おまけ 夏国王の寵姫 7
夕刻になると、侍女たちがわらわらとやって来て私を湯殿へ追い立てた。
瞬く間に衣服をはぎ取られ、痛い程こすられ、磨き上げられる。
(まさか、それって、この場合でもありなの!?)
頭の中が大混乱を来している内に、私はもうもうと湯気の立つ湯殿から出され、大人びたくせのある香りの香油を肌にすりこまれ、真っ白な絹の夜着を着せられた。
光沢のある生地で、微妙に織りが流水の模様を描いており、灯りに照らされると、それが控えめに浮かび上がる。13歳なりに私は背が低いため、成人女性の丈では合わない。清水宮に上がると決まってから一日、その間に慌てて仕立てたのだろうか。
侍女たちはあまり言葉を発することなく、職人に徹して作業を行った後、私一人を残して部屋を出て行った。
(何も言わなかったけど、すごく、意味ありげな視線を送られた気がする‥)
一番年長の侍女が、最後に何やらしかつめらしい顔でぼそぼそと言っていた。
王に逆らわず、大人しく言うことを聞けば良いとか、何とか。
(それって、それって‥)
扉が開く。
びくりと肩が震えた。
見なくとも、独特の膨大な圧迫感でわかる。夏国王明理が、薄暗く灯りの落とされた部屋の中に入り、寝台に腰掛ける私のところまで近寄って来る。
私のすぐ前まで来ると、その獅子は、強張る私の身体を天辺からつま先まで見下ろし、挑発するように不敵に笑った。
「なななななによ!?」
情けなくも声が裏返る。全身で感じる明理の獅子のような気配に鳥肌が立ち、その獰猛な瞳を見ていると、本当に頭からばりばりと食べられそうな恐怖を覚える。
「髪をおろすと随分幼いな? まるでか弱い乙女のように見えるが、初夜を前に怖気づいたか」
「しょ、初夜!?」
「おまえは私の妾妃として輿入れしたのではなかったのか?」
そうその通り。
でも私は、妾妃とは言葉半分で、明理が私を後宮に入れたのは、売り言葉に買い言葉の喧嘩によるもの、そういう色艶めいた意味合いはないと勝手に思っていた。
「あなた私みたいな小娘以前を抱いてどうするのよ? そんなに女に苦労してるわけ。まあかわいそうに」
精一杯虚勢を張るが、我ながらこれで騙される人間はいないだろうという程の挙動不審ぶり。
明理は私の動揺を面白そうに眺め、寝台に座る私の両横にそれぞれ腕をつき、顔を近づける。
「この子犬は随分きゃんきゃん吠えるな?」
舌を出し唇を舐める。その様が妙に艶めかしく、思わず後ずさりするが、下がった分以上に明理は前に出、互いの顔が口づけでもしてしまいそうな程の至近距離になる。
「女には苦労していないが、さすがにこれ程若い女と寝たことはないな。ものは試し、一度くらい経験してみるのも悪くはない。しかし幼い。照凛、おまえ、一応は女になってるんだろうな?」
かっと顔に朱が走る。
「月のものぐらい来てるわよ。馬鹿にしないでよ!」
「ほほう。ならば大人扱いで良いということか」
口元がゆるみ、笑ったかと思うと、私は即座に両腕を絡めとられ、寝台に引き倒されていた。
のしかかるさまが、まるで、獅子に獲物としておさえつけられているようだ。
獅子が笑い、狙いを定めて牙をむく、やわらかい獲物の首筋にがぶりとかみつき肉を引きちぎる、そんな光景が重なる。
「いやーっ!!」
夜着の合わせを強引に開かれて、思わず悲鳴が出た。
「やだ! 怖い!! 姉さん!! 食べられる、いやあっ!!」
寝台の上を転がり、明理の手から逃れようと這うように動くところを、後ろから腰を掴まれ、脱げかけの夜着を後ろ首からずり下ろされる。明理からは背しか見えないだろうが、上半身がほとんどあらわになり、羞恥と頼りなさにぎゅっと体がちぢこんだ。
(わかっていた筈なのに)
大きく膨れ上がり部屋中を満たそうとするこの暗い気配、今からこの野生のけもののような年上の男に抱かれてしまうのだという未知への恐怖。そのどちらかだけなら耐えられたかもしれない、でもそれらが相まってしまうと、情けなくも身体の震えが止まらない。土壇場のこの時になって悲鳴が漏れ出たことに、私は自分の弱さを痛感した。
と、私の腰を後ろから押さえつけている明理の腕が、ふっと緩んだ。
今この瞬間まで感じていた嵐のような気配が、一瞬で明るく色を変え、静まっていく。
振り返ると、既に私から腕を放した明理が、堪え切れないといった風情で腹を抱えて笑っていた。
「な、な、なによ。なんなのよ!?」
「‥照凛、今の顔、なかなかの見ものだぞ。鏡でも持って来てやろうか」
はっとして顔に手をやる。頬が濡れている。私は、泣いてしまっていたのだ。
「なかなかいいな。昨日の小生意気なちびが、いざ抱かれる時になって泣きながら逃げようとするのは」
「うるさいっ!!」
反射的に側にあった枕を投げつける。が狙い定まらず、難なく明理はかわしてしまう。
「あんた、私をからかったのね!? よくもやってくれたわね!!」
「吠えろ吠えろ。弱い犬程よく吠えるらしいぞ。まさに今のおまえだな、照凛。おまえまさか、この私が、おまえのようなちんちくりんを抱くとでも思っていたのか? そんなまったいらな胸の寸胴の子供を?」
「妾妃だとか輿入れだとか紛らわしいこと言ったのはあんたでしょうが!! 私だってあんたが来るまでは、まさか抱かれるなんて髪の毛程も思ってもいなかったわよ!!」
(こんの馬鹿王が!!)
その最後の一言は、辛うじて理性が発言を押しとどめる。この、この上なくむかつく男は、これでも一応この夏国の王なのだ。
まあ言ったところでこの男は何も気にしないのかもしれないが。
(この男の前で泣くとか。挙句の果てに姉さんって叫ぶとか。あり得ないし。ああ、本気で脅えた自分を殺してやりたい!!)
私ははだけてしまった夜着を急いで合わせ、帯を締めなおす。袖で顔の涙のあとを拭う。
寝台の敷布はぐちゃぐちゃに乱れていて、既に一戦交えたあとのようだった。
ああ、果てしなく馬鹿らしい。
「何か期待したか? 私はもう妃はいらんのだ。せっかく後宮に入ったのに、おちびちゃんにはまことに申し訳ないことだが」
「だったらなんで私を妾妃にしたのよ!?」
「いや、あんまり黄鼓がすすめるしなあ。断るのも面倒だし、おまえはなかなか手ごたえがありそうだし、別の意味で生活が潤うかと思ってな?」
飄々という明理。その瞳は明らかに、私を面白い玩具扱いしている。
「潤いなんて二人のお妃さまで十分でしょ! どちらも美女だって聞いたわよ」
「美女だな。正妃は頼れる姉さん女房、二妃は健気に夫を支える妻。二通り楽しめて愉快愉快」
「さいってー。正妃さまも二妃さまもこんな男に嫁して後悔してるんじゃないの」
「二人ともごく普通に幸せそうにしているがな」
あんた本当にさいってーの男ね、と私は心中で呟く。
(美女で器量の良い二人の妻を得た男に嫁ぐ私。‥色物担当じゃないの!)
「‥あんたちょっと、何か刃物持ってないの」
「なんだ、世を儚んでの自殺か?」
「そんな訳ないでしょ。人を十人から預かってるっていうのに」
私の表情を観察しつつ、明理は自分のふところから小さい懐剣を取り出し、渡す。
(こんなの持ったまま女を抱く筈ないわよね。ああ本当にふざけてる)
私は懐剣を受け取り、袖をまくって左腕にざっくりと刃を走らせた。
「‥何をしている」
途端、低く獅子の咆哮のように恫喝する声。
「うるさいわね。痛いの我慢してるんだから、ちょっと黙ってて」
腕が火にあぶられたように痛く、じんじんする。
思ったより深く切ってしまっただろうか。表面をちょっと傷つけるつもりだったのに。
たらたらと流れる血を敷布に撒く。
「こんなものかしら? なにせ経験がないからよくわからないわ。あんた、わかる?」
「‥処女の血か」
「そういうこと。これで私はお勤めを果たしたわよっと。あら、止血をどうしようかしら」
いつまでも流れる血をぼうっと見ていると、明理が私の夜着の裾を裂き、縛った。
「こんなものでごまかせると思うか?」
「何事もなかった、という証拠はなくなったでしょ。
あらいやだ、明王ったら13歳の少女を捕まえて会うなり妾妃にしただけではなく、初夜の床で戯れに流血沙汰? うわーこわーい。ひくわあ。可哀そうに、純真可憐な乙女は恐怖のあまり二度と明王と寝室を共にできないのでした。ちゃんちゃん☆」
明るく言った私を、明理はじと、と恨みがましく見る。
「何よ、文句ある訳? あんただって私みたいなお子さまを抱きたくもないんだから、丁度いいでしょ」
「いや、こうなると逆にやってみたくなるが」
「あんた相当負けず嫌いよね? ひねくれ者? まあいいわ。ほらさっさと出て行って。傷心の幼い妾妃は気を失って寝るんだからさ。横暴好色な王さまはめんどくさい元処女を見捨てて、懇ろな正妃さま方のところとか、馴染みの女のところに行く訳よ。はい退出ー」
はあ、と明理がため息をつく。
呆れたような、諦観したような、おもしろがるような、複雑な眼差し。
「今日のところは、純真可憐な乙女とやらに乗せられてやろう。その手がいつまで続くかわからんがな。
照凛。今後とも末永く、宜しく頼むぞ?」
べーっと舌を出して答える。
明理は不敵に微笑み、退室した。
どっと肩の力が抜ける。
(やっと出て行った。やっと、いなくなったわ)
部屋の中から、あの圧倒的な、のしかかるような重い空気が消える。
熱に浮かされたように喋っていたので、端々をあまり覚えていない。
とにかく、あの男はもう、いなくなったのだ。
(これでようやくゆっくり休める。ああ、今日は疲れた‥)
と、ふと、明理の最後の台詞を思い出す。
「‥ちょっと待って。今後とも末永く宜しくとか、言ってた? もしかして?」
不吉な予感が霧のように立ち込める。
だが少しして、私はそれを無視することにした。
(やめやめ。今はとにかく寝よう。ああ、お布団があったかくて気持ちいい‥)
翌朝。清水宮の人々が私の寝室の様子を肴にさまざまな憶測を巡らせ、まさかと顔を蒼白にした黄鼓に腫れ物扱いされ、姉さんが突如後宮を訪問し半日ばかり尋問とお説教を喰らうのは、また後日の話にしたい。




