おまけ 淑女たちのお茶会 4
秋国王女陽貴がどん引きした顔で言葉を亡くし、瞬きもせずに凝視する中、その母親である秋国正妃侑喜は茶碗を持ち上げ、わざとらしくずずっと音を立てて茶を喫した。
その横で、額に片手を当て、はーっと深いため息をつく青風楽団歌姫嵐玉。
反応さまざまな二人をちらと見遣り、侑喜は口をつけていた茶碗を置く。
「陽貴、其方、それ程固まってどうするか。まだまだじゃのう。こちらの歌姫の方が余程わかっておるではないか?」
「…十七歳の娘に、血の繋がった実の母親が語る話にしては濃すぎますよ、正妃様…」
(好いた男に薬を盛られて権力者に売られたとか…正直冗談きついです! 正妃様!!)
「何を言うか。仮にも王族を名乗るのであれば、この程度の話、いなせなくてどうする。修行が足りんわ」
「…お母様に比べたら、確かにわたくしなんてまだまだですけれど。実の母親のこんな話に動じずして、それはいったい、どんな娘ですの?」
「ほう。其方自覚があるか? 庶民には庶民の苦労があるのと同じ、王族には王族の苦労があるのだぞ? 戦となれば王宮ではどんなことでも起こりうる。敗戦国の王族の女が、遊女の如く扱われたり、いたずらに命を奪われ、見せしめにさらされるたりするのは、ふつう、だ」
陽貴が小さい反撃を試みるも、侑喜に簡単に斬って捨てられる。
「私が娘の時代、春帝国皇帝は絶対の存在。その皇帝が命じれば、女はその場で裸になって跪くも、ふつう。男は首を斬られても、ふつう。そういう時代であった。幸い今この国はそうではないがな、幸福で安穏な時代はいつなんどき終わるかも知れぬ。そうなれば陽貴、其方も王族の一員、その身分を身を差し出して贖わねばならんのだぞ? …その程度の理不尽、嵐玉はよく知っておるようだな?」
突然話を振られ、嵐玉はぎょっとして正妃侑喜を見返し、しばし時を置いて神妙に頷く。
侑喜が言うように、王族には王族の苦労があるのと同じく、庶民には庶民の苦労がある。誰しもがいつも必ずしも、巣の中の雛のように親に守られている訳にはいかないのだ。歌姫嵐玉とて所詮は流浪の身、身分高き者、富ある者のふるまいに理もなく振り回されることは身をもって知っている。
「ま、その時の私もものを知らない小娘だった。腕が立ち、多くの人々にちやほやされて、自分は誰からも大事にされるもの、無体を働く者などまさかいる筈もないと、ちょっと勘違いしておったんじゃな。
そんな噂に上るような娘ならと、女に目のない春帝国界帝が手ぐすねを引いて待ち構えていたことに気づいてもいなかった。界帝がそうしなかったのは、奴のなけなしの理性と、奴の側近たちが、侑家の名に若干の体裁を整えていただけ。異国出身の身分卑しき男が、出世の肩代わりに差し出すと言ったら、二つ返事で喜んで受け取る、その程度の他愛ない配慮だったのだ」
ふう、と一呼吸置き、侑喜はその続きを語った。
目が覚めると、見慣れた天井が侑喜の目に入った。
しばし空白の時を置いた後で、侑喜はがばと身を起こす。
(私はどうなった!? 類が出て行って、その後は!?)
扉に鍵がかけられ、意識を失った。その後、その後は、自分は界帝の餌食になったのか。
(だがここは私の自室、侑家の邸だ)
ぎ、と音が立ち、扉が開く。見慣れた側仕えの侍女、労柑が入って来る。
「侑喜さま。お目覚めになられたのですね。お体の様子は如何ですか?」
(体、…そうだ、私は薬を盛られて…!)
労柑の言葉にはっとして両手を開閉すると、問題なく動く。侑喜はほうっとため息をついた。
「…一体これはどういうこと。結局どうなったのだ、私は」
困惑する侑喜の問いに、労柑は眉を寄せて答えに窮する。がそれも一瞬のこと、腹心の侍女は控えめに侑喜へ申し出た。
「侑喜さまは、昨日昼過ぎ、皇宮から意識のない状態でお戻りになられました。馳野様と仰る方が連れて来られて、薬を飲まされたようだと」
朝にいつもと変わりなく皇宮へ出仕した年頃の娘が、気を失って見知らぬ男に抱かれ運び込まれる。侑家の家人は仰天したという。
薬の一言にすぐに医師を呼んで診察をさせると、安静にしておけば翌日にでも回復するだろうと言われ、侑喜は自室の寝台に寝かされていたのだった。
「あの…、父労靖の判断で、まだ旦那さまには何もお伝えしていません。侑喜さまは未婚の娘の身、当家の掌中の珠でいらっしゃいます。じきに回復なさるなら大事にしないのが賢明ではないかと。…侑喜さま、いったい、何があったのですか?」
問われ、侑喜は言葉に詰まる。
(何があったかなんて、そんなこと)
(私こそ、何がどうなったか知りたいものだ!)
と、再び部屋の扉が控えめに叩かれ、来客が告げられる。
訪れた客のその名を聞き、すぐに通すようにと侑喜は命じる。
目覚めたばかりの侑喜は寝衣であったが、人に会っても気まずくないよう上着を羽織り、寝室から廊下側の居室へと移ると、その直後、まるで舞台に上がる時期を見計らったかのように、飄々とした顔の若き獅子のような精悍な男が入って来た。
「お目覚めか。侑喜姫。いやなに、そろそろ私の出番かと思ったが」
「よくいらした、馳野どの。憎らしくなる程其方の登場を待っていたよ」
字は馳野。名は明理。野性味溢れるどこか危うさを孕んだ平民出身の軍属のこの男は、実はまだ十七歳の少年であり、十九歳の侑喜の二つ年下でしかない。
「私をここまで連れて来てくれたそうだな。親切痛み入る。
さあ、きりきり吐いてもらおうか。一体昨日、私の身に何があったのか」
「成程。侑喜姫にとっては今この段階で私は敵か味方か判然としない、と」
にこやかながらどこか冷え切った、磨かれた刃物のような侑喜の視線に、明理は大仰に肩を竦めてふっと色気ある笑みをこぼした。
「あの、それって夏国王、ですか?」
「そうさな。あの男は、十七にして既に不遜で尊大で、嫌になる程女たらしだった」
(女たらし…。夏国王ってやっぱりそうなのね…)
歌姫嵐玉は職業柄遊里や酒楼の噂に明るい。夏国を訪れたことは幾度かあるが、成程確かに、名のある遊女たちは皆夏国王に熱く恋しているようだった。
「春帝国時代は、お父様も夏国王も、冬国王も共に軍部にて仕えていたとは知っていますでけれど…」
「二十八、いや二十九年前か? 春帝国が滅ぶ直前まで、陽斎どの、馳野どの、凍氷どのの三人は、互いに親しい仲であったよ。三人とも似たところはないが、程よく支えあう感じでな。お人好しで坊ちゃん育ちの陽斎どの、破天荒で平民上がりの馳野どの、厳格孤高の凍氷どの、互いが互いに欠けたるところを補うような、そんな良き仲だった。ま、界帝の死と共に袂は別れたがな…」
侑喜が漏らす昔語りを、嵐玉は興味深くじっと聞いている。それに気づき、侑喜は腹黒くにやりと問いかける。
「楽曲にして語り継ぐには、まだ早いのではないか? 嵐玉」
「もちろん! 今後の参考です。参考!」
(三人共存命で国王だし。下手なこと語り継いで、権力者の怒りでも買ったら楽団潰れます! うう、このおいしそうな小話はまだお披露目できない…)
「さて、ここで、昨日から皇宮ではちきれんばかりの噂をお伝えしよう。
噂によると、侑喜姫、其方はどうやら陽斎に汚されたらしい」
「は!? なぜそこで積葉殿!?」
居室の小さい円卓で明理を迎えた侑喜は、その話に愕然とした。
(類でもなく、界帝でもなく、積葉殿だと!?)
驚愕する侑喜に、明理は猛禽が獲物を捕らえたような眼でにやりと笑い、続きを語る。
「何でも、皇宮奥の人気のない一室から、意識を失った風の侑喜姫を抱きかかえて連れ出す陽斎が複数人に目撃されたそうだ。あや哀れ、男装の麗人、凛々しき武人の姫は、やはり年頃の乙女らしくか弱く、ならず者の冴えない男に囚われ、さらわれてしまったかな。おお、そう言えば侑喜姫は今朝まだ出仕していないようだぞ? いやそれは、やはり己を襲った悲劇に引きこもっているのではなかろうか。いやいや、まことに哀れ、哀れな運命よ…」
「何が哀れか! 調子に乗るでないわ!!」
語る途中から身振り手振りの芝居が入って興が乗る明理の頭を、侑喜はすぱん!と手刀ではたく。
「痛いではないか。侑喜姫が語れと言うから語っただけだろう」
「ふざけるな! 馳野、貴様、貴様が私をここへ運んだというなら、それが真っ赤な嘘と存じておるだろうが!!」
いけしゃあしゃあと善人面で被害を訴える明理に侑喜は叫んで言い返し、その後ではーはーと息をつく。
「おや、嘘なのか? 俺も現場を見た訳ではないから知らん」
「貴様が知っているのはどこからなんだ!」
「陽斎から侑喜姫を受け渡しされた後だな。つまり噂を否定する根拠はない」
「阿呆か! 面白がりおって!!」
「いや面白い。難攻不落な佳人を落としたのが陽斎とは、意外すぎるではないか。あの小太りの坊ちゃん狸でもこんな美人を落とせたんだなあとしみじみ思う。
まあよく考えてみろ。あいつはお人好しで救いようもない愚図だが、少なくとも人を裏切ったり嘘をついたりする奴ではないぞ。女にも博打にも酒にも溺れぬ、加えて育ちの良い名家の出、財産は潤沢。妻になれば将来安泰。ほんのちょっと、間抜けな顔と腹が出ているのを我慢するだけだ。何、簡単なことだろう。色狂いの界帝に犯されるよりはよっぽどマシではないか?」
(色狂いの界帝)
明理の並べ立てる理屈に、侑喜はぴん、と閃く。
「馳野、貴様、…どこから図ったのだ!」
陽斎と明理は親しい。こんな憎まれ口をたたいていても、明理は年上の友人である陽斎に信を置いている。
その陽斎が、望まない女を襲ったなどと不名誉な噂になるのを、この気が働く男が放置するだろうか。
本当にそんな噂が皇宮内を席巻しているのなら、侑喜の嫁ぎ先は限られてくる。今まで引く手あまただった求婚の数々も、既に犯された娘となればぱたりと途絶えるだろう。それでも侑喜が嫁ぐなら、最も高い可能性は、不名誉な噂の張本人に責任を取ってもらい、陽斎の妻となること。
(噂を逆手に取り、望む女を陽斎に与えることぐらい、明理はやる!!)
「おっと、目つきが剣呑だな。何を考えているか知らんが、俺は侑喜姫の人事不省を図ってなどいないし、陽斎も侑喜姫を望んだ訳ではないぞ」
「何を言う。白々しい…、界帝の手があったことを知っている貴様が!!」
「どうどう。そういきりたてられると、なんだかこっちも気が高ぶるよな。実に都合良く寝室はすぐそこか? 上着の下は寝衣かな。弱った美女にこの状況で睨まれると、いやなかなか…」
「この色情魔め!!」
再び侑喜は手刀を振る…が、その手は食わぬと明理はさっと素早く躱す。
「侑喜姫のその遠慮のないところはなかなか良い。どうだ? 陽斎が気に食わぬなら俺が娶ってやろうか? 少なくとも、あの類とかいういすりうるの男よりは尽くしてやるぞ」
類、の一言に侑喜の体が強張る。
(類、類、類…!)
煮えたぎる怒りと絶望的な悲しみ、己の不覚への羞恥、ささやかな愛情に、侑喜の心は嵐に見舞われたように翻弄された。
「おっと、ようやく本命が来たかな」
ふと明理が扉の方へ目を向け、呟く。
「来た? 本命?」
すると間を置かず控えめに扉が叩かれ、労柑が困り果てた顔で侑喜を呼んだ。
「どうした。誰か来たのか」
「あの…陽斎様と名乗るお方が。たくさんの贈り物を掲げて来られて。そのう…、侑喜さまに、是非、直接お会いしたいと…」
声が聞こえたのか、ぷっと明理が噴き出す。ぎろりと鋭い一瞥を侑喜がくれると、構わず、明理はくっくっと笑い出した。
「侍女がお困りな程贈り物を掲げてくるとはな。全く、陽斎らしい。いやはや、さすがは我らが愛する子狸どのだ」
と、家人の制止を振り切りながらずかずかと人の近づく足音がし、戸口に立った労柑が後ろを振り返ってぎょっと身を縮める。
居室の中とは言え、扉近くに来て労柑と話していた侑喜にもすぐにその姿が見えた。
「侑喜どの! お願い致します!!」
「は、はい? 積葉殿?」
両手一杯にきらきらしく紐のかけられた黒塗りの箱を抱え、紅梅に金糸の軍服で正装した陽斎が、侑喜を認め、手に持った箱を勢いよく差し出して叫ぶように言う。
「いろいろご不満はおありでしょうけれど、こうなってはいたしかたありません。私の不徳はこれから精一杯償わせていただきます。
ですから、どうか、私と結婚してください!!」
全5話を予定していましたが、伸びるかもしれません。
明理が出ると文字数が進みます。お喋りな奴め。…




