1.VELVET RAIN
日本 南原山市街
「おいっ! ジュウベイ行くぞ、もー、なんで今日に限って嫌がるんだ、ほら、来いって」
アキオの家が飼っている柴犬のジュウベイと、近所の防犯を兼ねた、夜の散歩に出かけようとした時だった。いつもなら尾を振り喜んで散歩に出かけようとするハズなのに、今日は犬小屋から出ようとしない。奥の方で腰がヌケたようにブルっている。
「おいって、なにビビってるんだよ、もーなんだよー」
リードをぐいぐい引っ張ってもビクともしない、本気で嫌がっている様だ。
呆れたアキオが、犬小屋を覗き込むのを止めて腰を上げて、何気に夜空を見上げた時だった……
「え……なにコレ、ミョーな夜空」
それは、真夏の夜空にしては、確かに異様なものであった。夜空一面に重い雲がぼこぼこと瘤の様に広がり、その瘤の間を縫うように稲妻が走って行く。
上空は風があるのか、その瘤の様な雲は膨らんだりへこんだり、まるで何かの生き物の皮膚様だ。
「うおぉ~気持ちワル~。おーい、オフクローちょっと見て見ろよぉ、オフクロ……」
アキオはビビるジュウベイを置いて、母親を呼びに家の中に戻って行った。
そんな空が、EU諸国・アメリカ・ロシア・中国、エジプト・オーストラリア・ニュージーランドなど各国の空で確認された。
どうやら地球規模で気候の異常が起きているらしい。
日本では、夜中にも関わらず、気象情報センターに数百件の問い合わせが来ており、また、電波障害により携帯会社にもクレームや、企業のサーバダウンによる混乱が続いていた。
この異常事態の真実を理解出来ているのは世界でも限られた人達だけだ。
そして、その内の13人が今、ソルトレークにある巨大地下シェルターの一室に集まっていた。
現在 アメリカ: ソルトレーク地下シェルター施設内
「『星』がいよいよ近付いて来た」
「札は揃った、これで全てが決まる」
「『冥約の王』が現れるのか、それともこのまま過ぎて行くか……」
「『トリガーウィルス』の方は?」
「既に準備は出来ている。衛星の最終チェックも完了だ。後は散布の指示を出せば良い」
「我々が長年≪ケムトレイル≫をやって来た真価が問われるな」
「『冥約の王』が現れれば、羊の放牧は終る。選別の為、いよいよ柵に移す事となる」
13人の家長達は、各々が雑談混じりの会話をしていたが、その内、直系家族の長、ネビュラ、マーカス、そしてアレサンドロの3人は、なぜか黙ったままその様子を見ていた。
――コンコン。
「失礼します。アレサンドロ様、お電話です」
本来、家族長の最高会議に取り次がれる電話などまずないだろう。しかし、その相手が誰かアレサンドロは知っているのか、黙って席を立ち、別部屋の電話の受話器を取り上げた。
『私だ……』
かすれつつも、重みと深みのあるトーン、それはドマ枢機卿の声であった。
『いよいよ始まるな』
「よろしいのですか、今からでも迎えに参りますが」
『いらぬ。教皇がこちらにおいでなのだ、私が動くわけにはいかぬからな』
「そうですか……」
『アレサンドロ。キース君を送ったそうだな』
「ご存知でしたか……、チャパ尊師との命約がありますし、何より『主』との約束ですから」
『彼は、栄光の道を歩むのだな』
「枢機卿もそれがあったから『姉弟』を行かせたのでしよう?」
『知っておったか』
「ええ。『三姉妹の話』は色々と小耳にはさんでいたので、もしやと思い二人を調べさせてもらいました。それより、もう会いに行かれましたか?」
『いや、その前に向こうから、おいでになられた』
「そうですか」
『君によろしくと言われたよ』
「……。『AS計画』のもう一つの計画は直系家長しか知りませんからね」
『ああ、その辺りの事は、おいでなられた時に窺ったよ。他から聞いたのであれば、私も信じられない所だが、御本人の口から聞くとなると、疑う余地はない。君も、数奇な運命よのう』
「運命は、私がこの家系に生まれ落ちた時に既に決まっていましたね」
『ハッハッハッ確かに――』
「どうか、御内密に……」
『最期に君に話せて良かった。ありがとう』
「……はい、こちらこそ」
そしてアレサンドロは、静かに受話器を下ろした。