おまけ 夏国王の寵姫 1
しばらく千葉の夢の国に行っていました。本当に魔法の国でした。
続きを書きます。
と思ったら、書きたくなっておまけです。しかも一話で終わらなかった‥。
しばしお付き合いいただければ幸いです。
小さな頃から、ほんの少しだけ、私には不思議な力があった。
風の吹いてくる先を知るように、花の香をたどるように、ほんの少しだけ、運命の流れる方向を感じる力。でもそれは、自分のことを占えない占い師のように、私自身を動かすものではない。
私の近しい人を動かす力。私が大事に思う人の流れゆく先。
その時も、そんな何かを私は感じた。
「主家が、もう、絶えた‥?」
「そうなの、照凛。どうしましょう。もう私たち、首をくくるしかないわ」
その時、世の中はまだ動乱の時期にあり、大陸の中央、三つの川が交差する辺りを中心として、かつてあった春帝国の残骸を舞台に、夏、秋、冬の三国が我こそが春帝国の後釜に座ろうと長いこと覇権を争っていた。
しかしそんなことはどうでもいい。
問題は明日の米がもうなく、どこを探しても一厘の金子さえ、売れるような衣服も、恵んでくれそうな裕福な農家との縁も、何もかもがもう使い尽くしてない、ということだ。
「‥首なんてくくる必要ないわよ。そんな力が残っているなら、三つ先の町まで歩いて娼館の扉を叩いたらいいわ。何もしなくても、その辺に寝てるだけでちゃんと数日後には餓死の死体ができあがるわよ。
本当に、本当に、ないの? だって、昨日の朝には迎えに来てくれるって話だったじゃない!」
「私だって何かの間違いかと思ったわよ。でも、いくら待っても迎えは来ないし、馬車だって見えないし、そしたら、東の方で大きな館が一つ焼けてたって話を聞いて、‥」
体が動くなら、力が残ってたら、歩いてでもたどり着いて真偽を確かめたかった。
神職の旧家の傍系である照家、戦乱の中を逃げ惑ってたった二人生き残った姉さんと私、照凛。
親が死に、ろくな働き口もなく、落ち着く先もなく破落戸から逃げ惑った私たちは、売れるものをどんどん売り払って食べ物に変え、万策尽きた。最後の最後の望みで、先祖代々伝わる指輪になけなしの金をはたいて、ほとんど交流のなかった主家である暁家に手紙を送った。
幸いにも暁家から、娘二人なら迎え入れても良いという色よい返事をもらい、その迎えまで飢えに耐えながら、穴だらけの空き家で、盗賊に見つかるのに脅えつつ、待っていたところだったのだ。
(でも、あのとき、確かに風が吹く感じがした)
手紙に書かれた通り、迎えが来るなら、贅沢はできなくても食うに困ることはなかった筈だ。
この飢えから、苦しい流浪の毎日から逃れられる。私が感じた風の気配は、姉の照景の運命の流だと思ったのに。
(いいえ、考えるのよ、照凛。思考なら食べてなくたってできる筈よ)
(何とか歩けば、娼館にたどり着く? 娼婦として大成したら、少なくともここで野垂れ死にするよりかは未来は開けるかもしれないわ。私はぱっとしないけど、姉さんの容姿はそこそこいいんだし)
横目で姉照景を盗み見る。まさか妹に値踏みされているとも思っていない姉さんは、はたはたと涙をこぼして泣いていた。
(ああ勿体ない。その漏れ出た水分を回収するのに飲み水を探さなきゃいけないじゃないのよ)
傾城の美女とも言える姉の儚げな風情、頼りない潤んだ瞳は、きっと多くの男性の心を掴むだろう。
(辛い辛いと言うけど、そうだろうけど、特に私と違って少しは裕福な時代を知っている姉さんには耐えられないだろうけど、でも)
(死ぬよりましよ。死んだと思えば人間何でもできるはずよ。実際そうして生きている女たちだって、世の中にはいるんだから)
(それに、私が春をひさいでもきっと売れないだろうし)
私照凛は色黒で生意気、骨太で、瞳はくっきりしていると言えば聞こえがいいが、大きすぎて作り物のようとか、気持ち悪いとさえ言われたことがある。
切れ長の瞳に長い睫毛、華奢で色白の美人である姉さんの方がきっと需要があるだろう。
自分が姉の代わりに、という美談を実行しても、金にならなければ二人して死ぬだけだ。
(後は、この軟弱でわがままな元貴族のお姫様を、どうやって宥めすかして娼館まで歩かせるか)
「いっそ盗賊でも襲ってきたらいいのに‥」
「そんなこと言わないで、照凛。まだ何とかなるはずよ、少しずつ考えてみましょう」
何を誤解したのか、姉さんは励ますように言葉をかけてくる。
(ごめん姉さん。私、今、盗賊でも襲ってきて姉さんを見初めてくれたら、娼館まで歩く手間もいらないし、最初はひどい目に遭うかもしれないけど手っ取り早く現実を突きつけられて、姉さんがうまく愛人の座を獲得して、妹の私はごはんが食べられるかもって思ってた)
複雑な思いで姉さんを眺めていると、がた、と音がして空き家の戸が開いた。
「照凛‥」
「姉さん‥」
私と姉さんはおののいて抱き合った。
私の妄想では姉さんはいろいろひどい目に遭っていたが、現実家族の情がない訳ではなく、私はこれでも姉さんを大切に思っている。どんなひどい目に遭っても、死ぬより生きている方がマシだという信念があるから、姉さんにもそうしてもらおうとしているだけだ。
「これはこれは、娘さん二人で、こんなところで何をしているんだね」
扉を開けたのは、しかめっ面をした、だがどこか人の良さそうなお爺さんだった。
だが私の目は、お爺さんの表情や声よりも、着ている服の仕立ての確かさ、身に着けている小物の丁寧な作り、切りそろえられた髪や手入れされた爪、乾くことのない肌のつやを食い入るように眺めていた。
(この人、裕福だ)
(これよ。きたきたきたーっ!)
私の目には、お爺さんが金のかたまり、ごはんのかたまりに見えた。
姉、照景の運命の流れる気配。
風の吹く気配は、主家からの迎えではなく、このお爺さんだ。
「お爺さん、お願い、私たちをここから連れて行って!! もういっそどうにでもしちゃって!!」
そうすれば道が開ける。
なんてことのない、普通にごはんを食べて、破落戸に追いかけられずに、夜露にぬれることもない、あったかいお布団で寝られる、きっと。
名前を聞くでもなく、こんな空き家になぜ入って来たのか尋ねることもせず、私は姉の手をとってお爺さんに躍りかからんばかりに叫んだのだった。




