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青風楽団の歌姫嵐玉が身を起こすのを不機嫌に眺め、秋国第一王子陽梨は剣を収める。

と、陽梨の名を呼びながら、ばらばらと緋色の上衣を着た男たちが集まってきた。

陽梨は秋国軍左軍を預かる将でもある。緋色の上衣はその所属の証だ。

「志保様! こちらにおられましたか」

「遅い!!」

陽梨は一喝する。

「この馬鹿でかい声を聴いたのは同じだろう。私より駆けつけるのが遅いとはどういうことだ。まだまだ訓練が足りていないようだな? 貴様ら、事が収まったら徹底的にしごいてやるからな。覚悟しておけよ。

…ったく、人の段取りをいろいろと無駄にしやがって…」

「馬鹿でかい声って、失礼ね! 商売なんだから声が大きいのは当然でしょ!」

落雷を隠した暗雲のように不穏に睨んでくる陽梨に、嵐玉は心中恐怖に震えながらも、反射的に言い返し、はっと気が付く。

「そんなことより、楽屋に武器が! 男たちが剣を携えて出て行ったわ!!」

「…知っている」

ちっと舌打ちし、苦々しげに陽梨は頷く。

「知っている? なんで? まさかあれは志保様の…」

「女、勘違いするでない。志保様がそのような不穏な(やから)と関わりがある筈があるか」

「黙れ爺」

横から白鬚を生やした武人が訳知り顔で口を出す。何この人、と嵐玉が面食らっていると、陽梨の舌打ちが入る。

一つため息をつき、束ねた髪の毛が乱れるのも気にせず頭をかきむしると、陽梨はその老爺に指示した。

「近いのは母上のところか。爺、もう二人連れて送ってやれ」

「なんと! 私がこの女を? しかし私は志保様のお伴を致したく…。私ではなく、他の者ではなるまいか」

「仕方ないだろう。この女がいなければ明日の建国祭に穴が空く。心配せずとも、もうすぐ援軍が合流する筈だ。それまで持ちこたえるぐらい、こいつらで十分だ。違うか?」

ぎろり、と陽梨が背後の兵たちを睨む。睨まれた男たちは、途端に背筋を伸ばして姿勢を正す。

「…さっさと行け。行った先には明香もいる筈だ。軍の一部を裂いて守りを固めている。

何も心配することはない。

明日の建国祭は必ず無事に迎える。おまえは明日の舞台の心配をしておけ」

不機嫌ながらも込められた気遣いに、嵐玉は頷く。老爺が近くの兵二人に声をかけ、嵐玉の周りを囲んだ。

(…何よ。明香姫、あんたの王子様は、かっこ良いじゃないのよ)

「志保様。あの、…ありがとうございます!」

当然、といった顔で陽梨は首肯する。嵐玉たちの姿をしばし見遣った後、陽梨は残った兵たちに号令をかけた。

「行くぞ! 西側庭園を抜けて東側へ回る。東門前に陣を敷く!!」


建国祭を明日に控えたその夜、夏国王女明香は正妃に招かれて白焼宮北の宮を訪れていた。

「忙しい時に招いてしまい、申し訳ないの。まあこれも未来の姑の頼みと思って許しておくれ」

「お気遣いありがとうございます。お招き頂き、とても嬉しく思います。頂いたお食事もとってもおいしくて、楽しく過ごさせて頂いています」

「ふむ…明香姫は素直な姫君よの。松宣、どうか。未来の王妃はなかなか優等生ではないか?」

「は。明香姫のご麗質には、なかなかどうして、夏国王を鑑みると想像が難しく…」

秋国宰相松宣が夏国王明理を引き合いに出すと、秋国王正妃侑喜は凛々しく整った眉をひそめてため息をつく。

「…夏国王に文句を言わずに過ごすことはできんのか、松宣。明香姫、許されよ。松宣がこういうのは決して夏国を貶めたいからではなく、好きよ好きよも嫌のうちというか、何というか…」

言い訳のような体をして真面目な顔で松宣をおちょくる侑喜に、秋国王女陽貴がたおやかに春風のように微笑して、言を継ぐ。

「夏国王さまは、若い頃の松宣にちょっとした悪戯をたくさん仕掛けたそうなのですわ、明香さま。ひねくれ者が風邪をこじらせたようなもの、どうかお気になさらないでくださいね」

「これは、陽貴さま、正妃さまも、そのような言い方は不本意な」

正妃に呆れられ、陽貴に茶化され、秋国宰相松宣も片なしである。明香の顔は自然と綻んだ。

正妃に招かれて北の宮を訪れた明香は、晩餐の席に案内され、女性らしく艶然としているのにどこか凛々しく剛毅な正妃侑喜と、絵に描いたような淑女の王女陽貴、どうやら陽貴を猫かわいがりしているらしい宰相松宣と食事を共にした後、食後の茶を喫しながら歓談しているところだった。

侑喜の住まう北の宮は、控えめで重厚ながらもきらりと洒落っ気が混じるような、主人そのままの様子に調えられている。明香たちが歓談する広間もその例にもれず、暗赤色と橙色を主調(メインカラー)にして、敷物(カーペット)覆い布(カーテン)は要所要所に黒と金で薔薇の紋様が描かれ、その比率(バランス)が十分に洗練されているために、あざとくなく、それでいて地味にもならずとの絶妙さを保っていた。

(正妃さまのお部屋、子規将軍のお部屋、志破さまのお部屋、暁亮のお部屋…)

秋国白焼宮に来てから明香はいくつかの部屋を訪ねたが、どの部屋も主の雰囲気をよく伝えている。

(もし明香がお部屋を調えるなら、どんなお部屋になるかしら)

陽梨の部屋はどんな、と思いかけ、明香はすぐさま雑念を追い払うように、首を何度か横に振った。

投げつけられた言葉は、何度反響しても減衰せず、侍女祐と第二王子陽芳、歌姫嵐玉に慰めてもらって一時は気分が上向きかけたものの、やはり思い出すと落ち込んでしまう。

「明香さま、どういたしまして? 何かお気にかかることでも?」

「いいえ、陽貴さま。このお菓子がとってもおいしいのですけれど、どれくらいまで食べても太らないかしらと思ってしまって…」

心配そうに覗き込む陽貴に、明香は微笑し、目の前の皿を差す。柚子皮を練りこんで焼き上げたふわふわの白い蒸し菓子は、ほんのりと甘い程度の味付けで軽いものだったが、夜の遅い時間に淑女が数を食すものではない。

「まあ。明香さまはまだまだお気にすることはないですわ。そんな風におっしゃられたら、私の方が気になって来てしまいます。明日もたくさんお仕事があるのですから、今夜くらい許されますわよ」

「そちたち、太るとか太らないとか、年を食った私に対する当てつけか?」

「娘が母親よりも若いのは当たり前です。それに、お母さまはちっともお太りではないではありませんか。寧ろお気をつけて頂きたいのは、お父さまですわ」

「積葉どのの体型は気にしても無駄無駄。若い頃からあんな腹であるしな。…ふむ。したらば、太ってはいない、ということか?」

しかし明香姫は優等生じゃの、と正妃侑喜が呟く。意味ありげに片眼をつぶった正妃に、明香は首をすくめた。

(陽梨のことを考えていたの、誤魔化したのが、バレバレね…)

一方で陽貴は全く気付いておらず、こちらには正妃は無邪気よの、と呟いた。

その時、外から絹を裂くような女の悲鳴が聞こえて来た。

扉は閉め切っているのに、近くではないようなのに、声が飛び込んで来る。和やかに歓談していた広間は一瞬静まり返り、その間にも聞こえる悲鳴に、明香ははっと立ち上がった。

(嵐玉の声!)

「お座りなされ、明香姫。お行儀が悪いぞ?」

「ですが…」

正妃侑喜が声をかける。今の声を、と返そうとし、明香は正妃の瞳に浮かぶ強い意志の光に気づいた。

「何か起こったようだな。しかし腐ってもここは白焼宮、秋国軍も詰めておれば近衛兵も控えておる。私が住まうこの北の宮で何も心配するようなことは起こらぬ。些事は然るべき者に任せておけば良い。明香姫には、明香姫の為すべきことがあろう?」

「為すべきこと…」

「現秋国正妃である私や、宰相の松宣、秋国王女であり次期夏国王妃となるであろう陽貴と(よしみ)を結び、国家間の軋轢を少しでも解消すること。立派な務めであろう。たとえ実態がこのような美味な食事に菓子、茶を並べてべらべらと喋ることであっても」

そうこうしているうちに、悲鳴は止んだ。

明香は秋国宰相松宣に目を遣る。松宣はそっと頷き、明香に着席を促す。

「…無作法にて、申し訳ありませんでした」

明香は再び椅子に座った。

しかし、頭の中は様々な考えが目まぐるしく動いている。

(なぜ悲鳴? なぜ嵐玉? どこから?)

(どうして正妃さまはこんな風でいるの? 宰相も知っているの?)

(私と、陽貴と、正妃と、宰相、建国祭の前夜にわざわざここへ招かれたのは…)

(夏国大使暁亮は、今日は予定が立て込んでいると言っていた。夏国兵は秋国王宮白焼宮に入れない。…私の警護が薄い。要人を1ヶ所に集める理由なんて…)

給仕をしていた侍女が新しく茶を入れ、明香の前に供す。

ゆらゆらと揺れながら香り立つ香気を明香はじっと見つめる。

ばたばたと慌ただしい音がして、何人かが広間のすぐ近くまで駈け込んできたようだった。

「御前、失礼致します!!」

明香は再度立ち上がり、今度こそ座りなおさず、広間の入口を開けて続きの間に入る。続きの間の廊下側の扉が開き、緋色の上衣を着た三人の兵と彼らに囲まれた嵐玉が、控えている侍女とやりとりしているのが見えた。

「嵐玉! どうしたの!? 何があったの! さっきの悲鳴は!?」

「明香姫…」

走ってきたのか、息を荒げていた嵐玉は、明香の顔を見るとほっとしたように表情を緩めた。

「何から話したら良いのか…。とにかく、志保様が」

「陽梨が何!」

疲れた様子の嵐玉に駆け寄り、明香は嵐玉の衣の端をつかんで問いただす。突然の剣幕に嵐玉がろくに言葉を返せず戸惑っているうちに、後ろから凛々しく正妃侑喜の声がかかる。

「戸口で何を話している。明香姫、中に戻りなされ。仔細を聞きたければその女も入れるが良い。そなた、青風楽団の歌姫であろう。爺、そなた陽梨と共にいたのでは?」

「は、侑喜様にはご機嫌麗しく…。こちらの女性が明日の建国祭で大事なお役目があるとか、侑喜様の元までお送りするよう言いつかりました。これから爺は志保様の元に戻りますので、どうぞ、ご容赦を」

明香は一瞬で覚悟を決めた。

「私も行くわ。連れて行って!」

「は? し、しかし、このような夜分に、お嬢様のようなか弱い婦女子をお連れするようなところでは…」

「なら頼まないわ。自分で付いて行くから」

爺と呼ばれた人物の反駁を瞬殺し、明香はその腰当たりの衣をしっかりと握る。

「明香姫、それはどうか。姫には是非こちらにて、私とまだまだお喋りを楽しんで頂きたいものだが。この正妃の招きを中座すると言うのかえ? 姫のことは、夏国大使からも重々頼まれておるぞ?」

「申し訳ありません。明香はたった今、気分がとっても悪くなってしまいました! このままでは、せっかくの楽しいひとときに水を差すような、はしたないふるまいをしてしまいます。正妃さま、陽貴さま、宰相さま、秋国貴人の方々に見苦しいふるまいを見せるのは、夏国王女として忸怩たる思いです。病人は速やかに退室致します。無作法へのお叱りは、後で存分に頂きますので。――さあ行って! 早く!!」

「は、し、しかし、むむむ、…」

老兵は目を白黒させて正妃を見る。侑喜は一つため息をつき、老兵に頷くと追い払うように手を振った。

明香を伴って兵たちが去ると、再び静寂が訪れる。

「ふ、ふ、ふふ、ふははははは!!」

正妃侑喜が突如として大笑した。

「なんと見事な。なんと可愛らしい。さすがは音に聞く狼王、夏国王明理の娘よ。全く見事な覚悟。松宣、いかがか?」

「は。私からは、もう何も」

「お母さま、これはどういうことですの? 陽梨に何が? 明香さまはどこへ?」

陽貴がひとりわからないという顔で侑喜に問う。侑喜は楽しそうに笑うばかりで答えず、明香につられて出て来た面々を、再び広間へ戻るように言いつけた。

「嵐玉。明香姫の代わりに、そちも席につけ。夏国大使への言い訳を考えねば。今夜はこちらで守るようにと頼まれたが、あれは、無理というもの。何、花嫁を守れずして何が花婿か。明香姫の安否は陽梨に任せるとしよう」

「明香姫は、まだ志保様を選ぶとも何とも言われておりませんが…」

「野暮よの。そんなことを言っておるから、こっそり飼っていた猫が夏国王に懐いてしまったり、出せずに抱えていた恋文を勝手に送られたりするのじゃ」

「ゆ、侑喜さま、なぜそれを」

「松宣、そちと明王との確執など、積葉どのから聞いておる。夏国王は、松宣のちまちました悩みなどあっという間に飛び越えてしまう行動の男。向こうは良かれと思いこそすれ、なぜ怒られるのか全く理解していないということもな。

明香姫のあの行動の早さを見よ。あれで陽梨が選ばれないのであれば、あの小さき姫の原動力は一体何なのじゃ。惚れた以外に何があると?」

朗らかな笑みを浮かべて、正妃は侍女に再び茶を淹れさせる。何事もなかったかのように、広間は和やかな雰囲気に調えられていく。

「さて、嵐玉。この円卓でそちの席はそこ、陽貴と松宣に挟まれた私の対面よ。何があったのかも気になるが、まずは、この長い夜の待ち時間を過ごす楽しい市井の話でも聞かせておくれ?」


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