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第1話「体力オバケ、冒険者になる」

※最近体力ないなぁ、と思いながらAIとわちゃわちゃ話し合って作ったお話です。

## 1


 汗が飛ぶ。息が弾む。鏡張りの壁に、必死の形相で踊る少女たちが映っている。


 夕方六時のレッスンスタジオ。プロダクション所属のアイドル候補生八名が、振付師の容赦ないカウントに合わせて体を動かしていた。


「ワン、ツー、スリー、フォー! 腕が死んでる! 笑顔! 笑顔忘れないで!」


 二時間ぶっ通しの振り入れ。候補生たちの顔からはとっくに笑顔など消え失せ、代わりに酸欠の金魚のような表情が並んでいた。


 ひとりが膝から崩れた。


「せんせ、む、無理です……」


「水……水ください……」


「あたし明日、筋肉痛で死ぬ……」


 振付師が腰に手を当て、呆れたようにため息をつく。


「はいはい、五分休憩。水分とストレッチ、忘れないで」


 候補生たちが次々と床に倒れ込む中、ただひとり——Loss:ゼロ、汗:適量、呼吸:平常、という意味不明なコンディションで突っ立っている少女がいた。


 ミリカである。


「…………」


 ミリカは鏡の中の自分を見つめていた。


 周囲の仲間たちが限界を迎えているのは分かる。みんな頑張っている。全力を出し切って、くたくたになっている。それはとても美しいことだと思う。


 なのに、自分はどうだ。


 息ひとつ乱れていない。


 心拍数は散歩帰りとほぼ同じ。


 正直に言えば——まだウォーミングアップが終わったかな、くらいの感覚だった。


(ハリがないなぁー)


 ミリカは天井を見上げた。


 別に手を抜いているわけじゃない。振り付けは全力でやった。ただ、全力を出しても体が疲れないのだ。まるでガソリンタンクの底が抜けているみたいに、エネルギーが尽きる気配がない。


 いつもそうだ。


 レッスンが終わると、仲間たちは「お疲れ様」と言い合いながらよろよろと帰っていく。ミリカだけが「おつかれさまでしたー!」と元気よく手を振って、そのあと何をしようかなと考える。


 満たされない。


 体の奥の方に、まだまだ使い切れていないエネルギーが渦巻いている感覚。走りたい。跳びたい。なんなら叫びたい。でもアイドル候補生が夜の街で奇声を上げながら走ったら通報される。


(なにか、こう……ガツンとくるやつないかなー)


 五分休憩の間、ミリカはスタジオの隅に置いてあるフリーペーパーのラックをなんとなく眺めた。


 グルメ特集。興味なし——というか食事制限中だ。


 温泉旅行。いいけど遠い。


 ネイルサロン。爪は短く切る派。


 ぱらぱらとめくっていた手が、ある一枚のチラシで止まった。


 ド派手なゴシック体。炎のエフェクト。そして筋骨隆々の冒険者のイラスト。


『——冒険者ギルド、メンバー大募集!!』


『体力のある方、求む!! 未経験者歓迎! 日払い可!』


 ミリカの目が、きらりと光った。


(体力のある方——)


 チラシを裏返す。


 報酬体系。ランク制度。ダンジョン探索の概要。保険制度——は微妙に心許ない。


 だが、そんなことはどうでもよかった。


 大事なのはひとつ。


(私にもできそう!)


「ミリカー、休憩終わるよー」


「はーい!」


 ミリカはチラシをぐしゃっと丸めてポケットに突っ込むと、満面の笑みでレッスンの続きに戻った。


---


## 2


 午後八時。レッスン終了。


 仲間たちが「おつかれー」「もう足動かないー」とぞろぞろ帰っていく中、ミリカはひとり逆方向に歩き出した。


 ポケットからくしゃくしゃのチラシを取り出し、住所を確認する。


「えーっと、駅の東口を出て……三つ目の角を左……」


 レッスン帰りのジャージ姿。肩にはダンスシューズの入ったボストンバッグ。髪はレッスンで乱れたままのポニーテール。


 どこからどう見ても「冒険者ギルドに向かう人間」には見えなかったが、本人は意気揚々だった。


 十五分ほど歩くと、雑居ビルの地下一階に、その看板はあった。


『秋葉原支部 冒険者ギルド』


 階段を降りると、重い木の扉がある。押し開けた瞬間、むわっとした空気が鼻をついた。革と鉄と、微かな血の匂い。薄暗い照明の下、ごつい体格の男女がテーブルを囲んで酒を飲んでいたり、掲示板の前でクエストの品定めをしていたりする。


 ミリカは目を輝かせた。


(おおー! 冒険者だ! 本物の冒険者がいっぱいいる!)


 受付カウンターに向かう。カウンターの向こうには、眼鏡をかけた二十代半ばの女性が座っていた。事務的な笑顔。


「いらっしゃいませ、冒険者ギルド秋葉原支部です。ご依頼ですか? それとも——」


「入りたいです!」


「……入会希望、ですね?」


「はい! チラシ見ました!」


 ミリカはポケットからくしゃくしゃのチラシを引っ張り出した。受付の女性——名札には「ハナ」とある——は、それを見て少し目を丸くした。


「ありがとうございます。では、まず簡単な身体検査と適性テストを——」


「体力には自信あります!」


「はあ、それは頼もしいですね」


 ハナは慣れた手つきで書類を取り出し、いくつかの質問をした。名前、年齢、職業、戦闘経験の有無。


「職業は……アイドル候補生、ですか?」


「はい! あと、カフェでバイトもしてます!」


「……戦闘経験は?」


「ないです!」


 即答だった。清々しいほどの即答だった。ハナの笑顔がほんの少し引きつる。


「で、では身体検査に移りますね。こちらの魔導測定器に手を置いてください」


 カウンターの上に、球体型の装置が置かれている。ミリカが素直に手を乗せると、球体が淡い光を放ちはじめた。


 数値がモニターに表示される。


 魔力——平均以下。


 知力——平均。


 敏捷——やや高い。


 筋力——高い。


 HP——


 数字がぐるぐると回転した。


 ハナが首を傾げる。


「あれ、おかしいですね……バグでしょうか……」


 もう一度測定。数字がまた回転する。上限値を振り切って、表示がバグったように点滅している。


「ちょっと、すみません……」


 ハナが装置の横を叩いた。再起動。三度目の測定。


 数字が表示された。


 ハナの目が点になった。


「——えっ」


「どうしました?」


「い、いえ……えーっと……」


 ハナはモニターと、目の前のジャージ姿の少女を、交互に三回見比べた。


「あの、もう一度確認なんですが、これまでに魔法強化や身体改造の施術を受けたことは……」


「ないです!」


「……薬物の使用は」


「してないです!」


「……ドラゴンの血を飲んだとか」


「飲んでないですよー! なんですかそれ!」


 ハナは咳払いをした。プロフェッショナルとしての冷静さを必死に取り戻そうとしている。


「けっ——結果をお伝えします。HPの数値が、当ギルドの測定器の上限を超えているため、正確な値をお出しすることができませんでした」


「そうなんだー。それってすごいんですか?」


「……すごいとかすごくないとかの話ではなく、物理的に測定不能ということです。この測定器はAランク冒険者まで対応しているんですが」


「じゃあ私、Aランク以上ってこと?」


「いえ、HPだけで冒険者ランクは決まりませんので……ただ、まあ、その……」


 ハナは書類にペンを走らせた。走らせながら、ペン先がちょっと震えていた。


「……合格です。冒険者登録、完了しました」


「やったー!」


 ミリカが両手を突き上げて喜ぶ。その衝撃で、カウンターの上のペン立てがカタカタと揺れた。


「ランクはFからのスタートになります。無理をせず、低ランクのクエストから経験を積んでいってくださいね」


「はい! あ、それで——」


 ミリカはボストンバッグからスマホを取り出し、カレンダーアプリを開いた。


 予定が入っているのは、週に三日のレッスンと、ぽつぽつとしたカフェのシフトだけ。残りは見事なまでの空白だった。アイドル候補生とは思えないスカスカぶりである。


「明日の夕方のレッスンまでにサクッと終わるクエストはありませんか?」


「……基本、日帰りはありません」


「えー」


「ダンジョン探索はどうしても一泊以上かかるのが通常でして……」


「そっかぁー」


 ミリカが心底残念そうにしょんぼりする。ハナはその様子に少し同情して、付け加えた。


「どうしてもと言うのでしたら、ダンジョンまでの荷物運びや、序盤の雑魚モンスターとの戦闘だけを手伝う——いわゆる『露払い』の条件で入れてくれるパーティーを探してみることをお勧めします。途中離脱が前提なので、日帰りも可能です」


「やります!」


 食い気味だった。


「体力には自信があります!」


「……それは、はい、存じております」


 ハナがちらりとモニターの数値に目をやった。測定不能の文字が赤く点滅している。知ってるどころの話ではなかった。


「では、装備の確認をさせていただきますね。どんなものをお持ちですか?」


「装備!」


 ミリカは自信満々にボストンバッグを開けた。


 中から出てきたのは——


 ダンスレッスン用のスウェット上下。


 室内シューズ。


 タオル。


 水筒。


 プロテインバー。


 以上。


 受付のハナは、三秒ほど無言だった。


 それから、ゆっくりと目を閉じた。


 深く、深く、息を吸い込んだ。


「…………」


 ぐらり、と体が揺れた。


「ハナさん? ハナさーん? 大丈夫ですかー?」


「…………大丈夫です」


 大丈夫ではなかった。ハナの顔は完全に真っ白だった。だが、プロとしての矜持が彼女を踏みとどまらせた。冒険者ギルドの受付嬢として七年。変な新人は山ほど見てきた。素手で登録に来たパンチドランカーもいた。全裸で来た自然回帰主義者もいた。


 だが、ダンスウェアで来た人間は初めてだ。


「……仕方ありませんね」


 ハナは立ち上がると、カウンターの奥にある倉庫へ向かった。しばらくして、がちゃがちゃと金属音を鳴らしながら戻ってきた。


 カウンターの上に、一式が並べられる。


 軽装鎧。革のグローブ。ブーツ。そして、初心者用の片手剣。


「貸し出し装備です。Fランク用の標準セットになります。破損した場合は実費請求ですので、くれぐれも丁寧に扱ってください」


「おおー! かっこいい!」


 ミリカは目を輝かせて鎧を持ち上げた。


「これ着ていいんですか!?」


「着てください。というか着ないと死にます」


「わー! ありがとうございます!」


 ハナは、カウンターに両手をついて、深くうなだれた。


「……とんでもないルーキーが現れたわ」


 その呟きは、幸いにも鎧を装着することに夢中なミリカの耳には届かなかった。


---


## 3


 同じ日の、少し前の時間。


 ミリカのプロダクション——株式会社スターライズ・エンターテインメント。


 都心の雑居ビルの四階にあるオフィスは、中堅プロダクションらしい慎ましさと、それなりの活気に満ちていた。壁には所属アイドルのポスターが並び、デスクの上には資料やサンプルCDが積み上がっている。


 その一角、会議室と呼ぶには小さすぎる個室で、面接が行われていた。


 面接官は二人。人事担当のマネージャーと、現場統括の部長。


 向かいに座っているのは、三十代前半の男だった。


 黒い髪を後ろに流し、目つきが鋭い。スーツは安物だが、着こなしに隙がない。背筋は定規で測ったように真っ直ぐで、椅子に座っているだけで空気が引き締まるような——そんな独特の存在感があった。


 履歴書には、こう書かれている。


 名前:クラウス。


 前職:冒険者。


「——冒険者をやられていた方だったんですね」


 人事担当が言った。興味深そうに、しかし慎重に。


「はい」


 短い返事。声は低く、落ち着いている。


「冒険者から芸能プロダクションへの転職というのは、正直なところ珍しいケースです。志望動機をお聞かせいただけますか」


「人を支える仕事がしたいと思いました」


「……と、言いますと?」


「冒険者時代は、自分の力で道を切り拓くことが求められました。ですが、年齢とともに前線での活動が難しくなり、振り返ったとき——自分がもっとも充実していたのは、仲間の力を引き出し、彼らが輝く手助けをしていた瞬間だったと気づきました」


 面接官たちが、ちらりと目を見合わせた。


「なるほど。それで、マネージャー職に」


「はい。才能のある人間を、正しい場所に立たせる。それが、今の自分にできる最良のことだと考えています」


 部長が、履歴書から目を上げた。


「スキルの欄に、魔法がいくつか書かれていますね。現場でも使えるものですか?」


「はい。回復、飲料水精製、照明、暖房、冷房、送風、テレパシー、微未来予知——あとバフ系はひと通り使えます」


 一瞬の沈黙。


 面接官二人が、もう一度目を見合わせた。今度は、さっきよりもずっと長く。


 回復。照明。暖房冷房。飲料水の精製。テレパシー。


 ——それ、野外ロケの全問題を一人で解決できるスキルセットでは?


 部長が咳払いをした。


「……大変結構です。最後に一つだけ。クラウスさん、体力面はいかがですか? マネージャー業務は、正直なところかなり体力を使います」


 クラウスの表情が、ほんの僅かに陰った。


「……全盛期と比べれば、かなり衰えています。正直に申し上げて、ダンジョンの深層を走り回れるような体力は、もうありません」


「そうですか」


「ですが——」


 クラウスの目に、静かな光が宿った。


「任された仕事は、必ずやり遂げます」


 面接官たちは三度目を見合わせ——今度は、同時に頷いた。


「それでは、クラウスさん。三ヶ月の試用期間付きではありますが——」


「内定です。よろしくお願いします」


 差し出された手を、クラウスは握り返した。


 会議室を出て、廊下に一人になった瞬間——


 クラウスは、小さくガッツポーズをした。


(——よしっ)


 その拳の握り方には、数えきれない魔物を屠ってきた男の力強さと、新しい人生の一歩を踏み出した男のささやかな喜びが、同居していた。


---


## 4


 翌朝。


 秋葉原の冒険者ギルド前に、ミリカは朝七時に現れた。


 借り物の軽装鎧を身に纏い、腰には初心者用の片手剣。ポニーテールの髪を揺らし、両手を腰に当てて仁王立ちしている。


 その姿は——まあ、率直に言って、コスプレイヤーにしか見えなかった。


 鎧のサイズがやや大きく、肩のあたりがカパカパしている。剣の鞘が足に当たるたびにカンカン鳴る。しかし本人は満面の笑みだった。


「よーし! 今日から冒険者デビューだー!」


 すでにギルドの掲示板で「露払い歓迎」のパーティー募集を見つけてあった。


 秋葉ダンジョン浅層——地下一階から五階までの雑魚モンスター掃討クエスト。報酬は日払い。パーティーリーダーの名前は「ヴォルフ」。


 集合場所のダンジョン入口に向かうと、すでに五人のパーティーメンバーが待っていた。


 重戦士風の大男。背の低い戦士の男。弓使いの女性。杖を持った老齢の魔術師。そして——個人配信用のカメラを持った、シーフの女の子。


 リーダーのヴォルフは重戦士だった。ミリカの姿を見て、一瞬だけ眉をひそめた。


「あんたが、露払い希望の?」


「はい! ミリカです! よろしくお願いします!」


「……ずいぶん軽装だな。大丈夫か?」


「大丈夫です! 体力には自信があります!」


 パーティーメンバーが苦笑いを浮かべる。Fランクの新人が「体力に自信がある」と言うのは、まあ、よくある話だ。地下三階あたりでバテて帰っていくのも、よくある話だ。


「まあいい。荷物持ちと、序盤の雑魚処理を頼む。危なくなったら即離脱しろ。無理はするな」


「了解でーす!」


 ダンジョンの入口が、ミリカの前に広がっていた。


 地下へと続く巨大な石の階段。冷たい風が吹き上がってくる。奥からは微かに、何かの唸り声が聞こえた。


 ミリカは、大きく息を吸い込んだ。


 体の奥底で、あのエネルギーが渦を巻くのを感じた。レッスンでもバイトでも、決して使い切ることのできない、底なしの力。


(——やっと)


 ようやく、全力を出せる場所に来た気がした。


「じゃあ、サクッと行ってきますかー!」


 ミリカは階段を駆け降りていった。


 その足取りは、アイドル候補生の域をとうに超え——あとからついていくパーティーメンバーたちが「ちょっと待て、速い速い!」と悲鳴を上げるほどだった。


---


## 5


 地下一階。薄暗い石造りの通路に、スライムやゴブリンといった最弱のモンスターが徘徊している。


 ヴォルフが指示を出した。


「まずはここで肩慣らしだ。ミリカ、荷物を——」


 言い終わる前に、ミリカは走り出していた。


 ゴブリンの群れに正面から突っ込み、借り物の片手剣を振り回す。


 剣術はめちゃくちゃだった。フォームも何もあったものではない。だが——


「えいっ! えいっ! やーっ!」


 一撃一撃が重い。筋力の数値が「高い」だった意味が、ここにきて如実に表れていた。ゴブリンが殴り飛ばされ、壁に叩きつけられ、気絶する。スライムに至っては、剣の一振りで飛沫になった。


 パーティーメンバーたちは、目を丸くしていた。


「……おい、あいつFランクだよな?」


「Fランクだな……」


「なんであんなに速いんだ?」


「知らん」


 地下二階。三階。四階。


 ミリカは止まらなかった。


 荷物持ちの仕事を完璧にこなしながら——パーティー全員分の装備と予備物資を軽々と担いでいる——前衛の露払いも同時にこなす。疲労の気配は微塵もない。


 五階に到達したのは、通常の倍の速度だった。


「ここから先は中層だ。ミリカ、お前はここまででいい」


 ヴォルフが言った。その声には、最初の懐疑的な色はもうなかった。代わりに、困惑と、わずかな畏怖がにじんでいる。


「えー、もう終わり?」


「……お前、まだ余裕あるのか?」


「全然! まだまだいけますよ!」


 ミリカは本当に汗ひとつかいていなかった。五階分のダンジョンを全力で駆け抜けたはずなのに、レッスン後と同じ——つまり、ほぼ無傷のコンディションだ。


 パーティーメンバーが顔を見合わせる。


「……あのさ、ミリカちゃん」


 弓使いの女性が、恐る恐る聞いた。


「ひょっとして、今まで何かスポーツとか、格闘技とかやってた?」


「ダンスだけですよー!」


「ダンスだけで、この……?」


「体力には自信があります!」


 それしか言わないのか、この子は——と全員が思ったが、口には出さなかった。


 ヴォルフが腕を組んだ。


「お前、明日も来れるか」


「スケジュール見まーす!」


 ミリカがスマホを取り出し、カレンダーを確認する。明日の予定——空白。明後日——空白。その次の日——レッスン(夕方)。


「明日も明後日もいけます! 明々後日は夕方までに戻れれば!」


「……よし。明日もうちのパーティーに入れ。露払いの報酬、色つけてやる」


「やったー!」


 ミリカは拳を突き上げた。


 地下五階の通路に、その歓声が反響する。


 近くにいたゴブリンが、その声量にびびって逃げていった。


---


## 6


 夕暮れ。


 ダンジョンから地上に出たミリカは、西日を浴びながら大きく伸びをした。


「あー、楽しかったー!」


 全身についたモンスターの体液や土埃を、ギルドの簡易シャワーで流し、元のジャージに着替えた。ボストンバッグを肩にかけ、鼻歌混じりに駅へと向かう。


 スマホに通知が来ていた。


 プロダクションの公式アプリ。明日のレッスンのスタジオ変更連絡。それから——新しいマネージャーの配属に関するお知らせ。


(あ、新しいマネージャーさんが来るんだ)


 ミリカは画面をスクロールした。名前は書かれていない。「担当マネージャーの詳細は追ってご連絡します」とだけある。


(……今度の人は、長く続くといいなぁ)


 ふと、胸の奥がちくりとした。


 前のマネージャーは三ヶ月で辞めた。その前は二ヶ月。その前は——初日。初日で逃げた人もいた。理由はだいたい同じだ。「ついていけません」。


 ミリカだって、好きで怖がらせているわけじゃない。ちょっと体力があるだけだ。ちょっと——まあ、だいぶ。かなり。測定不能なくらい。


(でも、私は普通にしてるだけなんだけどなー)


 そう思いながら、スマホをポケットにしまう。


 駅前の横断歩道で信号待ちをしていると、向かい側から歩いてくるスーツ姿の男と、ふと目が合った。


 黒い髪を後ろに流した、目つきの鋭い男。


 片手にはコンビニの袋。中身はおそらく夕食だろう。もう片方の手には、スマホ。画面には地図アプリが表示されている。この辺りの土地勘がないのか、時折画面に目を落としている。


 クラウスだった。


 もちろん、この時のミリカにとっては名前も知らない通りすがりの他人でしかない。


 信号が変わった。


 二人はすれ違った。


 ミリカは鼻歌の続きを歌いながら駅に向かい、クラウスは地図アプリに従って新居のアパートへと歩いていった。


 どちらも、相手の顔を覚えてはいなかった。


 ただ——あとから振り返れば、これが最初のすれ違いだった。


 アイドル候補生で、冒険者で、体力オバケの少女と。


 元冒険者で、新米マネージャーで、不器用に誠実な男と。


 二人の道が本当に交わるのは、もう少しだけ先の話。


---


 夜。自宅アパートの狭いワンルームに帰ったミリカは、シャワーを浴びて髪を乾かしながら、ベッドに寝転がった。


 天井を見つめる。


 今日の冒険を思い出すと、自然と口元が緩んだ。


 ゴブリンを剣で吹っ飛ばした感触。地下五階まで全力で走り抜けた爽快感。パーティーのみんなが「明日も来い」と言ってくれたこと。


 ——楽しかった。


 レッスンのダンスも好きだ。歌うことも好きだ。でも、あのスタジオの中だけでは、どうしても持て余してしまうものがあった。


 今日、ダンジョンの中で感じた手応えは、それとは違った。


 体の奥に渦巻くエネルギーが、ちゃんと使い道を見つけた感覚。パズルのピースがはまるような——大袈裟に言えば、自分の一部が、やっと正しい場所に落ち着いたような気がしたのだ。


(アイドルと冒険者、両方やればいいじゃん)


 ミリカは寝転がったまま、拳をぐっと天井に突き上げた。


「よーし。明日もサクッと行ってきますかー!」


 体力オバケの冒険者生活——それは、こうしてひっそりと始まった。


 この先に待ち受ける血まみれの合同リハも、マネージャーの連続辞任も、鎧ドレスもドラゴンのブレスも、まだ何も知らない夜だった。


 ミリカはスマホのアラームを朝五時にセットし、三秒で眠りに落ちた。


 明日の夕方のレッスンまでに、もうワンクエストいけるな——と思いながら。

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