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おまけ 秋王宮の取り巻く人々

暁亮は冴え冴えとした月光の差す白焼宮の廊下を、明理に伴って歩いていた。夏国王明理と秋国王陽斎は、とても一国の主とは思えない低次元な言い争いをし、暁亮が持参した酒瓶と陽斎の隠し持ったつまみをすっかり空にした後、二人は呂律も回らない様子で撃沈した。無論それには密かに天女の風貌で貴人殺しの酒・青蓮を注ぎまくった暁亮の手柄でもある。王たちの子供じみた争いは、常の堂々とした王たる姿を見ている暁亮にとって見ものではあったが、長くつきあう義理はなかった。

半刻ばかり二人が大人しく寝息を立てている間に、暁亮は侍女よろしくさっと周囲を片付けると、控えめに扉を叩く音がする。秋王宮近衛、陽斎の護衛を務める桐架だった。

「陽王、いらっしゃいますか。異常はありませんか。交代に来たのですが、当番の者が見当たりませんが‥」

陽斎は無言。健やかにお眠りである。暁亮は再び紗を被った。明理は既に目を覚ましていた。

「護衛か。今まで何をしていた? 陽王はお疲れのご様子、よく眠られている。お疲れの王を一人にしてはいけないではないか」

真面目くさった顔でいけしゃあしゃあと明理が言う。突然秋国王の執務室から現れた夏国王に面食らいながらも、桐架は畏まり礼をする。

「明王、なぜこちらに? 陽王からは何も伺っておりませんが」

「そうか。明日夏に帰国する故、急に思い立ったのであろう。一献どうかとお誘いを受けた。突然ではあったが、私も久しぶりに昔語りをすることができた。

陽王は聊か酒が過ぎたようだが、そう簡単に酒に潰れる御仁でもない筈。お疲れであったなら私も酒量には注意するべきであった。

では、後の護衛を宜しく頼む」

「は‥」

恭しく頭を下げる桐架に、陽斎を気遣う明理。暫くしてから暁亮は漏らさずにはいられなかった。

「明王‥。饒舌ですね」

騙したい時はあまり喋るべきではない。しかし明理とて、名酒青蓮の大瓶を陽斎と仲良く半分こしている。普段より舌が回るのは、さすがに酔っているからなのだろう。

「暁亮、突き合せて悪かったな」

「いえ。なかなか私も楽しみました」

明理が誰かと対等に罵り合う場面は、滅多に見ることはできない。礼儀にうるさい夏国宰相は自由人な明理によく切れて暴言を吐いているが、それとて主従の関係からは逃れられない。

となると、明理の友は、国を隔てて陽斎しか存在しないのか。それも感慨深いものではある。

と、明理は歩みをゆるめ、並ぶ暁亮をじっと観察した。

「顔色が青いぞ。肩の傷はまだ響くか」

「‥大したことではありません」

それ以上、取り繕うことはしなかった。この炯眼の王には、どうせ気づかれてしまうことだ。

暁亮は、秋国内乱鎮圧の折り、秋国将軍周藍を庇って左肩に矢傷を受けていた。幸い急所は免れてはいたものの、しばらく寝台を離れられず、今も体調は万全とは言い難い。

矢を射かけた者は未だ捕えられてはいない。夏国要人が秋国王都で害されたこともあり、夏国はこの度の和平に立場を強くした訳だが。

せっかくの化粧も、やはり明王の目から顔色の悪さを誤魔化すことは能わなかったか、と暁亮は苦笑した。

「おまえにはいろいろと苦労をかけるな。という訳で、私も何かお返しをしようと思ってな‥」

「は? お返し?」

面食らった暁亮を楽しげににやりと見下ろし、明理は急に歩く足を止め、壁際の扉を開けた。

はっと気づいた暁亮が逃れようとするが、遅い。明理は一歩下がった暁亮の腕を遠慮なくつかみ、扉の中へ押しやる。

「以前邪魔したことがあったな。せっかく美しく着飾ったのだから、ちょっと誘惑して来い。明日はおまえも出立だからな、あまり長引かせるなよ」

「明王! あの、私も自室に帰ります! 長引かせたりとかそんなの何もしません!!」

「いやいや、国も違うのに身を挺して庇う相手なんだ、ゆっくり別れを惜しんで来てくれ。定刻に馬に乗ってさえいれば文句はない。ちょっとくらい疲れていたところで、いつもの美貌に憂愁が加わってますます女たちが喜ぶだろうさ。それじゃあな」

「明王! 明王――!!」

無情にも扉は閉まった。更にとどめとばかりに明理が向こう側から押さえつけているらしく、暁亮が押しても開かない。

「誰かいるのか? ――桂淋?」

悪戦苦闘する暁亮の背中に、声がかかる。ぎくり、と暁亮の手が震えた。

奥の寝室から秋国水軍の将、周藍が現れる。寝ていたらしく、纏った紺色の夜着はわずかに乱れて、首元の釦が二つ、鎖骨を見せて外れていた。右目が隠れる程に片側だけ長い前髪、冬空のような灰色の瞳。普段なら武人らしく鋭い眼光を宿す視線は、寝起きのためかなりを潜めている。だがそれもすぐに見開かれた。

部屋に無理やり入らされた暁亮の、顔を隠す紗が今はずれ、ふわりと床に落ちる。夏国の官吏として男物の衣服を身にまとった凛々しい青年の姿ではなく、今の暁亮は、侍女服とは言え、たまご色の上着に明るい橙色の帯と袍の紛れもない女の姿であった。更に普段はしない化粧までして紅をはいているのである。

おろされた黒髪の艶やかさ、一部結い上げられて簪を挿した艶やかさ、心細く胸元でかきあわされる領巾(ひれ)、かすかに震える珊瑚の唇、藍玉(ラピスラズリ)の煌めく瞳。

目を合わせた一瞬で暁亮は周藍を魅了する。

「‥どうした、こんな夜更けに。またそんな格好でうろついているのか」

「いえ、あの‥今日は、ちょっと‥」

じっと注がれる視線に耐えきれず、暁亮は目をそらす。逃げたい。この人の前では、ずっとここにいたい気持ちと、すぐにでも逃げ去りたい気持ちとにいつも引き裂かれる。

自慢でもなく事実として、暁亮は自分の優れた容貌を自覚している。こんな風に誰かから注視されることなど、慣れたものだ。その筈なのに、相手が周藍というだけで、身の置き所がなくなる。

「明日、夏国へ帰国だったな。もう会えないな」

「‥」

事実は少し違って、暁亮は明理より大使として再び秋国に長期滞在することを命じられていた。だが、それはまだ明かすべきではない。

何より、周藍が自分との別れを惜しんでくれているということが、暁亮の胸を弾ませた。

「傷はもういいのか。‥いや、顔色が悪い」

「気のせいですよ。傷など、もう治りました」

「おまえはすぐ嘘をつくからな。見せてみろ、と言いたいところだが‥」

扉を背にし、立ち尽くす暁亮に周藍が近づく。背は、周藍の方が頭一つ分高い。首の両側で閉じ込められるように手をつかれ、暁亮は息苦しさを感じた。

「その格好の服を剥ぐ訳にも行かないな。どこから訴えられるか図り知れない」

くすりと周藍の笑みがこぼれる。暁亮は思い余って目を閉じた。明王に仕え、どんな修羅場でも乗り越え、何でもできるつもりだった。だが、この人の前に出ると何もできなくなる。情けないと思う一方で、喜んで従属する自分がいる。

優しい口づけがそっと降りて来た。


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