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秋国王陽斎は、明香が来てからの息子たちの様子を思い返し、深いため息をついた。

陽梨は外に出てばかりで王宮に居着かず、陽芳はあからさまに明香を構い倒している。

「‥これでは先が思いやられるではないか」

こぼす陽斎にちらと視線を向け、不機嫌そうに秋国宰相松宣(しょうせん)が束ねていた書簡を置いた。

「だから言ったんです。あの狼の提案など受ける必要はないと。秋は奴の狩場ではないのですよ。ひっかきまわされて滅茶苦茶にされて、美味いところだけ食って行く気に決まってるじゃないですか。あの野蛮王は」

「言葉が過ぎるぞ、松宣。仮にも友好国の王相手に」

「剣で世を渡り歩いてきた狼が友好とは何の茶番だか。友好にかこつけてたかる気満々ですよ。十歳の王女を押し付けて、代わりに何をむしり取られるかわかったものじゃない」

「松宣は昔から馳野(ちや)に辛いな。桐架(とうか)、何とか言って宥めてくれないか」

「無理です」

壁際に控えている侍従兼護衛の桐架が即答する。はあ、と陽斎はまたため息をつく。

馳野とは、夏国王明理の字である。しかしそれを呼ぶ人間はもう数少ない。彼の妃くらいは呼んでいるかもしれないが、王である明理を親しく馳野と呼ぶ者は何人いるだろう。

それは秋国王陽斎も同じこと。彼の字の積葉も、名の陽斎も、呼ばれなくなって久しい。

その中で、馳野と呼び、積葉と呼ばれる、そんな関係は互いに貴重だ。たとえ秋と夏に分かたれようと、互いの国の関係がどうであろうと、陽斎の中で明理は歴とした友だった。

しかし一方で、松宣は陽斎が明理と知り合った当初から、明理をいけ好かない奴と見下していた。

今はなき帝国(しゅん)の王宮に、明理が軍の一人として顔を出すようになったときから散々、明理を野蛮人、農民上がりと出自を揶揄した。常にない松宣の発言に、陽斎ははじめ随分と気を揉んだものだ。

その発言の裏には恐れがあったのだと今は理解している。松宣は明理の才気を敏感に感じ取ったからこそ、誰もが注視していない頃から、己の主である陽斎に無視できない影響を与える存在として、明理を忌避していたのだろう。

本人は絶対に認めないだろうが。

一般に、秋は夏を蔑む風潮がある。春帝国の時代から、豊かな土地で何代にも渡って領地を治めて来た名家が多い秋国では、遊牧民から農民へかわり、荒れ地に囲まれた中で貧しい暮らしをする者が多い夏国の人間を下位に感じているところがある。百年程前に大きな鉱脈がいくつか見つかり、夏国も随分豊かになって、さすがに貧しいということはなくなった。しかし一度抱いた先入観はなかなか消えることなく、今も夏と秋の友好に影を落とす一因となっている。

松宣の不遜な態度は、そんな秋の人々の声を代表していると言っていいようなものだ。

とはいえ、先入観だけで反対するような人間に、秋国宰相は務められない、と陽斎が気を取り直したところで、松宣が悔しそうに吐いた。

「陽貴さまには、きっと良い婿がねを、と思っていたのに‥」 

子供が男ばかりの松宣は、陽斎の一人娘、秋国王女陽貴を実の娘以上に溺愛していたのだった。

「この松宣が、きっと陽貴さまのたおやかさに見合う真の男をと、秋国中の名家から選りに選っていたのに、なぜ、あの野蛮王の夏国に嫁ぐなんて!!」

「‥その発言だと何だか明王に嫁ぐみたいだな。嫁ぎ先は馳野ではなく息子の明晴どのだぞ?」

「わかってますよそんなことは!! 野蛮王に嫁ぐなんて想像するもおぞましい! 野蛮王であろうが息子であろうが変わりません。つまるところこの松宣の目の届くところからは去られるということでしょう!?」

わっと泣き崩れる松宣に陽斎は呆れ、傍らで事態を見守っている桐架を見遣る。

桐架はいつものことだと首を振り、放置を勧めた。それもそうかと陽斎はそうした。

この突如訪れる松宣の激情ぶりが、何の拍子か明理に知られ、陽斎の副官として春王宮に侍っていた松宣は機会あるごとに明理にからかわれまくるという悲劇を生んだ。おかげでますます明理は松宣に嫌われたのだった。

一人娘の陽貴と明晴の婚礼を思い、陽斎は複雑な心境になる。

松宣の態度は極端としても、陽斎とて娘を持つ親、一人娘は可愛いし、この可愛い娘を誰がよその男にくれてやるかと思ったこともある。ましてや陽貴は、薔薇のような大輪の豪華さはないが、匂い立つ清楚な百合といった風情の娘で、王女に相応しい教養を身に着ける一方で、出過ぎた真似をすることもなく、素直に人のいうことに耳を傾ける性質(たち)である。

しかし一方で陽斎には、仮にも王家の娘であるからには、国のために顔も知らない相手に嫁ぎ、踏んだこともない土地で暮らし、祖国と嫁ぎ先の仲を取り持つことに努めるのも当然、という考えもある。

その意味では、今の秋国を取り巻く現状を鑑み、夏国王子・明晴に嫁ぐというのは、そう悪くない選択だ。

「松宣。その辺で正気に戻ってくれ。陽貴は秋で唯一の王女だぞ、国外に嫁ぐのは十分にあり得る話、かといって今荒れに荒れている冬国へ嫁がせる気にはさらさらなれない。とすれば、いずれにせよ夏国しかないではないか」

「国外に限らず、国内の有力貴族に嫁いでもらったら良いではないですか。夏国から明香姫が秋に嫁いできて、秋からは陽貴さまが夏国に嫁いでって、それ、一体何なんです。お互い娘を遣り合ってどんな益が? 秋が夏国から姫を貰うだけで十分ではないですか。あの狼は何を考えているんですか。うかうかしているうちに秋を滅ぼして、陽貴さまと夏国王子の子供にでも秋国を継がせる気ではないですか?」

「‥とんでもないことを考えるな、松宣は。その場合、秋に嫁いだ明香どのはどうなる」

「連れ帰るか、捨て駒か。あの狼なら、こうと決めたことはやりますよ、きっと」

「松宣、言が過ぎる。仮にも秋の宰相だぞ、おまえは」

無言を貫いていた桐架もさすがに口を出し、涙目をぎらつかせる松宣を止めようとする。

が松宣は止まらなかった。

「宰相だからこそ、いろんなことを考えるんです。それが私の役目でしょう。さあ、そろそろ吐いてください、陽王。野蛮王が帰る前に密談の時間を持ったんでしょう。夏国自慢の絶世の美人と、名酒青蓮を手土産に明王がこの部屋に来たのはもう知っています。人の良いあなたは旧交を温めているつもりでも、獲物を前にした狼もそうとは限りません。けれど、秋国はお人よしの貴方と一緒に食べられる訳にはいかないんですよ」


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