印画紙の白に眠れ
このところ、毎夜、私の部屋に訪問者がある。
だいたい午前3時半頃だ。男が来る数分前に、決まって私は目を覚ました。男は幽霊である。ベランダの窓をするりと抜けて、私の寝床を大股に跨ぐと、そのまま奥の仏間の方に吸い込まれていくのだ。ダブルの背広を着た壮年の男だった。目を合わせたことはない。私は目を覚ましていたが、布団から起き上がることはなかったし、男の方でも私を見下ろすというようなことはなかった。ただ単純に、部屋に入ってきて、私の上を通り過ぎてゆく。それだけだ。不思議に恐怖感はなかった。
ある日、義母と電話で話した折、この男の話をすると、
「あンた、そりゃ昭之助サンだ。あの人、昔から夜中出歩く癖があってネ、ホラ、のっぺりした馬面で、顎ンとこにでっかいイボがなかったかね」
などという。私は昭之助さんとは面識がなかった。それもそのはず、私がこの家に婿に来て四十年、かように霊前を守ってはいるものの、先立たれた妻のさらにその先祖など、並ぶ位牌の数でしか数えたことがなかったのだから。
電話は続いた。
「しかし、帰ってくるってこた、あンた、そりゃ出かけてるってことさね。いつ出てくのかね。昼間だと、見えないんかね」
つまらないことに気がつくものだ。
数日後、宅配便で古いアルバムが届いた。義母からだった。赤いスエード地の表紙には、ちょっと不格好な金文字で『Your Memory』とあり、いかにも昭和の、町工場から商店街への販路が生きていた時代の、ちょっと垢抜けない香りがあった。その1ページに付箋が夾まれていた。
開くと、それは屋外で撮った古い記念写真で、黒松らしい幹の太い木々の間に、和装の人々が三列をなして並んでいた。無論白黒である。結婚式のあとか、中央正面には、白無垢の女性と、紋付き袴の若い男性が座っていた。どの顔も知らない顔だった。写真の下には罫のあるノートの切れ端しが綴じられており、そこに参列者の名前らしい、巧みに崩したペン字のメモが書かれていた。
佐山菊五郎 とせ 山岡三次 秋乃 山賀金平多 はる……
一部は判読できない。だが、その中に、小瀬昭之助の名前を見つけた。
きっと、あの幽霊である。
しかし。
困ったことに、写真中のどの人物が小瀬昭之助か、全然わからないのだ。メモ書きの名前は二列で書かれており、参列者の並びとは一致していないし、また数的にも、明らかに参列者の総数よりも少なかった。
穴が開くほど写真を見つめても、答えが出るはずもなかった。白く褪色した小さな小さな参列者たちの顔が、揃って私を見つめ返すだけだ。
そこにあったはずのカメラの代わりに、私を見つめる、目、目、目……。
私は義母に電話を掛けた。
「ああ、どうかね、それ、私の姉さんの結婚式、若い頃だから、昭之助さんも、死んだときとは顔つきも違うだろね。一度送り返してみるか? でも、あたしが見てもわからんかも知れんねェ」
どうにも打つ手なしである。写真を机の上に出して、男が通るとき目につくようにしてみようかとも思ったが、それも失礼な話だ。男にとって私は、跨ぐべき布団の山に過ぎないのだ。
私はただ、いつものように待つことにした。そして、いつもよりはっきりと、男の顔を見てみようとした。
そして、寝床に入った。
気がつくと3時半だ。
男はいつものように窓を抜けて入ってきた。いつものように、古めかしい仕立ての背広姿だ。私は男が私を跨ぐ瞬間、彫りの深い顎に、義母の言ったイボを見つけようとした。
それは、なかった。
そう見て取った瞬間、私の意識に奇妙な揺らぎが起こった。同時に、男がぴたりと足を止めた。布団を越えてすぐの所である。私はぎくりとした。
男は私を見下ろしていた。まったく記憶にない顔だった。写真の中には混ざっていたのかもしれなかったが、見比べようにも、アルバムは机の上に閉じてある。
そのとき、唐突に、男が喋った。
「あんたね、俺は五十三で死んだんだよ」
と。
それだけ言うと、男はまたするりと体を動かし、いつものように仏間へと消えていったのだ。男が消えた途端、庭の木の小鳥たちが、一斉に朝まだきの声を上げたように思った。
この晩以降、私の前にこの男が現れることはなくなった。
義母にこの話をしたが、じゃァ誰だろうね、不思議だねというだけで、結局何の手がかりにもならなかった。その後も色々調べてみたが、男が参列者の中にいたのかすら、私にはよくわからなかった。
その後私は、男の言った言葉を、ふと思い出すことがある。
私は今年で六十四になる。妻に先立たれて五年だ。あの男が誰だったか、いまだ知らない。もう知ることもないのだろう。あの男が五十三で死んだというのが本当だとして、いつ、どこで、五十三で死んだのか、皆目見当がつかない。
おそらく――だれも、もう誰も、あの男のことを、知らないのだ。
私も今年で、六十四になる……。