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(満天の星空のもと こころは眠る子らに向かう)
(安らかなれ 健やかな夢を抱いて 明日も野を駆ける翼を)
(満天の星空のもと 広がる家々を見守り)
(星は無数に輝く あまたの営みの道しるべとなって)
高く透き通る歌声と、調和する琴と笛、鈴の音色。
秋国に到着して数日、気のゆるみが出たのか、調子を崩し高音で掠れていた明香ののどは何とか治って、今では少女特有の清らかで高い声色が艶やかに響く。そしてそれを支える、侍女たちの調べ。
三日間という時間はあっという間に過ぎていった。
陽芳は、宴の段取りをすべて任せてほしいと言ってきた。三日後の昼下がりに、明香が居室を賜った東側とは反対側の西の庭園に人を集めるから、明香はそこでただ歌を披露すれば良い、とのことだった。
かといって、舞台の作りも招待する人の数も、誰が来るのかもわからないままただ練習していられる程、明香も楽天家ではない。驚かせたいからと詳細を隠す陽芳から聞き出すのが難しいとわかると、華音をはじめとした腹心の侍女たちに密かに頼んで、用意される備品の数や出入りする人の種類を洗い出す。
どうやら、陽芳本人の他に、秋国王陽斎、正妃侑喜、二妃蒴菓、王女陽貴、宰相松宣を筆頭とした秋国要人を含めて、総勢約100人程の宴になるようだった。
「ってちっとも近しい人を誘ったちょっとした席、とは言えないと思うの。ひどくない? 明香だって緊張しちゃうよー」
様子を覗きに来た夏国大使暁亮に、思わずこぼしてしまう。くすり、と蓮の花が開くように暁亮は笑った。
「もう! 笑いごとじゃないよ。それに暁亮は不用意に笑っちゃだめ。今誰かに倒れられたって、明香はお世話してる余裕ないんだよっ」
相変わらず、暁亮は一挙手一投足で煌めく美しさを振りまく。しかし歌と伴奏の練習に当日の衣裳合わせで、明香をはじめとする侍女たちは、うかうかと暁亮に魅了されて自失する暇はないのだった。
「明香さま、志保殿にはお伝えしましたか」
「志保さま? 明香は特に何も言ってないけれど‥。志破さまが誘うのじゃないかな? だって陽王にお妃さまたち、陽貴さまが来るみたいだし」
その状況で陽梨だけ呼んでなかったらおかしいだろう。
「‥あまりよく伝わっていないのかもしれません。私からもお伝えして、是非いらっしゃるようにとお誘いいたしますね」
明香は複雑な気分になり、ほんのわずか、眉を顰める。
当たり前のように、陽梨が呼ばれ、明香の前に差し出される。はじめは明香も違和感を感じなかった。明香は次期陽王に嫁ぐことを前提に秋国に来たのだし、陽梨は秋国の第一王子なのだから。
でも、今それはどうかと疑問を感じる。
陽梨とはほとんど言葉を交わさないまま、秋国に来て15日程が過ぎてしまった。一方で、同じ王子である陽芳とは日を空けず顔を合わせている。王子で政務に忙しいというだけでは説明できない。
明香は、――陽梨に避けられている。
国と国のためと、取り繕うこともない程に。
「‥志保さまをお呼びするのは、どうかしら。お忙しいみたいだし、直接声をかけてしまったら、断り辛くなって無理させてしまうのじゃ、ないかしら」
「明香さま‥。らしくありませんよ」
歌の練習を終えたまま立っている明香のそばに暁亮は近寄り、片膝を下ろして明香の顔を覗き込む。いつも見上げる暁亮の藍玉の瞳に下から覗き込まれ、明香はうろたえ、うまく表情を隠せない。
本当にらしくない。不安に思ったり、迷ったり、悩んだり、泣きたくなったりする明香は明香じゃない。自分でもそう思うのに、暁亮に悟られない筈がなかった。
「遠慮なさらず、難しく考えなくて良いのです。嫌だったら来ないだけ、他の者と違って、志保殿はそれができるお立場なのですから。明香さまは気軽にお誘いして良いのですよ。
頑張った姿は多くの人に見てもらいたいものだし、華やかな集まりに知人を招待するのは、普通のことです」
「でも‥」
「むしろ、お誘いしない方が良くないのでは? 陽王さまをはじめ、王族の方々が多くいらっしゃるようです。志保さまだけお誘いしないのは、明香さまが志保さまに隔意を持っていると思われるのでは」
「そんな筈ないよ! 明香は‥」
明香は、志保さまと、仲良くしたい。
ちょっととがった灰色の視線、不器用な物言いの陽梨と、隔意なく話してみたい。
そんな言葉が、すとんと明香の中に落ちてくる。
その意味に気づいて、薄く明香の頬が染まった。
「では、お誘いしておきますね。とは言え、私こそどうも志保殿に嫌われているようなので、ちょっと伝手を使おうかと思いますが」
「え、暁亮、志保さまに嫌われているの? どうして?」
侍女たちに聞こえないように、暁亮は声を潜めて囁く。驚愕の事実に声が大きくなるのを何とかこらえ、明香は暁亮に詰め寄る。
「この世に暁亮を嫌う人間が存在したなんて‥!! 志保さまって、一体どういう人なの!?」
「お言葉は嬉しいのですが、私が気に食わない人間はそれ程珍しくもありません。‥特に何をした訳ではないのですが、志保殿も私のような者とは性分が合わないようですね」
苦笑する中に、陰りが潜んでいる。驚きつつも、明香は頭の奥のどこかで納得してもいた。
秋国に来て、暁亮を慕う侍女たちや、容貌の美しさに賞賛の視線を送るものたちばかり見て、迂闊にも忘れていた。天人のごとく浮世離れした美貌を持つ暁亮だが、嫌う者も確かにいる。武人上がりの人間が固まる夏の王宮では、軟弱だ、女々しいと密かに男たちの批判に遭っていた。実際は暁亮は腕もそこそこ立つし、決して女々しいところはなく、凛々しく果断でさえあるのに。
だからお父さまは大使として秋に駐在させたのかな、と明香は思う。
秋国で、この白焼宮で、暁亮の見せる笑顔に陰りはなかった。
夏の清水宮では、いつもどこかしら、仲間に受け入れられない憂いの影が消えなかったのに。