プロローグ1.不安
タイトルを変更しました。
とても暑い日だった。アスファルトから湯気が立ち昇っているように見えるのは気のせいではないだろう。もちろん蝉は大合唱である。1週間しか生きられないというが少なくとも今は人間より元気そうだ。
住宅街の中心地にある公園。佐竹光一は営業合間に一息ついていた。暑いのは嫌いだが、新緑実る場所でコンビニ弁当を食べることに清々しさを覚えている。小学生の頃無邪気に運動場を走り回ったり父に連れられていったアスレチックパークなどを思い出すからだ。
あの頃は世界が実に新鮮に見えた。子供は走り回って転ぶのが仕事のようなものだ。時代が変わって今の子供達を見るとやっぱり走り回っている。あれは子供の頃に沢山運動して丈夫な体を作るために走れと遺伝子が言っているのか、と思えてくる。
「今日は後四件回ったらおしまい。事業所に戻って事務処理でもしますか…」
最近一層重くなった身体をあげる。今ではあんな風に走り回るのはとても無理だ。怪我でもしたら大事である。仕事柄、転倒という言葉には人一倍敏感だ。
光一は市内外れにある小さな介護事業所の管理者をしている。月の初めは利用者の利用実績を懇意にしている営業先に報告するのが義務だ。
一時間半かけて残りの営業先であいさつを済ませる。今日は早く上がれそうだ。給料も出たばかりだし、久々の外食としようか。今晩の予定を勝手に組み立てていく。
「夏美と守は肉が大好きだけど、俺は肉より魚だもんな~。ヒカリは中華が好きだし」
外食時はどこに行くか、毎回口論に近い駆け引きと店探しをするが、結局三回に一回はファミレスになる。結婚して十三年、妻との食の溝は今後も埋まりそうもない。
簡単な事務処理を終え帰宅の途につく。
光一の自宅は幹線道路と路線を間に挟まれているものの若干距離があるため以外に静観な場所である。メゾネットタイプの集合住宅で四人が暮らすにはちょうど良い3LDKの間取りである。夕日も沈みかけの中、薄暗いリビングに娘のヒカリが一人アニメを見ていた。
「ただいま、電気くらいつけなさい。お母さんにみたいに目が悪くなるよ。」
「うん、おかえり。お父さん今日は早いね?なんかあったの?」
父の忠告は軽く無視をされる。
今年から中学一年生になる。背が高く一六五㎝になろうとしていた。光一は一六八㎝しかないので一緒に歩くと落ち着かない。最近は話し方が母に似てきた。
「早く切り上げてきた。今日は外で食べよう。」
「絶対、中華!紅蘭亭がいい!」
普段はクールぶっているクセに興味のあるもの、好きなものには感情が高ぶるのも母似だ。最近電話越しの声が夏美そっくりだったのに軽いショックを覚えていた。光一も今年で三八歳。歳をとったな、実感していた。ちなみに紅蘭亭は地元で有名な老舗の中華料理店である。創業は七〇年になる。
「この前も紅蘭亭に行ったじゃない。」
「もう一カ月も前だよ。」
「普通は一カ月に二回も同じ店には行きません。」
光一の主観で反論する。
「お父さんだって一〇〇円寿司に月に何回が行くじゃない。それに普通って言われても他の人と比べてみたの?普通だったとしても、うちはうち、よそはよそって言うじゃない?」
どうやら口げんかでも既に娘にはかなわないようだ。脳科学によれば女性は男性より言語を司る部分が発達しているという。なるほど、娘に勝てないようじゃ、妻にもかなうはずがなかった。光一に限らず、世の亭主は家庭内では一方的服従を強いられる立場にあるようだ。ちなみに最近見たテレビ番組によれば男性は視野が広い一方で危機意識が足りない。だから雷雨の日に楽観的に考えるため落雷で死亡する男性は多いというものがあった。確かに光一の介護事業所でも何かしらのリスクを論じるのはいつも女性スタッフが先だった。頭の造りという面では男女はやはり平等ではないのか。
返答に窮していると、お母さんと守兄ちゃんが来てから決めようとの言葉を帰ってきた。
時計は十八時を指そうとしていた。いつもなら夏美は帰ってくる時間だ。どんなに遅くても十九時には帰るだろう。守は最近部活動に入ったようだがあまり遅くなることはなることはない。
ヒカリは着替えてからテレビを見ていた。昭和の終わりにヒットしたドラマのリメイク。光一が帰る頃にはいつも終わりがけでエンディングしか見ていない。
「お母さん達遅いね。電話してよ」
「そうだね」
片手で使うには大きすぎるスマートフォンを慣れた手つきで片手で操作する。しばらくコールを鳴らす
が、留守番電話サービスに繋がるだけだった。守の携帯電話も同じだ。
「繋がらないね。まだ仕事だろうか。」
「え~!もうお腹すいたよ。夕ご飯どうするの?」
育ち盛りの娘の抗議ももっともだ。自分はもっと不平言いたい立場だと思っていたが、娘の手前大人を装う。
「今日は外食はなしにしよう。お父さんが作るから待ってなさい」
渋々了承するヒカリ。冷蔵庫を物色すると昨日の残りのおかずがラップしてあり、なぜかもやしが四袋もあり、冷凍された豚肉があった。豚肉のもやし炒めが頭に浮かんだ。簡単レシピだから思い描いたわけではなく、今日の事業所での昼食だった。自分のレパートリーの少なさと娘にお腹がすかされている現状に寂しさと虚しさを覚える。少々遅い夕食を作り終えるとドラマは終わり、バラエティーへと変わっていた。
「いただきます」
テレビを見ながら無言で食事をする。
二人きりはいつぶりだろうか?ヒカリが小学三年の時夏美が会社の忘年会でいなかった時以来かもしれない。食べ終わると二十二時を回っていた。不安がトッピングされる。さすがに遅すぎる。電話をかけてみるがやはり繋がらない。
「お母さん達ほんと遅いね。何かあったのかな?」
その一言に不安が焦燥へと変わる。スマートフォンを握る手に嫌な汗がにじみ出てきた。
警察に電話するべきか迷う。
いやいや、二十二時なんて社会人や高校一年の男子にとって「夜はこれから」と言える時間だ。早とちりで警察に電話し何もなかったら大恥だ。そう自分に言い聞かせて無理やり納得させる。
しかし過去にテレビやネットを賑わせた様々な事件が回顧する。
夏美と守も親子ではないし、歳が離れているとはいえ男女。要らぬことまで考える。
「もう寝るね、おやすみ」
いつの間にか入浴を終え寝床につこうとするヒカリ。長く考え事をしていたようだ。もう一度電話をかけて繋がらなかったら警察に連絡しよう。
そう思った矢先にスマートフォンが鳴る。
「・・・・」「・・・・」
通話を終えた後、光一は警察に電話をしていた。