―Sの場合―
***
私は夢の中、「私の部屋」で立っていた。
明らかに「現実の私の部屋」とは違う場所なのだが、夢の中の私はそこを紛れもなく「私の部屋」と認識しているのだ。
特にこれといった特徴のないマンションの一室。妙に無機質に見える部屋。視線を床に下ろすと、「お母さん」が座っていた。
少し小太りの体で背を丸めるようにして正座しているので、何だかちまっとして見える。グレーに見える髪の毛を後ろでひっつめている。そんな姿のおばあさんだった。
(あれ?私のお母さんって…?)
違和感を覚えるが、それ以上に夢の中の私は彼女を「お母さん」と認識していた。だから疑問もすぐ消えた。
突然、侵入者が現れた。玄関への角からぬっと現れた男。奇妙に静かで暗かった。
(襲われる!)
とっさに思った。恐怖感と怒りが同時にはじける。
(「お母さん」を守らなきゃ!)
私は慌てて「お母さん」を庇うように男に向かった。
(近付けさせない!)
私が侵入者に敵意を向けるのに呼応したように男が凶暴性を向けてくる。殴りかかろうとする腕をおさえ、もみ合うように押し合う。
恐怖よりも頭に血が上ったような興奮。無我夢中で争っていた。
「やめなさい」
突然声がした。断固とした、強い声。驚いてそちらを見ると、それは「お母さん」だった。
「やめなさい――なのだから」
どきりとした。思わず腕の力を抜いて、そして私は自分が争っている最中だったことを思い出す。
(危ない!「お母さん」が!)
慌てて向き直る。でももうそこに脅威はなかった。
私はこわくて、悲しくて、とてもとても、かなしかった。
***
墓参りをするのは年に数度。故郷に墓を作ってしまったため、毎日行くなんてことはできないのだ。それでもあたしはそうしてあげたかった。血とか地とか、縁のあるところで眠らせてあげたかった。
今年も気付いたら、あたしは故郷の地を踏んでいた。いつ、どうやって新幹線に乗ったのかも覚えていなくて、懐かしい光景の中に自分が立っていることに気付いたときは、むしろあたし自身が呆然としていた。
既に体が覚えている道を歩き、いつもの花屋で少しの赤い花と長持ちする緑の枝と線香を買い、見上げるような長い石段を息を切らせて登る。
既に冬の手前の季節であるにも関わらず、登り切ったときには肌はじんわり汗ばんでいる。軽く額を押さえながら見下ろす眼下に遠く青く円い広がり。薄く灰にけぶるようなその色が、あたしの心を何となく落ち着かせる。胸いっぱいに息を吸い込んだ。何となくまぶたの裏側がじんわり熱くなった。
まだ真新しいといってよい墓は、それでもそれなりに汚れていた。それでもきっと、父さんや母さんの縁に繋がる誰かや兄さんの知人は来てくれているのだろう。見覚えのない花や線香の残骸があった。それらをきれいに片付けて、新たに水と花と火をあげる。
あたしはこの中に入ることはないだろうな。手を動かしながらあたしは思う。三人だけのためのこの墓は居心地いい?と心の中で語りかける。
一般的な常識で言うなら、将来誰かがあたしを嫁にもらってくれれば、あたしは嫁ぎ先の墓に入ることになるのだろう。でもどちらかと言えば、あたしは一生どこにも属さず最期はどこかの海に葬られたい。そんな風に考えてしまう。
生命を連鎖させ、種を存続させることが生物の生命の大前提であるとするなら、あたしはそれに従う気のない異端児なのだと思う。自分の遺伝子など後世に残らなくって構わない。そう本気で思っているのだから。
「別にね、あたしの出生がどうこういうことじゃないんだよ」
墓前にしゃがみこんだまま、呟く。見違えるようにぴかぴかになった磨かれた石の表面に、あたしの顔がぼんやり映っている。
「どうにもね、あたしはそういう気がないんだってこと。多分、知る前からそうは思ってたの。でもはっきり口に出して言えるようになったのは…この数年だけどね」
自分の遺伝子を持った人間が何十、何百、何千年後にいる、そのことに価値を見出せない。
繋いであげたい遺伝子にも巡り会えない。
かと言って、人間の存在を価値がないとか思ってるわけじゃない。ただ「私」に関して考えるなら、人間が後世に繋げるものって、そんなものだけじゃないんじゃないかと思うのだ。
「言い訳…でしかない?それともやっぱ詭弁かな?」
自嘲げに笑うと、あたしは立ち上がった。
また来るね。そう呟いて踵を返す。燃え尽きた線香の焦げ臭い匂いがした。
ただ愛しい人が、存在が欲しいというだけなら、あたしは身をもって知っていることがある。血が繋がってさえいれば無条件に愛せるというわけではないということだ。
家族を亡くして初めて、あたしはあたしにたくさんの「血縁者」が存在するということを知った。それは誰かが死なない限り、知り合うこともなかった「親戚」なのだ。そして彼らの存在があたしを救うということはなかった。彼らはあくまで「他人」だった。たとえあたしが本当に父母と血が繋がっていたとしても彼らは変わらなかったろう。
「血縁」とは単なる生物学的な繋がりであり、そこに交友が成立するかどうかはあくまで人間同士の努力によるものなのだ。彼らはそれをあたしに学ばせてくれた存在であった。
ならば一体、自己の血を後世に残すことに、何の意味があるだろう?
―――三山斎(サイさん)の場合―――




