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前兆

貴方がいる、ここの景色は色鮮やかで。

気持ち良い程の風が、顔の横を通る。


貴方の為に

貴方と共に


生きていきたい。


そう思ったあの日の私――…









心地よい気候の中で過ごす春の日々も終わり、気がつけば肌が敏感に汗ばむ季節が訪れた。

4月に高校に入学してから早3ヶ月。

初めて尽くしの高校生活にも慣れ始め、一度目の夏を迎えようとしている。


住吉桜、15歳。


親友と呼べる子はまだいないが、少しずつ打ち解けてきた友達もいる。

中学3年の卒業間近に大好きな彼氏も出来た。

楽しい毎日。

平凡な幸せ――…。

全てが上手く行っていた。



「いっ…」

なぜだろう。

最近、膝がよく痛くなる。

私は右手で膝を撫でるように擦った。

しかし、元々運動が苦手で、少し過激な運動をすると足が過剰に反応するのか痛くなることが多い。

もちろん最近も体育の後や、少し遠くまで歩いただけで痛くなる。

今回もきっとそうだろうと思い少しも気に留めてはいなかった。


「大丈夫?」

友達の歩美が眉を下げ、眉間にシワを寄せ心配そうに覗き込んでくる。

「平気だよーん」

変に心配を掛けたくない私は痛いのを我慢して歩美にピースサインを向けた。


なら、いいけど。

と、歩美は私にはにかんだ微笑みを向けて、萎れたピースサインを向ける。

なぜピースサインなのかは分からないが、いつの間にか二人の間に出来たサインだ。

歩美は手を机の上に落とす。

そして、すぐに雑誌の恋愛特集に目を向けた。


昼休みの教室の一角に私たちはいる。

皆の声が、五月蝿い程に耳に入ってくるのが少しだけ我慢出来ないが、この狭い高校にはどこに行っても人はいるだろう。

我慢するしかない。

机の上に隠した足を擦りながら痛みに耐え、騒がしい教室に対して耳を塞いでしまいたかった。



「ねー、見て!このカップル17歳で3年の付き合いだってー!」

教室の五月蝿い声に紛れる程の声で歩美は雑誌のカップル特集に指を落とす。

「本当だ!マジ凄くない?」

と、大して凄いとは思ってないが、私も教室の飛び交う声に紛れたかった。

私は今、ここに存在しているんだと、確認して欲しい。

自分の存在を認めてくれる人間が欲しかっただけなのかもしれない。



私の両親は、仲が悪いわけではないが、良いわけでもない。

互いが家にいれば普通に話しはするが、何か空しい気持ちになる。

身体の中が空っぽになる感じ。


“上辺だけの夫婦生活”なのだろうか。

その中にいる私は、父も母も干渉してこない。


どうでも良い娘。

と言う概念が両親に備わってしまったのだろう。

証拠に、私は、彼等に心配されたことがない。



―――…

私はそんな事を思い出しながら口角を上げて笑った。

“その程度の存在”なのだと感じながら。


歩美は雑誌から目を離して、私に目線を変えた。

今までトリップにしていた私には気が付いていないみたいだ。


「んふふ〜。桜はどうなのさ?」

「え?…何が?」

何の質問かすぐに理解出来たが、私はとぼけた素振りで返事を返す。

歩美は、待ってました!と言わんばかりに質問と投げかける。

「桜と彼氏だよ!」

大声で言った歩美の声は、五月蝿い教室に掻き消され、私にしか聞こえないみたいだ。

「…まぁ、ラブラブだよ」

少し口元が揺るみながら、惚気てみせた。


うざいわぁ。

と、笑いながら歩美は嘆く。

私は舌を唇から出して、えへへと言って微笑みを掛けた。

どこにでもあるような光景に、誰も気づきはしない。

私の身体の中で、着々と病魔が襲ってきている事を。


いつから病魔に侵されていたのかは分からないけれど、この日が運命の分かれ道だったのだと身を持って体感した。


「…い…ったー…!」

突然、気を失うのではないかと思うほどの激痛が、腰から背中にかけて襲ってきた。

手を後ろに回して痛いところを探るように押さえるが、効果はない。

痛みは増すばかり。

五月蝿かった教室の中は一瞬にして、静まり返り、数秒後には先ほどとは違うざわめきが走った。

しかし、私は歩美や他のクラスメートがどんな表情をしているのかさえ、見る余裕はなかった。




気が付くと、高い天井が私の視界を覆う。

白くて暗い天井に不思議と戸惑うことはない。

きっと病院に来たんだろう。


どのくらい気を失っていたのか。

外はもう昼の太陽を隠して、綺麗な夕日が顔を出している。

まるで吸い込まれてしまいそうな空の色に、感動する。


あぁ…こんなに綺麗な空があるんだ――…



「あ、桜!気が付いた?」

声のする方へ顔を素直に向ける。

そこには、つい4ヶ月前に出来た彼氏の亮太が全身を竦めて立っていた。

「…亮太。私…」

「ここ病院だよ。なんか運ばれたって桜の携帯で歩美ちゃんから連絡来て…」

歩美が連絡を入れたのか。

どうりで学校の違う亮太がいるはずだ。

私はそんな冷静なことを考えれるくらいだから、そんなに大したことではないのだろう。

静かな沈黙が私たちを包み込む。

心地良い沈黙に不思議とどちらかが話しを切り出すことはなかった。


――…ガラッ


一瞬にして、病室の沈黙は幕を閉じた。

目を向けたドアの前には母が大きな袋を2つ持っている。

「…亮ちゃん、ごめんなさい。桜と二人にさせてもらえないかしら?」

「あ、はい…」

母がそう言うと素直に応じる亮太の姿があった。

亮太が私に「また、後でな」と口パクで言ったのに対して、私は首を縦にだらしなく下ろす。

音をたててドアが閉まると、病院の独特な匂いが鼻の中を刺激してなんだか痛い。


母と二人きりの病室。

開いた窓から心地よい風が吹いて来て、そよそよと長い髪が舞う。

右手で、顔にかかった髪を耳にかけた時に、母は瞳から一粒の涙を流した。

初めて見る母の涙に唖然とする私がいて。

やっと落ち着いた背中の痛みが徐々に復元するように感じた。


「桜…あのね…」

母の声に懸命に耳を傾ける。

そうでもしなくては、耳に届いてこないくらい小さな声を発する。

か細い声に不安が襲ってくる。

立ちすくむ母に、もっと不安になってしまって。

なかなか言わない母の言葉を早く聞きたかった。


そんな時、病室のドアの向こうで聞こえた「あ、亮太君!桜は?」の声。

この甲高い声は歩美だ。

心配そうに、けれどいつもと同じ高い声。

私はこの音感があまり好きではない。

しかし、私が目を覚ましたことを知らせて、元気な姿を歩美に見せなくては心配は増す一方だろう。


「お母さん!」

母の瞳を見る。

潤んだその瞳には、活力が見られないほど弱々しい。

「…話しって何?早く話してよ」

母の気持ちを微塵も考えてない私の幼稚な思考。

そんなこと、この時には考えられなかったというのが本音だ。

人の気持ちさえ満足に理解できない私。

ただのクソガキじゃないか…。


母はドアの外を気にしながら、私に目を向ける。

はぁ。と、一呼吸置いてからやっと声を発した。

「桜、今日から入院するから…」

「えっ?」

入院する意味が分からない。

膝は痛くなるし、背中にも激痛が走ったのは本当だが、それはたったの一回きりだ。

入院するほどのことではないだろう。

「…後で医師からお話しがあるから」

そう一言だけ私の耳に残し、母は病室を後にした。

私に関心がないのは分かっているが、入院すると言われ正気では居られない。

仮にも娘を置いて病室を出て行った母の神経を疑う。


しかし…あの時の母の涙。

たったの一粒の涙が頭から離れない。



――…どのくらい時間が経っただろうか。

ドアの外からはもう声は聞こえない。

歩美や亮太はもう、帰ってしまったのだろう。


初夏の夕暮れ。

橙に染まる空が高い。

ゆらゆら揺れる木々。

流れる雲。

そんないつもと変わらない外の世界に目を瞑ってしまいたくなる。

いつもの私も今頃は、歩美と街に行ってくだらないウィンドーショッピングなんて楽しんでる時間だ。

それか亮太と家の中でイチャイチャしているかもしれない。

今、この場所にはそんな安らぎさえなくて。


――入院するってどうして?


それだけが頭をかすめる。



コン、コン――

ドアが一定の音を奏でる。

「…はい」

私が無意識に返事を返すと、静かにドアが開かれる。

入って来たのは医師と看護師。

そして、父と母だった。


「体調はどう?背中の痛みは治まった?」

白衣の男は私にニッコリと微笑みかける。

営業スマイルなのだろうか。

白衣の男の笑顔は完璧だ。

隙がないほど完璧な笑顔で微笑みかけられると、私もどうして良いのか分からなくなる。

「はぁ…」

だから曖昧な返事しか出来ない。

体調というか、心が不安で考えがついていかない。


医師は私の寝ているベッドの横に座る。

その斜め後ろには看護師。

父と母は、医師とは逆側へと移動した。


医師はいとも簡単に口を開く。

まるで、自分には関係のない話だとでも言うように。

「今日から頑張って治療して行こうね」

にっこりと微笑む医師の顔は仕事の顔だ。

そうだろう。

私は患者でも、彼は仕事だ。

直接、私に関係する仕事でも私の気持ちは分からないだろう。

ただの“仕事”なのだから。

だからこそ言えるんだろう。

そんなに簡単に、どういう病気なのかも言わず。


私は、意志を睨みつけろように見つめた。

緊迫した空気が流れるこの部屋は、窓から入る風が和ませる。

「…ねぇ、私ってなんの病気なの?」

ただ、真実が知りたかった。

医師の顔が一瞬曇ったのを私は見逃さない。

歪んだ顔の先には哀れみを帯びた表情をしているから。

「…少しだけ背骨が曲がっているんだよ。その為に、背中が痛くなったんだ」

これは嘘だろう。

あからさますぎる嘘は私の心の中に簡単に入ってくる。

後ろにいる母の呼吸が荒い。

泣いている証拠だと、私は確信できた。


医師は話しを続ける。

15歳の私には抱えきれない、そんな話しを――…


平凡に生きていけるだけ幸せだと、理解できた。



楽しいことがこれから待っていると思っていた初夏の出来事。


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