笑みを浮かべながら見つめる。
恐らく自分では優しい言葉しかかけられず、パルナに気付きを与えられなかっただろうと、アリスはフラウの手を握って改めて感謝を伝えた。
その後、アリスはフラウを手伝う形で共に料理を行う。しかし、何度作っても苦笑いを浮かべるしかないほどの料理しか出来上がらず、結果的にアリスが作ることになった。
なお、失敗した料理は朧丸が全て美味しくいただいた。
そしてその日、朧丸の姿を誰も見かけることはなかった。




