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部屋の中にさっと光が差し込んだ。自分のうずくまる長椅子にまでその光は届かないが、部屋の青い壁紙、備え付けられた小卓と椅子が明度を増す。
ああ、人が入ってきたんだな、と彩祐≪さいゆう≫はおぼろげに思う。
彩祐のいるこの部屋の中に入って来る者は限られている。わずかに落ち着きの欠く足音で、それが陽芳だとわかった。
「相変わらずか? 今日は何をしていた」
近づき、陽芳は彩祐の顎に手をかけ、強引に上向かせる。彩祐は硝子玉のような虚ろな眼で、主人然として振る舞う陽芳を見つめた。
世が世なら、こんな粗暴な振る舞いは許されない。何か月か前の自分ならその手を振り払い、屈辱に剣を鞘走らせていただろう。
だが今はどうでもいい。今の彩祐は屍も同然で、何をする気にもなれなかった。
「毎日何もせず時を過ごす。無駄の極みだな。そんなに兄が恋しいなら、いっそ死んだらどうだ?」
「自死は、‥兄者が許さない」
久ぶりに言葉を発したためか、ひどくしわがれた声が出る。
「おまえの兄など、もうこの世にいないではないか」
「‥殺してくれ。いっそ殺せばいい。自ら死ねない。殺して‥」
瞬間陽芳の眼に狂気が宿り彩祐を突き飛ばす。されるがままに彩祐は長椅子から床に倒れた。
「反吐が出るな。殺せだと。自死すらできないだと。ふざけるな。おまえは私が拾ったんだ。死ぬなら私の役に立ってから死ね」
「‥」
「誰のおかげでここにいられる。何もせずぶつぶつと呟くばかりの薄気味悪い女が、誰の温情で世話されていると思っている。おまえのような気鬱の女、慰みにする気にもなれない」
唾を吐き、苛立たしげに足を蹴り、払う。痛みと衝撃が彩祐を襲ったが、彩祐は抗いもしなかった。
「まるで人形を蹴っているようだな。つまらん。‥おい、誰か、着替えを持って来い。外に出る」
陽芳が上げた声を聞きつけ、長身の男が入って来る。陽芳の側近、玲威≪れいい≫だ。
「志破さま? 外に出るとは?」
「狩りに行く。碧華苑だ。明香を誘ったが行かなかった。代わりだ」
「正気ですか。彩祐を連れて外に出ると? 誰かに見られたら如何します。彼女は先の内乱の首謀者、彩興の妹ですよ。まして明香姫が滞在しているこの時期に、別の女を伴うと?」
「彩興の顔さえあまり知られていなかったのに、妹の顔などわかるものか。なんなら男のなりをさせればいい。どうせ女として連れていくのではない」
「彩祐を外に出して、何をさせると言うのです」
「腕を見る。言っただろう、狩りだ」
倒れたままの彩祐の髪をつかみ、無理やり引き上げる。倒され、蹴られたときに口を切ったのか、唇の端に血がにじんでいた。
「あの時言ったな。おまえを拾った時だ。兄を処刑され悔しさが募り、思わず矢を射かけたと。矢は人垣を飛び越え、処刑場傍に控えていた者に当たったと。矢が誰に当たったか知っているか? 彩興を捕えた陽梨ではない、腹心の周藍でもない、周藍をかばった夏国大使・暁亮だ。しばらく寝台を離れられなかったらしいが、命を奪うにも至らなかった。兄の復讐を遂げることなく見当外れな的に当たり、何もなせずただ逃げた。私に拾われた後はただふさぎ込むだけ。おまえは一体何がしたかったのだろうな? そんなおまえを生かして処刑された彩興は、何だったんだろうな?」
「‥兄者を馬鹿にするな」
「馬鹿にするさ。内乱を企ててせっかく王宮にまで迫ったのに、あっさり捕えられた。志を継ぐものも残らず、大事にしていた妹は躯のようにただ生きているだけ。死ぬ気力もないという。
おまえの兄は、大馬鹿者、だ」
「陽芳!!」
「腕を見せろ。碧華苑のそばには良い狩場がある。処刑場の外、人垣の向こう、姿も見えないところから暁亮を射たとして、普通は到底矢が届く距離ではない。それが本当なら随一の腕前だ。拾ったからには働いてもらうぞ」
「おまえのためになど、誰が働くか! 兄を処刑した秋国の王子のためになど!!」
「そうかな? 私は先の内乱の鎮圧に手を貸していないぞ。おまえの兄を殺したのは、私ではなく、陽梨ではないか? 私のために働けなくても、陽梨を弑すためなら働けるのではないか?」
「陽梨を‥弑す‥」
「狩りに出る気になったか? 彩祐」
「‥着替えを貸せ。こんなひらひらの格好で弓は射れない」
「腕前、しかと見せてもらうぞ」