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夏国王女明香は、白髭の老爺を含めた武人たち三人共に、夜の秋国王宮白焼宮を走るように東門へと進んでいた。
秋国建国祭前夜、夜半過ぎの白焼宮は黒い星空に沈み、廊下や壁にところどころ灯された明かりが、進みゆく明香たちの影を大きく揺らめかせている。昼間と違う幻想的な雰囲気に呑まれ、明香のこころにひたひたと不安が満ちて来る。そこへ、行く手から、男たちの怒号が遠く聞こえて来た。
(一体どうなってるの? 何が起こっているの?)
(陽梨は…)
無事なのか。
人気のない道を白髭の老爺が先導する。
普段ならいくらかの距離ごとに、近衛兵が警備に立っている筈なのだ。その姿がない。それもまた明香のこころを焦らせる。
(兵たちはどこへ行ったの?)
「姫君。息が上がっておりまする」
老爺が声をかけ、明香はちらりとそちらを見た。
足は緩めない。けれど声を出すのは辛く、明香はただ小さく頷く。当然、成人し訓練された兵士たちが速足で行くところを、十歳の少女が同行するには無理が出る。兵士たちには早歩きでも、明香にとってはかけているようなものだ。
「…今からでも、侑喜様の元に戻られては如何か。姫君のような幼き少女には、共に来るのも苦しかりましょう。あちらで、安全な場所でのんびりとお過ごしになられては」
諭すように優しく言う老爺に、だが、明香は首を振った。
老爺は困ったことだと明香を見遣る。
「正直、姫君をお連れするような場所ではありませぬ。姫君をお守りしながらでは、私たちも自由が利かぬ。姫君を敢えて危険な場所にお連れする意味がありませぬ」
明香は唇を引き結ぶ。
「…私のことは気にしなくていいわ。勝手について行くだけだから」
「そのような訳には。仮にも、貴女様は夏国の王女ではございませぬか。御身に何かありましたら、秋国はどう責任をとったら良いのか。そのことをお考えになったことはありませぬか。次期秋国王妃をむざむざ危険にさらす訳には参りませぬ」
「お父さまは…私が自分で決めてでやったことを、他の誰かに責任を取れと言う方ではないわ」
寧ろ夏国王明理なら、どんなに幼くても己の行動には己で責任を取れと言うだろう。
(このお爺さんの言うこともわかる。でも、でも)
(私にだって何かできる筈。それに、…)
(陽梨はどうなったの。陽梨のそばに行きたい!)
「幼い私にできることはなくても、夏国王女の私の立場が、きっと何かの役に立つわ。
白焼宮で何が起こっているの? 陽梨が戦っているのは誰? その相手には、私の立場は威力がない?
私も行きたいの。奥で隠れて待っているだけなんていや。陽梨のそばに行きたいの。
私が、次期秋国王妃だと言うのなら、…」
息を切らせながら明香は続けた。
「その言に従いなさい。兵士の貴方たちは私を守るのが務めよ。そして王妃は、国で何が起こっているのかを知り、王を助け、民のためにはたらくのが務め。
貴方たちは、次期秋国王妃を、ただ守られているだけの、お人形にするつもりなの?
建国祭前夜の今日この夜、この秋国王宮で、何が起きているのかを、貴方たちは次期秋国王妃につまびらかにできないの? 次期秋国王である陽梨、陽芳に何が起きているのかを?
正妃侑喜さまは認めてくださったわ。
次期秋国王妃の名で命ずるわ。私を、陽梨のところまで、連れて行きなさい!」
言い切った明香を老爺が驚いた顔で見つめ、やがて破顔した。
「その言や良し!」
「きゃあっ!?」
老爺は腰をかがめ、さっと明香の体をすくう。その突然の動きに、明香は小さく悲鳴を上げた。
「皆の者、今のをお聞きになられたか? 秋は良き次期王妃を得られた。
さあ、次期秋国王妃をお守りいたすぞ!」
老爺は器用にも明香を肩に乗せ、落ち着かせると、速足をやめて走り出した。
「それ程までに思われたなら、志保様も男冥利に尽きると言うもの。いやあ、今から先が楽しみでございまするな。はっはっはっ!!」
「あ、あの、ちょっと!? 何だかすごい速さなんだけど!?」
予想外の展開に慌てる明香に、老爺は大笑し、残り二人の兵士はため息をつく。
「あーあ、起動入っちゃったよ…」
「明香姫、しばしご容赦を。…これ、後で怒られるのは俺たちなのかな…」
そんな呟きを聞いているうちに、東門が見えて来る。
緋色と浅黄の兵士たちが門の前で交戦していた。優勢なのは緋色の方か。
陽梨は緋色の軍勢の中心にいた。どうやら陽梨が指揮しているのが緋色らしい。
そして浅黄の兵士たちを従えているのは、陽芳の副官玲威。
(陽梨と戦っているのは…陽芳なの!?)
玲威の姿があり、陽芳が無関係とは到底思えない。秋国第一王子陽梨と秋国第二王子陽芳の戦い。その構図に明香の背筋がぞっと冷える。
予感はあった。陽梨と陽芳は、兄弟であるにも関わらずほとんど接することがなく、陽芳の発言はしばしば陽梨への暗い執着に満ちていた。
だがこれは別だ。口先だけの鞘当てではない。遠回しの権力争いでもない。剣を交えての、王宮内での、戦闘だ。
(どちらが勝っても、どちらが負けても、秋国は昨日と同じ姿ではいられない)
(それに、陽王は? この王子二人の戦いに、陽王はどこで何をしているの!?)
見ている間に、陽梨の率いる緋色の軍勢が浅黄の近衛兵をやや押していく。
その時、閉じられた東門がぎぎっと開き始めた。
「ははははっ!! 時間稼ぎは私たちに味方したようですね!」
玲威の嘲笑が響き、明香はその先を見て目を見張った。
(――源基! そんな。夏国軍が来るなんて)
紺色の上衣や空色の外套をまとった兵士たちの顔に見覚えがある。夏国から、明香をこの秋国まで送り届けてくれた兵士たちが、今、整列して行軍し、開けられた東門から入って来る。
それを率いているのは夏国軍将軍源基。そしてその剣の切っ先は、陽梨たち緋色の軍勢に向けられる。
「白架どの。時機良くご登場、ありがとうございます」
「…未だ片付けが終わらんとは。無様な。仕方あるまい。我らが剣を持って助太刀いたそう」
源基は陽梨へ突きつけた剣を、更に高く天へ掲げる。
「者ども。夏国の未来のために、秋国王子陽芳に玉座を。反逆者王子陽梨を滅せよ!!」
「やめなさい!!」
明香は叫んだ。
「やめなさい、夏国のつわものたち。夏国王女明香がここにいるわ。こちらを見なさい!!」
声の限り、力の限り、明香は全身を折るようにして叫ぶ。その小さな少女の号令に、夏国秋国を問わずその場の兵士たちが明香を見る。
「これは如何なる戦いか。秋国建国を寿ぐその前夜というのに、武骨にも剣を交えて何をしているのか。
栄えある夏国の兵士たちよ。良き隣人たる秋国の王宮に刃も露わに立ち入って、何をするつもりなの。
恥を知りなさい! 夏国は秋国に刃を向けない。相手が陽梨だろうが、陽芳だろうが同じ。
夏国王女明香が命ずる。直ちに剣を戻し、跪礼せよ!!」




