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7.過去を捨てたい男

この話でやっと舞台は整いました。

 グランチェ周辺は草原と湖、その周りに張り巡らせた水路、そして開拓した農園があるだけである。領民の人口一五五〇〇人の内、街には一二〇〇〇人が集中していた。残り三五〇〇人は広い領内に点在している。今回のウラヌーフ帝国軍の侵攻によりドルフをはじめとする近隣の街々から避難民が押し寄せ、その数は七〇〇〇名に上っていた。もちろんグランチェ以外に住む残りの領民も避難してきている。そのため、現在この街の周辺にはマールバラ王国やレイブン伯爵領の人間はいなかった。

 そんな誰もいない草原にある唯一の森は街の貴重な木材の供給場だった。森は単純に「グランチェの森」と呼ばれていた。普段なら伐採の為幾人も働いているが、今は二十二人の男たちだけが忙しそうに働いていた。もちろん帝国軍である。

 十九人は工兵であり、遊牧生活を支えるテント、日用品、武具製作のスペシャリストたちだった。二人は十九人を指揮する十人隊長である。そして、残り一人は帝国軍ではない。ウラヌーフ帝国の人間でもなかった。マールバラ王国で最も多い茶髪にやや色白の黄色人だった。彼の名前はドール。グランチェで船大工を営んでいた。今はライルに買収され帝国軍特別百人隊長の地位を与えられていた。

 元々、優秀な船大工を自認していたが、漁業より農耕が幅を利かせている昨今では仕事がなくなりつつあった。つい最近も古い漁船の改修の仕事をキャンセルされていた。若い頃は稼ぎもそれなりにあったが、今は貧乏船大工。生活が困窮すると、人間ロクなことを考えない。仕事を変えるなり、仕事がある街へ転居するなり前向きになってもいいものだが、彼は過去にしがみいていた。「自分の不幸せは他人や環境のせいだ」と他人の成功や幸せを妬むようになった。街に窮状を訴えても自分でなんとかしろと言われるだけだった。借金も膨らみ、強盗の算段まで立てていた。

そこに思いもよらない注文が舞い込んきた。まだ帝国が侵略してくる話も聞かない半年前、どこで自分の話を聞いたか帝国軍がスカウトしてきたのである。


「あなたの能力を報いるに適当なお仕事があります。報酬はこれだけ出しますのでとりあえずお話を聞きませんか?」


 たどたどしい言葉で平均月収の三倍を提示された。胡散臭い男だったが、自分を認めてくれる人がいることがうれしかった。すぐに了解の返事を出した。軽く身支度を終え、次の日には男と共にグランチェを去ることになる。


 一ヶ月後、ウラヌーフ帝国の帝都で万人隊長のライル・ヒルトと名乗る人物に作戦の概要を説明された。要はグランチェを攻略する最後の詰めに船が必要。潜入用の船を作ってほしいというものであった。長年湖用漁船の製作、修繕を手掛けてきたドールにとって簡単な仕事だった。しかも自分の見捨てた(と思い込んだ)グランチェに復讐できる。あの街は自分のトラウマやコンプレックスそのものだ。存在そのもの、記憶すら消してしまいたかったのだ。これほどモチベーションが上がる仕事はない。

こうしてドールは歪んだ自尊心と膨れ上がった復讐心を両手に抱え、捨てた故郷へ戻ってきていたのである。そして今、与えられた最後にして最大の仕事を終えつつあった。

 

「マストが大きすぎる。もう少し長さを抑えるんだ!船底には柿渋をたっぷりと塗れ、腐食防止の為だ」


 ほとんど船は完成しているように見えたが、仕上げの指示を出している。

どうせ使い捨ての船に腐食防止もないだろうと十人隊長のグラッセ・エルグは思った。しかしドールはライルより特別百人隊長の地位を与えられており、実際の権限はともかく立場はグラッセより上だ。命令には黙って従わなくてはならない。

 十九人の工兵によりあっという間に仕上る漁船。


「よし、さっそく試験を始める。この森のさらに奥に小さな湖がある。そこまで運ぶぞ」


 小さな船を運ぶのはこれだけ兵士がいれば簡単だったが、どうせならもっと湖に近い場所で作ってほしかった。意味のない仕事を増やされるのはまっぴらだった。これも作戦の内と自分を納得させる。

簡単な試験走行が行われた。船の耐久性は十分なようだ。浸水もないし、風を受けて快走している。


「おめでとうございます。これで準備は整いましたね」


 言いたくないが形だけの祝辞を述べる。ドールは礼も言わず仏頂面で答える。


「まだ準備は整っていない。潜入できて初めて準備が整うのだ」

「は、はあ・・・しかし、作戦開始の号令がなければここで待機ですね」

「わかっている。当たり前のことを言うな」

「そうですね」


 短いやり取りに工兵たちは冷や汗をかいていた。本来なら船が完成を皆で祝うべきなのに自分たちの直接の上司たちが争っていている。仕掛けたのはドールだがグラッセも仲良くしようとする努力も感じられず、終始憮然としているのはいただけない。ちょっとくらいお膳立てしてもよいはずだが、お互い歩み寄りはないようだ。雰囲気を変えようと工兵の一人が提案する。


「あ・・・本隊へ、船が完成したと報告しなければなりませんね。きっとライル閣下もお喜びになりますよ」


 良い提案だったはずだが、一言で事態は思わぬ方向に動くことがある。ドールはこの場にいる邪魔者二人を一瞬にして排除する方法を見つけた。


「うん?そうだな。その通りだ。グラッセ隊長、ノムガン隊長と共に本隊へ密入船が完成した旨を報告しに行け」


 普段は無言の十人隊長ノムガン・ヒュデは珍しく抗議する。「一人でも十分だと思われますが」と。これに対するドールの返答は「命令だ」と短かった。

 翻訳すると「お前のお目付け役がいなくなるだろう」と「邪魔だから消え失せろ」だった。爽やかはずの森のせせらぎは今や凍てついていた。ドールにうんざりしていたグラッセは素直に命令聞くことにした 

 

「わかりました。本隊へ船完成の報告に行きます。ノムガン、百人隊長閣下の御命令だ。行くぞ」


 閣下の称号は千人隊長からなので、最後まで皮肉を込めた捨て台詞にドールはもはや反応すら示さない。二人はあっという間に馬を駆り本隊へ戻って行った。

 元々、二重の命令系統があった工作班だった。十人隊長二人がいなくなれが全員の指揮はドール一人に委ねられる。工兵とスパイを兼ねるとはいえ、一般兵である。この場では百人隊長の言葉は絶対である。ドールは「俺の功績を横取りされてたまるか「邪魔者は消えた」とブツブツ言っている。


「あの・・・」


 この状況を作った工兵は腫れもの触るように控え目に命令を促す。そして次の命令に後悔することになる。


「船は完成した。全ての準備は整った。夜には潜入する」


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