16.撤退
軍を率いる者として、不幸にして生き残ったライル・ヒルトは凄惨な現場を目の当たりにして冷静さを取り戻しつつあった。彼の頭の中では今頃、攻城櫓により城内侵入へ成功したところだったろう。正面門が開き我が軍が城内を蹂躙しているはずだった。しかし、現実には味方の死体がそこらじゅうに転がっている。これはいったいどうしたというのだろう?どうすれば人間が内側からひっくり返るような死にかたをするのだろう?
この期に及んで進撃前のグランチェの爆発火災を思い出さないわけにはいかなかった。ノウエル・ヨーデが警告した通りだ。あれは新兵器の暴発事故だったのだ。今回はその新兵器が我が兵士たちに使われたに違いない。しかも想定より遙かに威力が高く、我々の知識を超越したものである。
「ヒルト閣下、お気を確かに!!」
副長であるトゥルイ首席千人隊長が巨体相応の大声で呼びかけていた。彼はどこかに隠れていたかと疑うほど無傷のように見えたが、ライルはトゥルイが臆病者でないことは知っていた。筋骨隆々な背に目を向けると痛々しい程焼けただれている。部下を覆いかぶさるように庇った結果だった。
「あ、ああ、無事だ」
「どこか御怪我は?」
「大丈夫だ」
大丈夫と言った手前、声が酷くかすれており少なくとも精神的には大丈夫でないことが伺える。
「お心が戻られ何よりです。この惨状です。私も動けるようになるのに一刻(十五分)かかりました。閣下を見つけてからも同じ時が経っておりますぞ」
「そんな経っていたのか?」
だとすればかなり長い時間放心していたことになる。その間のことは記憶にない。
「やはりあれは敵の新兵器だろうか?」
「そうかもしれません」
「あれから敵の出方は?」
「は、最初の攻撃以後、なぜかまったく追撃は受けておりません。私が思うに敵にとっても新兵器は想定外の威力だったのではないでしょうか?わが軍の惨状を手で顔を覆いながら監視していた様子が伺えます。」
「それは不幸中の幸いだな」
周りを見渡せば死体以外にも半死半生で生きながらえているものの大勢いた。今、反撃を遭えばひとたまりもあるまい。
「味方はどうしている?」
「は、メッセ・アイン閣下の隊が駆けつけて下さり、怪我人の搬送と無事だった後方部隊を取りまとめてくださっています」
「そうか・・・」
「さっそくですが閣下、直ちに命令を出してください!特に軽騎兵隊の損害が著しく負傷者は目も当てられません。全体の被害は図り知れませんが、早急に秩序ある行動が求められます」
さもなくば混乱する兵が各個に標的にされ生きて帰れる者も帰れなくなる。もしかしたら正面門が開き敵方が残党狩りを行うかも。
興奮しているトゥルイを抑える。答えは決まっていた。
「落ち着け、私はどうかしていたようだが、大分頭の冷えてきたようだ。私は撤退の指揮を取る。トゥルイは被害を把握してくれ。少しでも多く将兵を生きて帰らせよう」
「は、承知しました。」
憔悴しているライルであったが最後の台詞だけは力強く言ったように見えたので、トゥルイはせめてもの救いを感じた。
「撤退にあたり、一つ調べて欲しいことがある」
追加命令は帝国にとっても必ずやり遂げなければならない課題だった。
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撤退は直ちに開始された。
無事な者は怪我人に手を貸し、各隊長は最後まで残り点呼を取り続けた。千人隊長は被害を把握すべく各隊を走り回っている。ライル・ヒルトは各隊をまとめあげるので手一杯の様子だ。
普段乾いている表情は一層干上がって見えた。彼に待っているのは無謀な進撃を主張し完膚無きにまで敗北した責任で取ることである。生きて帰ることで自らの暗い未来を想像する権利を得ていた。秩序だって撤退することが出来たのがせめてもの救いだ。今のところ、死体よりの死人に近い万人隊長へ誰も非難することは出来なかった。
グランチェ市側の被害は死者一一五名、負傷者三〇五名。帝国軍はライル・ヒルト隊九八〇〇名の内、死者一八〇〇名余。負傷者三〇〇〇名余。死者のほとんどは軽騎兵で占められており、後日名前が変わるはずの万人隊の再建が思いやられる。
準備に膨大な時間を擁し、万の人手をかけた戦闘は準備の千分の一の時間も掛けずに終了した。後日「第一次グランチェ攻防戦」と呼ばれることになるが、今の時点で「第二次」が以外に近いことは誰も予想できていない。