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(今日もまた来てる)

嵐玉は視界の端にちらちらと翻る(スカート)の鮮やかな青色に、心中でため息をついた。

無論、来ているのは夏国王女明香だ。

遡ること数日、建国祭で『白輝日輪謳歌』を披露するため、青風楽団が白焼宮で練習を始めた時から、明香は毎回と言っていいほど見に来ていた。庭園にしつらえられた舞台の周りをぐるりと囲む桜の樹のかげに隠れて、嵐玉の歌声に執拗に耳を傾けている。

気づかれていないと本人は思っているようだが、そんな訳はなく、青風楽団の面々は明香が見に来ているのを知っている。だが、嵐玉はまだ一度も挨拶をすることもなく、まだ自分の存在に気づかれていないという明香の誤解を解くことのないまま、放置していた。

(正直、どんな顔をしたら良いのよ)

観桜の宴で、第二声をあてられておきながら主声を乗っ取るように歌い、明香の面目を潰したのは他でもない嵐玉だ。

繊細で清冽な明香の歌声に被さるように歌った、色彩豊かで圧倒的迫力の嵐玉の声に、あの場の観客は誰も面と向かって嵐玉を非難しなかった。むしろ、さすが椿一の歌姫と称賛した。

だが、他国とは言え王族の顔に泥を塗ったのは間違いなく、貴族でもない、秋国人ですらない流しの民など、それを理由に命を奪われても仕方ない局面であった。

しかもその後、明香と夏国大使暁亮の『四季恋歌』に張り合い、無様に歌い負けた嵐玉である。

(あーもううっとうしい! その相手のお姫さまが、睨んでくるのでもなく、笑いに来たのでもなく、ただこっそり覗いているっていうんだから。もう、どうすりゃいいのよ!!)

今日こそは我慢できないこの状況。

嵐玉は心を決し、『白輝日輪謳歌』を歌うのをやめた。

おや、と呼応して楽団の演奏が途切れる。楽団長の青好が嵐玉の様子を伺い、咎めるような眼差しを投げかけたが、嵐玉は無視した。舞台中央から後方へとずんずん歩き、明香の隠れる桜の樹まで行く。

(やるならやりなさいよ。受けて立つわ)

どうせあの宴で罰せられていた筈の身の上だ。今更怖いなんてあるか。

「隠れてるつもりでもバレバレだから。出てきなさいよ。明香姫」

敬語を使ってとか、様づけしなきゃとか、少しは頭をかすめたが、いざその少女の前に立つと全てが吹っ飛んでいった。嵐玉が置き去りにした青風楽団の面々は、楽団の歌姫の無礼な物言いに、さぞかし顔を青くしているだろう。楽団長は今度こそ首を切られると、神に祈って命乞いをしているかもしれない。

でも嵐玉は止まらない。

「毎回毎回何が言いたいの。こそこそせずに出てきて言いたいことを言ったらどうなのよ。あんたみたいなお姫様が、うちの演奏を覗いて何がしたいかわからないけど、やりたいことがあるならさっさとしたらどう。あんたの無駄なふるまい一分一秒が、平民が血反吐を吐くようにして収めた税金に支えられているんだからね。ちょっとは有意義に効率良く遣ったらどうなのよ!?」

息巻いて吐いた嵐玉の言葉に、明香はおずおずと樹の影から顔を出した。

目をぱっちり見開いた、わかりやすくびっくりした顔で、嵐玉を見返している。

「なによ。黙ってないで何か言ったら!?」

火のついた赤子のように、嵐玉はわめき、言葉を明香に投げつける。

ひゅっと息を吸って、明香は唇を震わせた。

(泣く? 泣いちゃうのここで?)

一瞬嵐玉は怯んだが、違った。明香は堪えきれないと言ったように笑みをこぼしたのだ。

「そんなにバレバレ? ちょっとはうまく隠れてると思ったのに。

嵐玉、貴女本当にすごい歌姫だね。明香は、いつもどうしたらそんな風に歌えるのか、考えようとするんだけど、駄目なの。貴女が歌い出すと気持ちを持ってかれちゃうの。体全部が耳になっちゃって何も考えられないの。ねえ、今日はいつまで歌うの? 私、貴女が歌い終わるまでここで聞いていたいんだけど、いい? 嵐玉の練習の邪魔にならないかな?」

「‥この状況で出て来る台詞って、それなの?」

「だって、嵐玉が言いたいこと言ったらって」

(どんなに怒られるか、罰せられるかと思ったのに)

「‥好きにしたら。どうせ聞くなら、一番いいところで聞きなさいよ。こんな後ろで、樹の影に隠れてたって、私の美声はちゃんと捉えられないんだから。こっちよ」

嵐玉は明香を先導し、自分は元の場所に戻って、楽器を構える楽団員の方ではなく反対を向き、舞台から正面の観客席に向かった。

観桜の宴で陽王が座っていたあたりを明香に差し示す。言われるままに明香はそこに座った。

わくわくして10歳の夏国王女はこちらを見つめている。

「皆、もう一度最初からお願い。夏国王女が拝聴されるわ。心して歌うわ」

嵐玉の声掛けに、はらはらと二人を見守っていた楽団員たちが、戸惑いつつも再び自分の楽器を用意する。

青好が嵐玉の背後で聞えよがしにため息をつく。が、結局は嵐玉の要望通り皆に合図を送り、『白輝日輪謳歌』の前奏が始まる。

嵐玉は力ある限り声を広げ、響かせ、虹色の色彩を宿らせて滔々と歌う。

(今日も上りし白日の 輝き貴く降りそそぎ)

(我らたがやす 豊かなる ふところ深きその大地)

(実り多く幸ありと 誇りに歌うこの国よ)

多分、嵐玉は、罰せられたかったのだ。

あの宴での大人げない自分のふるまいを、嵐玉は恥じていた。だから明香に横暴な言葉を投げつけた。

(争い多き時は過ぎ 血のぬかるみを退ける)

(我ら救いし陽光よ 荒れた大地に芽吹きあれ)

(実り多く幸ありと 未来を約すこの国ぞ)

自分の横柄な態度、王族と相対するにあるまじき言葉遣いで、明香から無礼だと詰られ、処罰されたかった。そうしたら、高貴な身分とは言えたかだか10歳の少女にした意地悪が許される気がした。

でも、明香の反応は予想を超えていた。

嵐玉が思い描いていた王女とは違う。明香は、嵐玉の行いに拘泥せず、ただ目の前の歌声に気持ちよさそうに耳を傾けている。

体中全部が耳になる気がする、明香はそう言った。その感覚は、音楽に溺れる嵐玉も知っている。

(明日も見下ろす日輪の 輝き厚く振り仰ぎ)

(我ら富ませる山々よ 潤し満たす清水よ)

(実り多く幸ありと 誇りに歌うこの国よ)

好きなのだ。歌うことが。嵐玉だってそう。明香もそう。

王女のくせに、苦労知らずのくせに、何よ。

嵐玉はいつも心中で貴族たちをこき下ろしてきた。その言葉が、力を失っていた。

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