―Sの場合―
この話は、「月下草」シリーズの終わりではありませんが、結末の一つです。内容的に『夢』と『過去の記憶』と『現在の思い』が混在しています。でもあまり悩まずに読んでみてください。
最近寝覚めがやけに不快だ。
実際には何も異変などこの身体に起こってなどいないのに、全身にまつわりつくようなねっとりした倦怠感。そして吐き捨てたいほどの嫌悪感。
分かっている。本当は。これを解らないと言えるほどかまととぶれない。
だから、今夜こそ確かめようと思う。
夢を操るなんて日常茶飯事の私を、ここまで弄ろうってもの知らずを確かめるのだ。
*
夢の中で意識を取り戻した。そして状況を認識し、確認する。
場所はよく分からない。薄ぼんやりした、無機質な部屋のようだ。やたら広くてうすら汚い。こんな場所に見覚えはない。生あたたかくて、肌に湿っぽい。
部屋には私と、あと二人の女がいた。見覚えがない。ただ、薄ぼんやりした記憶を手繰ってみると、彼女たちは私と一緒で、ここに無理矢理連れて来られていたのだ。
目を上げると、やたらだだ広い部屋の向こうに、『不快』の影。
ああ、そうか。
私は彼女たちと一緒に連れて来られたのだ。
『不快』が好色な嘲いをつくる。のっそり上げたその腕が、指が、私たちを誘う仕草に動く。
だって、『彼』にとって私たちは、『玩具』なんだから、なんだそうだ。
不快で、不愉快で、吐き気がするほど目の前の『男』が気色悪い。牝を眺める牡の表情が、いっそ獣のものであればまだしもかもしれないのに。
誘いに応じて、傍らの女たちがもぞもぞと動いてそいつへと近付いていく。その様子ににたりと半開きの唇を歪ませる『そいつ』。そのだらしなく笑みに見開かれた眼が黄濁したケダモノのそれに思えて、内腑の辺りで何かがせり上がるような感覚を覚える。
意識は今すぐにも逃げ出したいと訴えているのに、身体の筋肉を脳が動かそうとしない。まるで金縛りにあっているときのようで、ただ胸の辺りがむかむかする。
だだ広い部屋の向こう側で、『玩具』に戯れかかりまぐわいあう『不快な獣』。一人は無表情に、一人は無邪気に相手を受け入れる。無邪気な女は無邪気すぎて、それが不快なのか嗜虐心を煽るのか犯されているようで、それでも女は笑っている。
それに飽きたら、次は私の番?
逃げればいい。逃げる隙はたくさんある。でもここから動かないのはどうやら私の意志らしい。身体が鉛のように重い。好奇心が見てみたいという。不可解だ。
馬鹿な行動と認識して馬鹿をやっている自分を肯定しつつある。これは別の表現で「期待」とでもいうものなのか?
不意に私の足下へ滑り込んでくる女。
〈ショウコさん〉がふざけたように派手に私の方へ跳び込んで。思わず飛び退って避けた私を、裏腹に冷静に見上げてくる視線。或いは軽蔑の。
〈ショウコさん〉?逃げろって?跳べるだろうって?
冷静な、諌める視線。或いは咎めるものだったのか?
いずれにせよ、私の呪縛を解いたのはその視線。
身体は軽かった。
もう一度、跳んで、そのまま後も振り返らず駆け出していた。
《ただ逃げないというだけのおもいなら、心も動かされない光景にも情景にも足を止める価値などお前は持ち合わせていないだろう?》
いつまでも冷たい視線が私をそう責め立てている。
**
は、と目が醒めた。やたらと爽快な目覚め感に、酷い嫌悪を覚える。
何という夢を見るのだ、私は。知らない。誰も、知らない。不快な男も、不愉快な女も。井子さんはどうして井子さんなのだろう?夢の中の自分の不可解な思考回路にも辟易する。それなのにやたらと目醒めがいいのは不愉快を通り越して薄ら寒い。
腕を伸ばして枕元の時計を引き摺り寄せる。「12:13」まだまだ30分はゆうに寝ていられる。 肩からずり落ち気味の布団を頭まで引き被って、もう一度と瞼を閉じる。
願わくば、次に目覚めたときにはこの明け初めの夢など記憶から抹消されていますように。
***
「―――――!!」
ひどい痛みに目が醒めた。目の前の時計の表示は「5:44」。薄明るくぼやけた視界と、いきなり覚醒させられた身体。腹に感じる鈍く重い疼痛に、思わずぎゅうっと眼を瞑って腹を抱え、身体を折り曲げる。ぎゅうっと。出来得る限りに身体を小さく小さく縮こまらせて。
――ああ、出血しているのかも――
腹筋に力を入れてみると、少しは痛みが紛れたような気がする。
――――――ああ、何か出ていっているような気がする――――――
ずるぬると何かが腹の中から体外へ出ていく感覚を、無感動に享受する。
―――このまま、内腑全て出ていってくんないかしら―――
そうすれば、あんな夢を見てあんな思いしなくてすむかもしれない。
――そうやって、
耳のすぐ側で私じゃない声が聴こえた。私じゃない。井子、だ。
――否定するんだ。全てを
今度こそ、本当に私は覚醒した。
*****
微かに震える腕が半身起こした身体を支えている。
心臓がばくばく躍っていて、もしかして心臓麻痺を起こして死ぬときってこんな感じなのかなあなんて頭の片隅で呟いてみる。
でもこの最悪な目醒めが、かえって私を安堵させる。これぐらいの報いは必要だろう。私には。
ずるずると布団の上を引き寄せた時計の表示は「6:29」認識すると同時に目覚ましのベルが鳴る。コンマ5秒でそれを止め、私はようやく本当に一日をスタートさせる目覚めを手に入れた。
―――三山斎(サイさん)の場合―――




