おまけ 淑女たちのお茶会 3
春帝国皇宮内に設けられた訓練場の一角は桜林と接している。
はらはらと薄紅の花びらが風に舞散る中、侑喜は類と、静かにその林の中を散策する。
春帝国の外、大山脈を超えての優慈似愛より南に下った小国、委栖梨卯屡が類の故郷とのことだった。
始めの手合わせで手ひどく敗れてから、名誉挽回の機会を狙い、侑喜は類の姿を見るとは突っかかりに行く。類はそれを飄々と躱す。
なかなか次の手合わせを承諾しない類に業を煮やし、何かしらと喧嘩を売るように話しかける侑喜は、いつしか明るい茶色の髪に碧の瞳の異国の男である類の、珍しい話に引き込まれるばかりになった。
侑喜の声かけが手合わせの挑戦ではなく友への呼びかけになり。友への呼びかけが、己を普通の少女扱いする異国の男への甘い憧れになり。
憧れは、絵札遊戯の手札を裏返すように、簡単に恋に変わる。
「薔薇は君には似合わないね、侑喜姫」
どこか儚げに微笑する類に、侑喜は言葉を詰まらせる。
「君には、もっと相応しい花がある」
「…それは、どんな?」
「そうだね、…」
類は笑ってその先を濁した。
侑喜は、ぎゅっと拳を握りしめ、けれど顔は何事もないようにすまして、できるだけ平坦な声になるように心がけながら、勇気を出して類に告げる。
「その相応しい花を、いつか私に、贈ってくれないか。類」
秋薔薇の季節は終わり、冬が過ぎ、桜が咲き、散りそめる春も過ぎようとしている。
きっかけはどうであれ、類と共に過ごすようになった侑喜に、求婚の証にと薔薇を贈る者は現れなくなった。
「…そうだね。じゃあ、心して考えておくよ。姫君」
明るい湖のように碧がかった瞳を瞬かせて穏やかに答える類に、侑喜は頷くだけで精一杯だった。
砂糖菓子のように甘くとろけるこの瞬間の思いを、今まで多くの男が侑喜に捧げ、自分はそれを無碍に袖にして来たのかと己を振り返る。
(けれど、私をこうさせるのは類だけだ)
(私に薔薇は似合わないと、他に相応しい花があると、言ってくれるのは)
いつ、どれだけ時が経っても、この時を思い出すと、侑喜は甘酸っぱく胸が締め付けられるその感触に翻弄される。
その時、確かに侑喜は類に恋をしていたのだ。
そして侑喜は、その男、類に見事に嵌められたのであった。
(信じられん。まさか、そんな、…!)
「ごめんね。君ってとっても可愛いんだけど。俺は正直、女よりもこの国で出世したいんだよね」
ぺろっと舌を出して悪びれずに告げると、碧がかった瞳を猫のように瞬かせて、類は笑って侑喜を見下ろす。
豪奢な寝台に侑喜は寝かされていた。
指は辛うじて動くが、手は持ち上がらない。足も重りを付けられたようにだるい。
一服盛られたのだと気付き、愕然とする。
「こんな…ことをして…、貴様…、ただでは、…」
睨みつける侑喜を類は笑っていなす。常ならば侑喜は瞬時にこの不埒な男を殴り倒していた筈だった。
だが、今、体は満足に動かない。
侑喜の体の自由を奪い、人気のない春帝国皇宮の一室の寝台に寝かせ、類は侑喜をにやにや笑って見下ろしている。これから何が起こるのか、怒りがわくと同時に得体の知れない恐怖がやってきた。
類は侑喜をどうにでもできる。凌辱することも。命を奪うことも。
武門の名家の姫として己を磨き、武の道において少なからずその辺の男には負けない強さを自負してきたつもりだった。その強さが全く効かないこの状況に、侑喜は冷静さを装いつつも内心では発狂寸前だった。
「ごめんね。君には悪いと思うんだけど。でも嫌なのってきっと一時のことだし」
(なぜ! どうして…!)
類が望むなら、侑喜はきっと受け入れた。侑喜の心は類を許していた。
(凌辱されるのか。薬を盛られて)
こんな形をとらなくても、愛してる、好きだよと言ってくれたなら、侑喜はきっと類になんだって捧げていたのだ。
(私は、類が好きだったのに!)
類の言葉の端々に、近い将来起こるべき悪夢が予感され、侑喜は類に心を預けかけた自分を呪う。
だが、呪ったところで何がどう変わる訳もない。耳を覆いたくなるも手は動かず、侑喜は類の忌まわしい言葉をただじっと聞くことしかできない。
「君さあ、きれいだし、かっこいいし、きっと大切にされると思うんだ。宝石でも金でも銀でも、豪勢な衣服でもきらきらした飾り物でも、何でも買ってもらったらいいじゃない。毎日毎食贅を尽くした料理を食べて、何人何十人もの侍女にかしづかれてさ。どう? そそらない? きっとすごく幸せだと思うよ」
「…き…さま…!!」
続く類の言葉に、侑喜はようやく、事態を把握した。
侑喜を凌辱するのは、類ではない。
(界帝に、春帝国皇帝に私は犯されるのか…!)
「いつか俺に感謝するって。ね、皇帝陛下が引き込んだ女は数知れないけど、君はその中でも結構格式の高い家のお嬢様でしょ? もしかすると皇后陛下になれるかもしれないじゃない。この東大陸を統べる春帝国の皇后だよ? 素敵でしょう?」
自分に酔ったように喋る類に、侑喜は得体のしれない狂人のような気色悪さを感じる。
類の価値観が全くわからない。その相手に、幼い恋心を持ち、好かれていると誤解していた自分を侑喜は殺してやりたくなった。
(せめて自害を…! だが、舌も歯も満足に動かぬ…!!)
「さて、俺はそろそろ退散しようかな。ちゃんとくすりが効いているうちに、陛下もやって来ると思うし。ある意味幸運だよ。初めてって女の人はすごく痛いらしいけど、麻痺しちゃってるから、きっと何も感じないよ。それとも、そんな心配無用かな? 言い寄って来る男も随分多いみたいだし、初めてじゃなくても不思議じゃないね。まあ、俺に見惚れてる顔はとっても可愛かったけど」
(この手が…、この足が…、体さえ、動けば、…)
「きれいな花を欲しがる人は多いよね。皇帝陛下は、随分君が欲しかったみたいだよ。でも君の家ってとっても古いらしくて、側近が目を光らせてるから、なかなか手が出せなかったんだって。人って不思議だね。そういうのに限って欲しくなっちゃうんだよねえ。
じゃあね。ま、君の運命なんて今更変わらないんだし、せっかくなんだから、せいぜい楽しむといいよ。
皇帝陛下が優しいといいね」
そうだ、とふと思いついたように、類はぱちんと指を鳴らす。
「これこれ、これを君にあげるよ」
室内に生けてある花瓶から、赤子の頭ほどもある大きさの緋牡丹を抜き、侑喜の顔の傍に添える。
「君に相応しい花を贈るって約束したよね? 忘れちゃったかな」
(忘れる筈がない)
(だけど…!)
「薔薇は君には似合わない。大ぶりな花ならこれくらい強い印象を持ってこなくちゃ、花が負ける。ほら、どう。君に相応しく似合っているよ」
「わたし…は、牡丹もき、らい、だ…!!」
侑喜は気力を振り絞って叫んだつもりだったが、喉からはかすれた声が漏れるばかりだった。
「そう? じゃあ、百合の方が良かったかな。蓮…はちょっと早いし。俺は牡丹だと思ったんだけど、意見が合わなくて残念」
(…類)
「るい!…」
横たわる侑喜に覆いかぶさろう程に近づけていた身を起こし、類はすっと寝台から離れる。
侑喜の呼ぶ声をものともせず、背中を向け、部屋を出ていく。
(類…!!)
目尻から涙がこぼれた。
まるで血が流れていくようだと侑喜は思い、閉じられた扉の鍵のかかる音を聞いて、辛うじて繋ぎ止めていた侑喜の意識はすぐに失われた。




