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―Sの場合―

 一人であること、辛いことを再確認しに来ているようなものなのに、なぜ帰るときの気持はいつもこんなに楽なのだろうと思う。



 夏っちゃんの笑顔。恵子さんのあったかい優しさ。心落ち着ける丘の上からの蒼い海の光景。風の湿り気。匂い。それら全てがあたしを包み、角を円くする。

離れて初めて知った地の縁の力。失って初めて知った人の優しさ、手の温もり。

血の縁など幻想であるが、血の通った人間の温度は人間を癒す最高の存在なのだと、知ることのできる時間と場所。


「結局、どんなに否定しても………」

 速く流れ過ぎて行く車窓の景色を眺めながら、あたしは呟いた。それから一つ大きなあくびをする。そのまままぶたを閉じると、すとんと意識が闇に落ちた。

 たくさんのイメージが脳裏に浮かんでは流れてゆく。

 知らない顔も知っている顔も、知らない場所も、馴染みの場所も。忘れかけていた人も忘れようもなく近しい人も、皆。でも固定したイメージには、どれもならなかった。断片がちらりと浮かぶのを捉えようとすると、また意識が裏返る感覚。

 『夢』ではない。ただの「イメージ」の群像。それは結局何のインパクトもあたしに与えることはできなかった。

 そのままあたしは下車駅まで一度も目覚めることはなかった。



 駅舎を出ると、既に日はおちていた。見上げると遮るもののない全き月。

 明日は晴れそうだ。そう考えると、自然とあたしの口唇は笑みを浮かべていた。

 視線を戻して、そこに立つ人に気が付く。

 街灯の光を浴びて、じっとたたずむ人。

 なんで。

 言葉が出かかるが、咽喉の奥に留める。

 馴染みのある彼の姿は見慣れない表情を浮かべてそこにあって。

 ああ、今、これは現実なのだなあと妙な実感を覚える。


 おもむろに、ゆっくりと、近付いてくる。

 目の前で、足を止めて。

 見上げるとずいぶん不機嫌そうな顔が私を睨んでいる。

「お前は、ばかか」

 沈黙を破る第一声にさすがに虚を突かれて、とっさに言葉を返せない。

「帰るぞ」

 ただ瞬きして見上げている私の肩を叩くと、彼は――千尋さんは踵を返して歩き始めた。

 意外なほどに熱くて優しい肩の感触に、ようやく私の金縛りが解ける。

「どうしたの」

 追いかけて、隣に並ぶと、少しだけ不機嫌を解いた顔が振り向いた。

「送ってやる」

 ぶっきらぼうで、愛想が欠けていて。

 ああ、でも、帰ってきたんだなあ、と。

 そんな実感が心に広がったのを感じていた。




―――「NERVOUS NOVEMBER」―――

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