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明香をはじめとする乙女たちが衝撃から立ち直ると、せっかくのお茶が冷めてしまっていた。
気遣わし気に見守る暁亮に何とか微笑を返し、明香は侍女華音に淹れなおしを頼む。
「それで、暁亮は夏と秋の友好に努めてるってことだけど、結局は何をしてるの?」
「そうですね‥今のところは、情報収集、でしょうか。いろんな方たちと会ったり、お話を聞いたりしています」
明香に向けて、かみ砕いた言い方をする暁亮。ふうん、と明香はしばし考えた。
この頭の良い人が、毎日そんなことで済ますかしら?
それに、今即答じゃなかったし。
答えが加工されたことを直感で見抜き、明香は暁亮を見返す。
そんな明香の疑念すら了承しているような笑みで、暁亮は続けた。
「明香さまは、夏と秋が友好条約を結んだことはご存知ですね」
「知っているわ。だから明香が来たんだもの。明香が秋にわざわざ婚礼準備に来たのは、友好条約が今だけのものじゃなくて、夏国王女が秋国に気軽に滞在できる親しい関係よって示すためよね」
次代秋王の正妃に夏国王女が立ち、その次の王は夏と秋の二国の血を継ぐ。二国の間柄を長く続けるための礎となるため、明香の婚礼が持ち上がったのであり、だからこそ、明香の結婚相手は次代秋王でなければならず、明香も秋王の嫡子を生まなければならない。
その明香はたった十歳に過ぎず、最有力候補の陽梨だって十九歳。その二人が結婚し、子が生まれ、その子が王となるなんて何十年先だろう。そういえば随分気が長い話だ。
「友好条約を結び、夏国王女が秋に嫁ぐ。それだけではまだ、秋国と夏国が仲良くなったというには足りません。明香さまが正妃として立つには少なくとも数年は必要ですし、その間再び戦が起きないとも限らない。その足りない部分を埋めるために、私をはじめとして多くの者たちが、何ができるかを試みています」
‥試みる必要がある。
「明香さまは、今もし夏と秋が正面から戦ったら、どちらが勝つと思いますか?」
いたずらっぽく暁亮は問う。気軽に答えようとして、明香はとどまった。暁亮の瞳の奥が真摯に輝いている。
問われているのだ。秋国に嫁ぐ、夏国の王女として。
「‥勝つのは、秋、ね」
すとんと答えが明香の中に落ちてきた。
「国力が違うもの。秋の方がずっと広いし、食べ物もたくさん穫れて、豊かだわ。人の数も違う」
暁亮はそっと目を細めた。目をかけた幼い愛弟子が、期待に応えて正解を弾き出したのを嬉しく思う表情で。
「夏は強いわ。兵士はよく訓練されているし、馬を操るのも上手。騎馬も早いのが多いし、一人ひとりの強さなら夏は勝てる。でもそれほど食べ物は穫れないし、人の数も少ない。山や森、荒地が多くて、住めるところも秋程はない。町や村も秋に比べれば少ないし小さいわ。
全部ひっくるめて秋と喧嘩したら、夏は負けるのね」
「負けるまで、相当ねばりますけれどね。結局勝てないということを、軍師華鳴も、明王もよくおわかりです。だから今回の和平は大事な機会なのですよ」
「友好条約は、今だからこそ結べたって聞いたわ。この前の冬に秋国と冬国の境の紀の川が枯れて、秋国自慢の水軍は役に立たず、冬国とほとんど地続きみたいになって、いつ冬国に攻め込まれるかわからないから、秋は夏と条約を結ぶ気になったんだって。実際、すぐに冬国は攻めて来た訳だけど」
「攻めて来たのは冬国ではなく、先走った王子が、でしたけれど」
「ほとんど同時に秋国で内乱も起こって、迎え撃つ秋軍に、条約のために来ていた夏軍が加勢して撃退して‥。お父さま、よくそんな時に秋にいたわよね。‥暁亮もいたのよね?」
「天祐ですね」
稀に見る偶然だとばかりに暁亮はにっこりと頷く。
ようやく緊張感が薄れ、明香は並べられた菓子に手を出す。木の実をざくざくと詰めて飴掛けした焼き菓子は、明香の好みだ。香ばしく、食感が心地よい。暁亮も干し無花果をつまむ。
「結局、秋と仲良くしたいのは、夏なのね。婚礼のお話も、明香が嫁ぐ話しか出てないし」
単に友好のためなら、秋国王女が夏国に嫁ぐ、という話でも良かった筈だ。実際、秋国王女・陽貴と夏国王子・明晴となら16歳と25歳。同じ九歳差でも十歳の明香が嫁ぐよりも余程現実味がある。
「出ていない訳ではありませんよ。陽王自身は夏に好意的です。颯真さまたちの婚礼も、もうすぐ公けにされますね」
「そうなの? そうかあ‥。明晴兄さまにお嫁さんかあ‥」
字が颯真、つまり夏国第一王子の明晴は、明香にとって頼れる兄である。とはいうものの、明香の三人の兄、明晴、明韻、明章は皆明香に甘く優しく、明香を溺愛しているので、正当な評価と言えないかもしれない。一番上の明晴にしたところで、父明理よりも常識を知っているという点で評価が高いが、そもそも明理が規格外であるから、一般の男性に比べて結婚したいかどうかというと、微妙かもしれない。
大体あの明晴兄さまが女の人とお付き合いできるのかな? そういう経験とか興味とかなさそうだし、女の人の扱い方っていうか、そういうの、全然できない感じがする。明韻兄さまなら、女の人の好きそうなお洒落な場所とか、喜びそうな贈り物とか、何の気なしにできるだろうけど。
明晴兄さまは、遊びに行こうって誘う先が馬場とか。それで本気で早駆け勝負しちゃったり、勝って得意になっちゃったり、そういうことしそう。
「‥ちょっと夏国と秋国の将来のために、陽貴さまとゆっくりお話したくなってきちゃったわ」
妹として、不肖の兄の行状を先立てて謝っておかなければ。
「陽貴さまも明香さまのことを気にかけておられました。陽貴さまは陽王のお子さま方の中で一番年下ですから、明香さまのお話を聞いて、妹ができるようで嬉しいと」
「ほんと? 明香もお姉さまいないよ。お話ししてみたい!」
「そのうちお誘いがありますよ。今は志保さまと志破さまの手前、まだ遠慮なさっているようですね」
「遠慮なんていいのに。秋に来てから志破さまとばっかり遊んでて、明香はこれでいいのかなって思ってたところだよ」
「志破さまは、明香さまのお気に召しませんか」
「それはまだわからないけど‥」
「では、志保さまは」
言葉につまり、ごまかすように明香は茶碗を持つ。
志保さま、つまり陽梨とはほとんど話していない。でもそれを言いたくない。
「志保さまとは、これからだね」
覗き混むように眼差しを送る暁亮とは目を合わさず、くいっと一口飲む。明香が好きな野苺の香がすっふわっと広がった。
暁亮は人の心の機微に敏い。自分でもよくわからない明香の想いなんて、きっと全部お見通しなんだろう。
陽梨のことを考えると、明香の胸の辺りでもやもやしたものがある。
初めて言葉を交わしたときは、何だか嬉しくて心が明るくなったのに。今は小さいとげが引っかかっているみたいに、気にかかって、振り切れなくて、仕方ない。こんなの自分らしくない。
でも仕方ないわ。明香はたかだか十歳なんだし。
「暁亮こそ、子規将軍とはどうして仲良くなったの?」
「は、えっ!?」
一矢報いたくて周藍とのことを意地悪く言ってみると、いつも泰然とした暁亮が突然、むせて茶器を取り落しそうになった。
「そんなに好きなの?」
「明香さま! あの、子規どのとはそんな仲ではなくて、いえ、良くはしてもらっているんですけれど、全然そういうのじゃ‥」
明香の視界の端で侍女たちが泣きそうな顔になっていた。
一方、華音は何か悟ったように事態を受け入れている。
これ以上追及するのはやめよう、と思う一方で、今度周藍とも絶対お話ししてみよう、と明香は決意したのだった。