1.VISITOR FROM PLUTO
「沙織さぁん……ぐっ……」
ジョーは、沙織遺体を睨む様に見つめて、そのまま泣き崩れる。
「ちくしょうっ!」
バカーーンッ!!
近くにあった、金属ボックスを蹴り飛ばす。
ボックスは蓋が開いたまま壁に当たると跳ね返って、回転しながらテーブルの下に転がり込んで行った。
眼を閉じたままジョーは動かない。いや、動けない。
沙織は、ちょっと前までこの部屋で、ジョーにゴーグルとグローブの説明してくれていた。それが今、ジョーの、眼の前で椅子に腰掛けたまま死んでいるのだ……。
……ドクン。
沙織は、実家が九州で、現在はこちらに1人で暮らしている。
研究で遅くなったりすると、元蔵が声を掛けて、よく犀川家で遅い夕飯をとりったりしていた。ジョーもバイトが遅くなった時には、祖母の絹代が3人分用意して、一緒に食べたりしている。
気さくで、飾らず、それでいて知的。歳は離れていたが、ジョーは理想の姉像みたいな物を、沙織に重ねていた。
……ドクン。
……ドクン。
かつて両親が亡くなった時の様に、ジョーの心に『渦』がひとつ現れた。
それは痼りの様に、胸元でどんどん大きくなる。吐き出したい衝動に駆られるが、心の『渦』では、到底吐き出す事は出来ない。
「ハア……ハア……ハア……」
ジョーは、その『渦』は心の出口を塞ぎ、嗚咽も出せないでいる。
嫌な汗が噴き出し、腕の毛穴がチリチリしてくる。
ジョーは眼を閉じ、ぐっと歯を食いしばる。
強く握った右手に爪が食い込む。
それは悲しみから来る物のか、怒りからの応えなのか判らない。しかし、ごうごうと心の中で唸りをあげ、巨大な『渦』となって、心を壊そうとして行く。
父と母が死んだ時、病院の集中治療室で感じた感覚、あの時と同じように、更に大きくなりこのままジョーを全て飲み込んでしまいそうな勢いだ。
必死で抑えつけようとするが、しかしその『渦』は、既に制御出来ず、ジョーの意識は完全に飲み込まれてしまいそうだ。
呼吸が荒く繰り返される。もう駄目だと思った時。
――ジョーくん。どうか犀川所長達をを助けて――
「……!?」
沙織が言った言葉が、急に心の隅に浮かんだ。
繋がりも、流れもなく、抑えるに精一杯のジョーの心に、横から滑り込む様に言葉が浮かんで来たのだ。
そしてその言葉が、心の『渦』を、ぴたりと止めた。
「そうだね……沙織さん、爺ちゃん達助けてなくちゃ」
沙織に渡された、左手にある物を見つめてつぶやいた。
ARゴーグルとARグローブを使い元蔵達を助ける事。沙織が最期に残した言葉だ。
「……沙織さん、やるよ俺」
ジョーは、ARゴーグルとグローブを装着する。
右手の親指と中指でコメカミのスイッチ押しながら、ゆっくりと、はっきりと言った……。
「起動っ!」
キュイイイーーーン!
起動電子音と共に、ゴーグルのブルーLEDがフラッシングを始める。レンズ部分の色が、オレンジ色から黒に変わり、システム環境情報がレンズ上にスクロールして行く。
『The invoking user administrator mode Give permission to use all ……』
沙織に使い方を教えてもらった時には無い言葉が、眼の前に表示された。
そして一旦眼の前が真っ暗になる。
「?」
キュイイイーーーン!
キュイイイーーーン!
再び起動音が鳴り、今度は横の上下LEDが青色から赤色に変わり光り出した。
「ぉおおあぁぁぁあぁぁーー!」
ジョーがこめかみを押さえ床に倒れ込む。
『User interface』がすっかり変わり、赤色の『Leaf』現れ、さっきとは、桁違いの情報が眼の前に現れてくる。めまぐるしくジョーの前で入れ替わる。まるで世界中の情報を見ているイリュージョンの様だ。
「こ、これはっ」
今、ジョーの眼の前に現れた物は、リミッターが外れた『量子コンピューターR』の情報だ。
論理的には1秒間に『1000垓(10の23乗)』クラスの演算処理を行える。
ジョーは、気分が悪くなって来た。
『情報のレベルを指定して下さい 00000001~99999999』
やがて『Input box(入力項目) /leaf』が現れメッセージと、スライダーが出た。
ジョーは起き上がり――。
「ハアハアハア。何だコレ?」
『Input box(入力項目)』が数字のところでブリンクしていた。
「なんか、数字入れろって事? どれだけ入れるんだ?」
ジョーは、言葉の意味が掴めず、取りあえず半分くらいにスライダーをずらしてみる。
パパパパパパパパパパパパーーーッ
「わっ!」
ずらした途端、辺りにリーフが現れた。ジョーの視線を送る物全てに商品タグの様な『Information(情報)/leaf』がいくつも現れる。まるで畑に大量に撒いた、タネが発芽するのをコマ送り見ている様だ。
机だろうと壁だろうとジョーが見ようとする、ありとあらゆる物の情報が表示されている。物のスペックだけでなく、金属の構造体から電子や分子の状態まで、それぞれに細かく『Information(情報)/leaf』に表示表示されている。ジョーが机の上の鉛筆を眺めると、3秒もすると『Leaf』で鉛筆が埋もれて見えなくなった。
「もっと少なくしないとダメかー」
スライダーを動かして色々調整したが、最終的に、『情報レベル』は000000155に落ち着いた。
「チッ、情報報深すぎ」
本来、管理者モードとはそんなモノである。
「ヨーシ。直感に任せてやってみるか」
ようは、あてずっぽうと言う事だが、直感とは大いなる叡智の入口であり、大切にしなければならない。
ジョーは大きく深呼吸すると、話し出した。
「よし。『F・M・A』、俺の現在位置を表示」
眼の前に『SITL(犀川工科研究所)』の3D画像が現れ、地下のあるポイントが青く光っている。
「爺ちゃ…いや、犀川元蔵の現在位置を、同時に表示しろ」
また『SITL(犀川工科研究所)』の別の場所が黄色く光る。
「ここは、『転送装置』がある所かな。その部屋の監視カメラを出せ」
別の『Leaf』が現れ、監視カメラの映像を表示するが、ブラックスクリーンで何も見えない。
「部屋のカメラがやれているのか」
他のカメラを見てみるが、どれも見えなかった。
「しかたない。『F・M・A』、アイツらの情報はないか?」
……シーン……
「あ、そうか。アイツらと言っても判らないか。エート、ここの侵入者のリストを」
また『Information(情報)/leaf』が現れ『SITL(犀川工科研究所)』にいる者達の画像が一覧表示される。むろん自分の姿もあった。
「あ、いた、コイツらだ」
リストの中から、ジョーに襲いかかって来たヤツ(ヴォルテス・ノストゥラ)を見つけ出した。
「よし、『F・M・A』コイツの情報を表示」
2秒くらいすると、『ヴォルテス』の情報が現れた。
「ん~。なに? 『名称『獣に乗る女』ヨハネ黙示録及び、サンジェルマン著『アシュケナジーへの伝言(Message a la Ashkenaz)』(1874年)に登場する、想像上の生物。同書によると、朱色と青紫の2種類がいるとされ、『トロシアの杖振るう冥約の王』『プラウェルの色を見る冥約の王』を探す存在と記述されている。目撃例にとして1964年、バルト海ポーランド沖にて、当時の巡洋艦が、『獣に乗る女』らしき数体と遭遇。その後抗戦状態となり、大破したと記録が残されている。抗戦後の足取りは掴めていないが、生存者が撮影した当時の写真が、唯一残されている。』……ん? 小さくて荒いけど確かにアイツに似てる。 ……しかし、なんで想像上の生物の確認情報があるんだよ」
他にたいした情報は無く、ジョーは『獣に乗る女』達について調べるのをあきらめた。
「ふぅ……じゃ、この『獣に乗る女』達の現在位置を出してくれ」
『SITL(犀川工科研究所)』の3D画像に点滅しながら移動する赤い光が増えた。
「よーし。これ見て、アイツら避けながら、爺ちゃん達とこ行けは簡単だな」
立ち上がり、辺りを見回す。何か武器になりそうな物がないか、壁に掛かっている工具を探した。しかし、たいした物がなく、何とか、自動釘打ち機とロープ2本、1.2メートルくらいの金属製パイプが2本、火災時用の斧を見つけ出した。
「よし、行くか」
ジョーは、振り向き、暫く沙織の遺体を見つめる。
そして――
「沙織さん。お世話になりましたっ!」
万感の想いを込めて、深々とお辞儀をした。
そのままきびすを返し、ジョーは、研究室を後にした……。