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神隠しの舞台となっている幸山神社のイメージ写真を載せました。
美しい大地に不快な駆動音が聞こえてくる。三人は荷物を満載したトラックに乗っていた。周りは鬱そうとした竹林だったはずだ。しかし、彼らがいる場所は見慣れた神社ではない。いつの間にか地平線も見えないような大草原に移動していたのである。彼方に浮かぶ紅い陽が美しい。まだ夕方といえない、やや沈んだ陽が大地を照らしていた。陽の方面には息を飲むほど美しい絶景が広がっている。日本では絶対ありえない、巨匠の絵画にも劣らない雄大な草原である。小さな湖が点在している。
「ふむ、思ったよりより一瞬だったな。というより、気が付いたらここにいましたという感じだ」
「う、うん。私はてっきり、昔の映画にあったみたいな時空がねじ曲がって虹色の宇宙へ飛んでいくような光景が見られると思ってました」
「ほほう、それは「二〇〇一年宇宙の旅」のことを言っているのだね。若いのにあの映画を見たことあるとは感心だ」
「あうあうあー」
一人表現に困る語彙を発音しているが、高橋茂と佐竹ヒカリも冷静を装って失敗していた。引きつっているのに気づいたのはお互い顔を見合わせた時である。
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有名な邦楽に詠われたように午前二時前、踏み切りを二か所ほど越え、たくさんの荷物の中に望遠鏡も紛れ込ませ、佐竹光一、高橋茂、佐竹ヒカリの三人は幸山神社に集合していた。スマホアプリで天気予報を調べる。本日は晴天らしい。しかし、目的は天体観測ではない。もちろん重要な観察対象ではあるが、その後に起こるであろう現象を待ち望んでいた。高橋茂は幸山神社で繰り返されてきた行方不明事件が日食、月食などの天体ショーが起こっていた日と重なっていると解き明かした。
「せっかく月食なのだから持ってきた望遠鏡で見ればいいのに、何か悲しくてこんな寂れた神社で中古トラックに乗ってなきゃならんのだ」
「小言がうるさいなヤツがいるな。さ、ヒカリちゃん。寒いだろう。あったかいココアでもお飲み」
「ありがとう。茂さんってホント紳士よね。気が利かない誰かさんとは違うね。お母さんはどうして茂さんを選ばなかったか不思議」
「ぐっっ!!」
何か言いたいことを飲み込んで光一はやんわりと空気になることにした。これ以上会話に割り込んでも惨めになるだけだ。一晩明ければお互いの角もとれるだろう。と思っていた。
月が見やすいように窓を開ける。凍てつく空気が入り込む。吐く息は白くなり鼻先は逆に赤くなるが、竹林の虚空に浮かぶ月は寒さを忘れる美しさがあった。この星唯一の衛星は今も昔も変わらない。もちろん厳密には変化している。お互いの自転と公転、重力の関係で徐々に月は離れていっている。年に三.八センチと僅かであるが、時が過ぎ去れば月見を楽しむことが出来なくなるだろうか。
そんな幾億年先の心配はさておき、今日はもうすぐ月食が起こるはずである。
「さてと、もうすぐだ。あと三分くらいだ」
「なんかドキドキしてきた」
(もうどっちでもいいよ。このお遊びが終わったら早く帰って寝よ)
一人だけ真剣さに欠けるヤツがいる。眠気も加わりまぶたも重そうだ。そんな父親は娘に完全に無視されており、今後の親の威厳というものが心配される。
「あ!欠けてきた!!」
「いよいよだな。なにが起こっても動じないようにな」
徐々に欠け始める月。まだ明るいため、告知されなければ欠けたことに気づかないだろうが、確実に地球の本影に食われていく。真剣に観察すると同時に辺りを見回すが、特段変化はない。
「ねぇ、どうして月食は起きるの?」
中学一年生ならではの素朴な疑問だ。
「うむ。月食というのは太陽、地球、月の順で一直線に並ぶことによって起こる。地球が作る影に月が入ることによって月が欠けて見える現象だ」
「じゃあ一年に何回もあるの?」
「平均して一~二回だったはずだ。もちろん月食があるとき、月が見えない地域は観測することはできないがね」
「ふーん、そうなんだ。あ!!じゃあ日食はその逆ね!?太陽を月が隠してしまうことなんでしょ?」
「ご名答だ。君は賢いね」
茂の講義は続いている。たった一人の教え子に諳んじている天文学を叩きこむ。プラネタリウム製作責任者も真っ青になるほどの知識を披露し、若い知性はそれをスポンジのように吸収する。本人に意欲も熱意もあったので教授側はますます調子に乗り、講義に熱がこもっている。若い子相手に活き活きと話す姿は学生時代に戻っているようだ。
「おっと、つい夢中になってしまった。もうすぐ食最大だ。チャンスがあるとしたらこの時だろう。身構えろよ」
「三時二十八分よね?」
「うむ、あと十五秒・・・
十秒・・・
五、四、三、二、一!!」
「ふわ~」
緊張感のない声を出す父。こんな時によく欠伸なんぞ出せるものだ。KYとはまさにこれだ。親父が同学年なら絶対友達にも選ばない。ヒカリは父にギロリとにらみを利かせる。
しかし、緩んだ顔は固まったまま動かない。その口は打ち上げられた魚のごとくパクパクと動かしている。固まった表情は伝染した。ヒカリは恐る恐る車外を見わたす。
そこには見たこともない大草原が広がっていた。
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待ち望んだ皆既月食を観察するまでもなくここに来てしまっていた。
改めて辺りを見渡してみる。陽が有る方向が西とすれば自分たちは今北側を向いているはずである。右側、すなわち陽とは反対の東側は荒野である。
その荒野に、よく見ると遠方だが確実に万を超えるような人ごみが見える。テントのようなものも無数にあり、馬も大変な数である。そして、その手前にも二十人程の騎兵がいた。表情も見えるくらい近くにいるのだが、遠近感が狂っているためか、妙に遠くにいるように感じる。
彼らは一様に驚いていた。中には恐怖に色染められた者もいる。
それはコチラも同じなのだが、驚きの質は俄然ムコウが大きいようだ。
「さ、さっそく第一村人発見ですね」
「そうだな。だがあれはおそらく職業軍人だ。馬装も騎手も並みではない」
だとすると遠方に見えるのは軍隊ということになる。いきなりとんでもない所に飛ばされたものだ。対応を間違うと怪我ではすまない。騎兵がいる世界だし、彼らの表情を察するに、燃焼機関が存在しない未開発の土地と想像できる。彼らにとってトラックは未知の乗り物なのだろう。これは怪しさ幾億倍である。
「ふふふ、茂にヒカリよ。二人してドッキリなんてらしくないよ。いつの間に眠らせて北海道に連れて来たんだい?いや、もしかしてここはモンゴルかい?パスポートがない自分をどうやって出国させたんだい?」
光一は車外へ出る。
「ちょっと!!」「おい、まて!!」
制止も聞かず、千鳥足でヘラヘラと騎兵隊へ向かう。日本人特有の薄笑いを浮かべている。ついでに目の焦点は合っていない。怪しい不審者以外何者でもない。近づかれている側は最大限の警戒を張る。
「近づいていますぜ。どうします?」
「見たところ武器は持っていない。全員、現位置を保て。が、警戒を怠るな」
「もしかして、あの新兵器を仕込んでいるかも・・・」
「うっ、そうか・・・
よし、貴様はモンケ・フラテス隊を呼んで来い。マイルとブランは俺の両脇を固めろ。残りは十馬身離れ待機だ」
「はっ!!」「承知!」
全員テキパキと指示に従う。フレッグ・アフマドも本隊へ戻ろうとする。
「俺が戻るまで死なないでくださいよ」
「冗談は寝てから言えよ。この不良兵士が」
「その調子じゃ大丈夫そうですね。では行ってきます」
上司に対する態度と思えぬ不敬ぶりも、清々しいまでの敬礼で返し本隊へ戻る。
部下の見送りもままならなかった。既に礼の不審人物は目と鼻の先だ。
「いやいや、お疲れ様です。皆さんも大変ですね、茂の道楽に付き合わされて。ぶっちゃけて言いますけど、これはドッキリですか?それとも皆さん、ここの観光案内人か何か?最近病んでいたんで、サプライズは嬉しいのですが、如何せんそういう気分ではないのですよ。よかったら空港まで案内してくれませんかね?」
もしかして日本語通じない?まいったな、英語は苦手で、とブツブツ言っているが、当然兵士たちは言葉がわかならい。
「閣下、なんとおっしゃっているかわかりますか」
「まったくわからん。ルーシ言語でもないようだし、西側の地方言語かもしれん」
神妙さを崩さない兵士たちに光一はため込んでいたのかイライラを爆発させた。
「あのねぇ!!俺はと妻と兄夫婦から預かっている大事な甥が行方不明になってテレビから追い回されて、ご近所から色々噂されて、イライラしてんだよ。娘も反抗期になっちゃうしさ~!!昔からの友人は変人だしさ~!!あんたらも茂の冗談に付き合いなさんな。こんな所まで連れまわして何が面白いかな~?」
突然の逆切れ。本人にとっては正当な理由があったのだが、事情も言葉のわからない兵士たちにそれがわかるはずもない。地団太を踏みながら怒気を爆発させる不審者。皆、一気に血の気が引く。そして条件反射で槍を抜いた。
「何をするか!?」
トゥルイの右脇を固めるマイルは見事な槍捌きで光一の胴筋へつける。命を握られた側は流石に冗談ではないと感じたのか、急におとなしくなる。が、鼻息は荒いままである。
「おいおい、冗談はやめなよ」
と、槍の柄をつかみ上げる。
「こいつ・・・」
小さいのになんて力だ。槍が動かない。
マイルは助けを求めるが、既にトゥルイの左脇を固めていたブランが動く。光一は近づく兵士に抵抗の意を身体で示す。
「しかたない、やれ。だが、仲間もいるようだし、交渉の余地を残すためにも殺してはならん」
「承知・・・」
といっても気絶で済ませる器用さを持ち合わせていない。相手も暴れる一歩手前のようだし、ここは不意を付き全力で腹を殴り悶絶させるしかない。
「あんたが何者か知らんが、悪く思うなよ」
ブランは思いっきり拳を振りぬいた。
崩れ落ちた光一にヒカリは嗚咽を上げる。すぐに駆け寄ろうとするが、高橋茂は華奢な肩に手をかける。
「ヒカリちゃん、待て!!殺されたわけではないようだ。何か言っている。おそらく交渉だろう。こいつが殺されたくなければ手を上げて出てこい、かな?」
振り返ったヒカリの目には涙が滲んでいる。身近な異性は歳頃の娘にとって拒絶の対象でもあった。母にべっとりの父を気持ち悪いと思うこともあった。まさか自分も母と重ねて異性の対象なのかと疑いが出た時、全身に悪寒が走ったものだ。しかし、なんだかんだ言っても父親なのだ。今になって楽しかった日々が走馬灯のように頭によぎっている。
「ヒカリちゃん、すまない。やはり私一人で行動すればよかった。まさかいきなりこんなことに巻き込まれるとは思ってなかった。だが、ここは耐えるんだ。投降すれば殺されることはないと思う。苦しい出だしになるが、どうか私についてきてほしい」
二周り以上も年の離れた子供に苦しい言い訳をする。だが、父親ばかりか娘まで怪我させれば、佐竹夏美に申し訳がたたない。ここはなんとしても穏便にすませ、安全を確保しなくてはならない。実際、茂もかなり動揺しているが、子供の前で慌てふためくわけにもいかない。
ところが、先ほどまで泣きわめきそうだったその表情に悲壮感は見られない。目はまだ赤く腫れ、涙も滲んでいたが、何かを決意した顔だった。
「ねぇ、茂さん」
「な、なんだい?」
「猟銃と手榴弾の使い方教えてよ。あいつらお父さんを殴りやがって、絶対に許さない。おんなじ目にあわせてやる」
高橋茂は冷たい汗が頬に流れるのを感じた。