10.歴史の着火剤
まだ朝食も取れていない時間であったが、アーサー・グッドマンは警備兵を引き連れドールの自宅を訪問した。アーサーも含めて警備兵はいつもの業務を淡々とこなしていたつもりだが、清閑な住宅街であるため本人たちが思っている以上に物々しい雰囲気を出していた。潜入してからわずか一晩。訪問を受ける側にとってこれ以上の不意打ちはない。まして自分たちは敵地に潜伏している。その緊張感は半端ではなかった。
「た、隊長。どうやらこの街の官憲と思われる一団に包囲されつつあるようです。おそらく我々のことは露見しているようです」
推測による報告だが、悲壮感も加わり説得力がある。事実はまったく異なるのだが、彼らの立場を考えれば自然な発想である。
「お前たちは裏口から早く脱出しろ!各々当初の目標周辺で待機。期が来ればそれぞれの判断で行動していい。俺達が行動を起こせば本隊も動いてくれる」
もはや作戦ではなく願望に等しかった。ここで落ち着いてドールが堂々と対応すれば、まだ望みがあった。追い詰められている事を除けばまだ作戦の内なのだが、そんな冷静な判断は下せるはずもなかった。
「隊長はどうなされるのですか?」
「俺はここでひと騒動起こしてから逃げるさ。ノッポの不健康そうなやつがいるだろう。あいつをぶっ殺すから、その混乱に乗じてお前たちは脱出しろ」
ひどく物騒な発言に驚く部下たちだったが、リアクションを取っている余裕はなかった。警備兵が何か叫びながら扉を叩いている。
「私たちはグランチェ市警備隊です。ドアを開けなさい」
「ああ、今開けるよ」
外まで聞こえる大声で叫ぶ。その言葉に兵士たちは逃げるために身構えた。ドールは勢いよくドアを開ける。警備兵は有事を常に想定しているが、いきなり特攻を仕掛けられることを誰が想定しているだろう。誰も反応できず特攻者はアーサーに飛び掛かった。
悲痛な叫び声と同時に鮮血が飛び散る。たしかな手ごたえを感じたが、飛び掛かった方は満足な結果を得られたわけではなかった。心臓を狙ったつもりだったが、とっさに左腕を上げられた。致命傷にならないだろう。
刺された方は刃物で襲われていることは理解できてもそれが刺された痛みとは思わなかった。火傷したような熱さを感じた数秒後に爪を剥がされるに等しい痛みに襲われた。患部を抑えうずくまるという万人が取るであろう行動をアーサーも行った。普通なら介抱されていればよいが、立場上そういうわけにはいかない。気力を振り絞り加害者を追うように命じた。
「私は大丈夫だからヤツを追いなさい」
「は、はい!アーサー様は・・・」
「大丈夫です。自分で何とかします。あなたの隊は早く追いなさい。それと、そこのあなた。家の中を捜索しなさい。まだ誰か潜んでいるかもしれない」
「し、承知しました!」
二手に分かれて一隊は加害者を追い、一隊は家宅捜索を行う。
すでに犯人の姿は見えないが、城壁の方へ向かったようだ。この時アーサーは犯人に見ていたはずだが、夜逃げした相手が籠城中の街に戻れるはずがない、と家主を結び付けることができずにいた。
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「なんだこれは?」
武器倉庫へ逃げ込んだドールは初めて見る物体に首を傾げる。槍や剣、弓が並んでいるすぐそばに、どうしても武器になりそうもない球状の物体が陳列されていた。少なく見積もっても一〇〇〇個はあるだろうか?正確な数は把握できない。投石の玉にするつもりなら、もっと重い材料で作られているはずだ。球状の物体は麻や紙で覆われていた。人に当たってもダメージを与えられるとは思えなかった。
言うまでもなく、その一つ一つは守たちが製作した火薬一五〇g入りの爆弾であった。
「う!!なんだ。この臭いは?」
ほとんどの日本人のように温泉に入ったことがあるものなら、その独特の臭いは想像つくだろう。だが、彼は温泉も入らければ硫黄の存在も知らなかった。
「毒か?」一瞬冷や汗が出たが、興奮している時は人間危機感は薄くなる。
「俺の知らない新しい武器かもしれんな。一つ拝借するか」
大胆にも得体の知れない物体を手にする。どうせ逃げるなら戦利品の一つも持って帰りたくなる心情だったのだ。
「あ!お、おまえ、それ!!」
追跡してきた兵士は獲物を前にして立ち止まる。顔面蒼白である。
「すぐにそれを元に戻せ!!」
おもしろい程の狼狽ぶりである。そんな大事なものならカギでもつけておけ。
「ん?そんなにこれが大事か?沢山あるんだ。一つくらいいいだろう」
「いいから早く!!」
「まあそう焦るなよ。焦るのは俺の方なんだから」
他が兵士も到着していたが、やはり全員青くなっている。
「これはよほどの軍事機密だったようだな。持ち帰って研究するとしよう」
ドールが口角をわずかに上げたその時、服に擦れでもしたのか蝋に纏われている縄に火がついた。それを確認した兵士たちの顔は蒼白から驚愕へと変わり「ダメだ、逃げろ」と異口同音に揃え逃げ出した。
「な、なんだ!?」
あまりに見事な逃げっぷりに拍子抜けする。
やつらは火がつくことによって逃げ出した。ということはやはりこれは毒玉かもしれない。冷静に火を消そうとする。
だが、ドールの努力は無駄に終わる。
蝋縄に着いていた炎は既に球体の表面まで達していた。そしてその瞬間、球体は一気に弾け、爆風と衝撃がドールを襲う。
彼は何が起こったか分からず四十五年の一生を終えた。