2.我が君の横顔
ウラヌーフ帝国首都はかつて名を持たなかった。元々遊牧民族である帝国民はゲルと呼ばれる移動式住居で生活しており部族の王であっても例外ではなかった。しかし大陸東側を征服し、帝国を名乗ってから皇帝はいつまでもゲルにいるわけにいかなかった。安定して統治するためには為政者の定住が不可欠だった。伝統を変えることに抵抗を示す者もいたが、結局多勢の意見に流されていった。初代皇帝テムネイ・カリファはいくつか帝都候補を絞ったが、どれも決め手にかけていた。古代より建設されていた長大な城壁を持つ古都。巨大な山脈の麓に位置する美しい城塞都市。大河に囲まれたおり洪水対策が幾重にもされている水の都。いずれも大陸南東部に存在する有名かつ大規模な都市であった。帝都にするにふさわしい規模と歴史を持っている。それでもテムネイはこれらの都市を嫌った。臣下たちはテンハイを推していた。だが、皇帝は十年の月日と莫大な人手と金を費やし新しい都市作りをすることを選んだ。何を嫌ったかその理由を直接聞いたものをなく、資料にも残っていない。後世、水の都テンハイが大陸南東部を納める国の首都となり、国際的な交易港として栄え経済的、政治的に認知されることを考えれば、テムネイの戦略眼は外れていたと言えよう。
帝都が完成した年を帝国暦と定めたのはいいが、その道のりは厳しいものだった。帝都建設は国庫を圧迫し兵士の俸給も払えぬ始末。帝国を支えた騎馬兵団は一時的に弱体化。その間西方諸王国は侵入を繰り返し、街々を略奪していった。そんな苦労を乗り越えた新帝都は素晴らしいものだった。区画は整然と整理されており街道は蜘蛛の巣状に張り巡らされている。非常に管理しやすく攻めがたく守りやい街となった。しかし、帝都建設の苦労を思うとそこまでして作る必要があったかとの批判は常にあったのである。
そんな皇帝が没後してまもなく、帝都に名前がないのはいかがなものかと叫ばれるようになり、帝都名候補を挙げる合間に何故か帝都「テムネイ」と呼ばれるようになる。
帝都テムネイは後世計画都市の元祖と言われる。芸術的に整備された街並みは見惚れるに足る美しさがあり今では街全体が世界遺産である。しかし結局なぜ遷都せず手間隙かけて作り上げたかは謎のままである。
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「帝都テムネイは父上そのものということだ」
「はあ、と申しますと?」
第二代皇帝ウルム・カリファが唐突に切り出した話題に皇帝秘書リリム・バークレイは答える。普段から政治、経済、軍事など幅広く考えている皇帝は突然周りの人間に話題を振ることがある。リリムは秘書として最も多く質問ないし一人ごとを受ける立場なので時々億劫になる。答えられなければ皇帝の不興を買うからだ。前任の秘書はそれで解任されている。彼女は勉学に励み、どんな話題を振られても即答できるよう努めていた。今のところ評価は高いようで博識ともいえるリリムに一定の敬意を抱いているようだ。
それでも今回の話題は難しすぎた。皇帝の言わんといるところはなんだろう?
「帝都建設にあたり、父上の性格が顕著に出ているということだ。あの街で生活して気づかなかったか?街並みが整然としているだけではなく、ある法則に従って造られている事を」
「先代皇帝陛下の性格が出ている件はわかります。几帳面だったと伺っています。街並みは非常に美しく芸術的で清潔感に溢れていますね。ですが、申し訳ありません、法則があるとまでは気づきませんでした」
リリムは正直に答える。皇帝は右側の口角やや上げる。得意げになるとき出る癖である。ちなみに不満を表す時は左であるので、少なくともこの二パターンの感情表現は誰でもくみ取ることができる。
「そうかそうか。博識のリリム・バークレイ殿も気づかなかったか」
右口から白い歯が見える。最近あまりにも即かつ正確に答えるので、それはそれで不興を買っていたらしい。リリムにも知らないことがあることが、よほど愉快だったようだ。これが皇帝陛下にとってのお膳立てか。陛下の人となりを含めもっと勉強しなくてはいけない。彼女はさらなる知識欲を掻き立てられた。
「陛下、降参です。教えてください」
「うむ、それでは教えてしんぜよう。
その前に問題だ。君は宮殿の造りはどうなっていると思うかね?」
「ええと、やはり美しく清潔感に溢れて、あ!!部屋が左右対称になっていますね!」
「そうだ。では帝都全体に目を向けると・・・」
「と、申しますと・・・?」
「つまり帝都そのものも前後左右対称に造られているということだ」
ある法則とはそういうことか。リリム納得した。そして思っているより大仰に驚いて見せた。
「ははあ、なるほど!!たしかに!!
ということは城壁が新円を描くように造られているのも上下左右対称にするためだったのですね?」
「そのとおり」
「驚きました。広大な帝都ですので気がつきませんでした。しかし、かなりの労力を費やしたでしょうね。帝都新建設の際、一部識者から批判が来ていたのは、そのあたりからですね?」
「うむ。少しでもでも間違えると、対側と同じなるよう造り直しだ。余が指揮した部分も何度やり直したことか。外灯の数さえ合わせたのだから、それは大変だった。無駄なことをするものだ、とさすがにくたびれたものよ」
「でも陛下は見事帝都を建設なさいました。あの美しい街は後世延々に語りつがれることでしょう。そして世界中からの憧れとなるのです」
と、ここで皇帝は左口角をわずかに上げた。
ギクリとするリリム。何か失言があっただろうか?
「へ、陛下?どうかされましたか?」
「うん?うむ、安心しろ。別に君に不満があるわけではない。不満なのは父上の夢をいまだ叶えてあげられない現状だ」
「西方諸王国の攻略ですね」
「そうだ、父上は大陸を統一したかったのだ。実はこれ、先の話と関係がある」
「上下左右対称のこととですか?あ、まさか!!」
皇帝は表情を戻す。ようやく話の本筋が見えた。
「そうだ。父上が大陸統一を果たしたかった理由は。版図さえ上下左右対称にしたかったのだ。その大陸の中心地は「テムネイ」なのだ。帝都建設で国力は大きく衰退し外征する余裕がなかったが、寿命があれば今回の出征、あの歳でも出陣しただろうな」
リリムは今度こそ心の底から驚いた。しかし、表情は呆れていた。無礼ではあるが、皇帝もそれを咎めない。
「その反応も無理はない。あれだけの大事業、皇帝とはいえ個人的な好みなどと、民と元老院が許すはずがないからな。そもそも防衛の観点から西側国境に近い場所に建設する意味もなかったし、必要性もなかった。それを古代からの東西の因縁まで持ちだして、なんやかんや理由をつけて押し通したのだ」
「だから先代皇帝陛下は新帝都建設是非について、最後は口を濁していたのですね」
どうせ造るなら整然とした美しい街を・・・は理解できるが、まさか順序が逆で版図が左右非対称であるのが許せないからだ、と誰が想像するだろう。皇帝ならなんでも許される、とはいかないのだ。
「陛下、なぜ私にお話し下さったのですか?」
当然の疑問だった。あるいは命取りになるかもしれない疑問だったが、皇帝はなんでもないように答える。
「余以外にこのことを知る者がいてもいいと思ったからだ」
「ええ!!では私以外、誰にもお話していないのですか!?」
「そうだ。別に驚かなくともいいぞ。少し頭を働かせ大陸地図でも見ていれば気づくことだ。その内噂が立つことだろう。大したことではないと思っている。話したければ食事を彩る世間話として知り合いに言いふらすことだ」
「御冗談を、陛下。今でも批判があるのです。知れ渡れば皇室の威信にかかわります」
今度は皇帝が呆れていた。
「なんだ、要らぬ心配などしおって。父上が亡くなって三年経つのだ。時効だ。それに今回の遠征、余にとっても悲願なのだ。何度も我が領土を犯し、民を傷つけ、あまつさえ我が軍を悪の権化と宣伝する始末。余は領土の左右対称うんぬんは興味ないが、尊敬する父上の夢を叶えるためにも、民のためにも、これ以上あやつらを野放しにしておくわけにはいかない」
たしかにその通りだった。古代からの二度の大戦。いずれも西方諸王国側から停戦協定を破っている。東側が国力の低下した時期、隙あらば攻め込んできた。しかも自分たちの正義を振りかざし、戦争を騎士道精神で美化し勧善懲悪物語で塗り固めている。西欧諸王国の民が自分たちを必要以上に恐れ、憎悪していると知った時、リリムは敵国の為政者たちを心より恨んだ。歴史は勝者のみが語るが、まだ決着はついていない。この際大陸を征服し、誰が正義か、何が正しい歴史か世界に知らしめなければならない。
「大変失礼いたしました。その通りですございます。いらぬ心配を致しました。私も微力ながら陛下の覇業をお手伝いさせていただきます」
「そうだな。君には期待している。明日には敵側の要所、要塞都市グランチェに到着する。あの街は色々噂があるところでな。現在、包囲しているが、余が到着するまで手を出すなと命じてある。戦闘前に君の意見を賜りたいと思う」
「き、恐縮です。陛下!」
今晩はもう休みたまえと言葉を受け、自分のゲルに引き返そうとした矢先、騒々しくも数名の兵士がなだれ込んできた。誰何もそこそこの乱入に皇帝もリリムも眉をひそめる。
「無礼者!!ここは皇帝陛下の執務室です。分をわきまえなさい」
「へ、陛下、大変失礼をいたしました。ですが、緊急の案件でして・・・」
「それでもその取り乱しようはなんですか!!あーもう、泥だらけじゃない!だれが掃除すると思ってるの!!」
最後の方はリリムも素が出ているが、皇帝も突っ込まず冷静に対処する。
「おちつけリリム。お前たちもまずは水でも飲め。そしてわかるように説明しろ」
「は、はい!では失礼して・・・」
兵士たちは小休止したのち、緊急の案件とやらを報告した。
いわく、グランチェ包囲軍が戦闘を開始し、敗退したというのだ。死者は一八〇〇名以上、負傷者は三〇〇〇名に上っている。死者だけなら包囲軍五〇〇〇〇名に対し少ないが、問題は味方を死に至らしめたのが新兵器であったということだ。死体は見るも無残に変わり果てており、個人の判別が不可能な場合も多い。戦意を喪失し、撤退中とのことだ。
「そうか。わかった。夜分に御苦労であった。撤退中の我が軍と、いつまでに合流できるか」
「ははっ!!明日の朝には」
皇帝の口調は穏やかである。これには報告した兵士たちは安堵している。だが、彼らは知らなかったようだ。皇帝の感情表現の癖を・・・
リリム・バークレイは今、皇帝の左側に立っている。我が君の横顔を、恐る恐る伺った。そして絶句する。
左口の犬歯がむき出しになっていたのである。