2.神話
日本 SITL(犀川工科研究所)
「コーヒーはアイスでいい?」
「あ、すいません」
沙織が自動販売機の前でブラックコーヒーを選ぶ。
紙コップが、取り出し口の所に落ちて来て、ザラッと氷の音が聞こえた。
沙織は屈んで、その様子を覗き込んでいた。
「この自販機、このあいだから調子悪くて、たまにコーヒーが出てこない時があるの。業者が来て何回も調整してもらってるんだけど、すぐ悪くなっちゃうし。よし、出てきた」
ジョー達は『SITL(犀川工科研究所)』の2階ラウンジルームに来ていた。
サンドベージュの毛並みの良いカーペットに観葉植物と落ち着いたインテリアのそろった、なかなか居心地の良さそうな部屋だ。
沙織が両手に紙コップを持って、ジョーの向かいの席に座った。
「こっちがブラック、こっちがガムシロ入りね、クリームはこれ。どうぞ」
「ゴチです」
ジョーは、ガムシロ入りを取る。
「沙織さん、今日はありがとうございました。いや面白かったです」
「ジョー君からするとゲームみたいなモノだからね」
沙織は、クリームを入れ、プラスチックのマドラーでコーヒーを混ぜながら笑って言う。
「ああいうのは、早く売り出せばいいのになー」
「ハハハ、あれは、あくまで量子コンピューター用のUIだから。しかし、いずれ『量子コンピューターネットワーク』が構築される様になれば可能だけれどね」
この時間ではラウンジルームには誰もいない。ジョーと沙織だけであるが、壁のテレビはつけっぱなしになっている。
「沙織さん、ずっとあの、コンピューターの開発していたんです?」
「まぁそうね、元々は『F・M・A』用のアルゴリズム書いていたんだけど、インターフェースの件で、当時のメンバーからクレームが、ガンガン出ていたので、内容をまとめて犀川所長に報告しに行ったの。そしたら『んじゃ、キミが担当やって』って言われて、そのままアレ(ARゴーグル、ARグローブ)の開発に入ったんだ」
「ええ!? そんな簡単に決まっちゃうの? 爺ちゃん適当だなー」
「まぁ、ちょうどその頃は皆が忙しくて、空けれる人間が、私か居なかったんだけどね」
「沙織さん、つかぬ事を聞きますケド、爺ちゃんて、そんなにエライんですか? 確かにココの所長って事は理解出来るんだけど、家じゃ普通の爺さんなんですよね、ちょっと面白いケド」
「フフフッ 犀川所長は凄い方。私がまだ学生の頃、犀川所長の講義を受けて『SITL(犀川工科研究所)』に入りたいと思ったんだ」
「ヘー」
「それにね、今回の『ARゴーグル』や『ARグローブ』に一部使われているチップセットは、『佐助シリーズ』と言って、かつて『TDエレクトロニクス社』と犀川所長の共同開発された物で、基本設計は犀川所長がやられているの。当時の、武田直治社長が犀川所長と旧友で、断れなかったって言っていたよ」
「ヘー、知らなかったなぁ」
「『TDエレクトロニクス社』って言ったら、今じゃ世界的企業だからね」
「ジョー! ここにおったか」
ちょうどそこへ、元蔵がラウンジルームに入って来た。
「すまんなジョー」
「あーいいよ、沙織さんの仕事も見せもらえたし、楽しかった」
ジョーは、元蔵に着替えの入ったスポーツバッグを渡した。
「そうか。沙織君、ジョーの相手をしてくれて、すまんかったな」
「いえいえ」
「爺ちゃん、沙織さんは凄いよ、俺マジで驚いたよ」
「ワハハハ! 沙織君が凄いのは、ワシの方が、よ~く知っとるわ」
「ちぇ」
残っていたコーヒーを飲み干して立ち上がる。
「それじゃ俺、ボチボチ帰るよ」
「そうか、ありがとな」
「爺ちゃん、約束守ってくれてありがと。沙織さん、色々ありがとうございました」
ジョーは礼を言って、頭を下げた。
「明日は帰ると、アイツに伝えてといてくれ」
「わかった」
「ジョー君も、気をつけて」
「じゃあ、失礼し……ま……あ?」
ジョーがラウンジルームから出て行こうとした時だった
「あれ? 沙織さん、あれって、爺ちゃんが共同開発してたって言っていた会社じゃない?」
ジョーが元蔵と沙織の後ろに向かって指を指した。
「「え?」」
2人が後ろを振り向くと、壁のテレビで10時の報道ニュース番組がやっており、ニュースキャスター横の画面で『TDエレクトロニクス社』が黒煙を上げ燃えている映像が映っていた。
あわてて、沙織がリモコンでボリュームを上げる。
『――昨夜からの『TDエレクトロニクス社』本社のガス火災は、現在でもまだ燃え広がり、消防車120台、特殊消化車両23台で消化に当たっていますが、鎮火の兆しは見えていません。スイス政府の発表によりますと、現地時間の昨夜21時30分頃、『TDエレクトロニクス社』本社内で、大規模なガス爆発がおこり敷地内にいた社員、約750名全員死亡と発表されました。この報告を受け、日本政府は臨時――』
映像と共に、ニュースキャスターが抑揚の無いアクセントで原稿を読み上げている。
「こ、これは……」
元蔵はしばらく、身動き出来ずにいたが、やがて我に返り
「沙織君、すぐに東京支社に連絡を入れてくれ!」
「わ、わかりました」
「ジョー、すまん」
「うん」
元蔵と沙織は、携帯電話を出しながらラウンジルームから、走って出て行く。その2人の姿が廊下から消えるまで、ジョーは黙って見つめていた。