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制服に袖を通して、一階のリビングに降りるとドタドタと慌ただしい足音が駆け寄ってくる。
「ミヨリ! あなたネットでバズってるわよ! すごいじゃない!」
小さな両手を握りしめながら、瞳をキラキラとさせた母が声をかけてきた。
宮本香奈子。
四十路を過ぎているようには見えないほど若々しくて、後ろ姿だけなら子供と間違えられるほど小柄な体形をしている。
わたしの身長がぜんぜん伸びないのはお母さんの遺伝子だな。ミヨリはそう確信していた。
「なんだかうちの子は他の探索者とは違うな~って、いつも配信を見てて思ったけど、やっぱりミヨリはすごかったのね!」
ミヨリがネットで話題になっていることは、もう香奈子の耳にも届いていた。これまで鳴かず飛ばずだったミヨリがバズったので、自分のことのようにハシャいでいる。
「これからは大勢の人に配信を見てもらえるわよ。あなた配信中に表情が死んでいるときがあったけど、もうその心配はいらないわね」
「わたし表情が死んでたんだ」
思い当たる節はいくつもある。あまりにも同接ゼロが続いたとき、心が虚無になっていた。たぶんあのとき表情が死んでいた。
「でもこれから配信をやるときは気をつけないとダメよ。あなたはいま注目されているんだから」
ムフフッと香奈子は抑えきれない笑みをこぼすとキッチンのほうに向かっていく。その姿は遊園地に出かける前の子供みたいに上機嫌だ。
「……あ~、ミヨリ」
おほん、と咳払いが聞こえてくる。
リビングのテーブルには父親である宮本茂則が着いていた。
七三分けにした髪に、長年愛用している黒縁眼鏡をかけている。もともと堅物な空気をまとっているが、着ている出社用のスーツがそれに拍車を掛けている。
今日はいつにも増して、真面目な雰囲気を出してきていた。
「母さんから話は聞いたぞ。ネットで話題になっているそうじゃないか」
「うん。昨日ちょっと人助けをして、それで騒がれてるみたいだね」
そうか、と相槌を打つと茂則はもう一度咳払いをする。それから表情を引きしめると、真剣な眼差しでミヨリのことを見つめてきた。
「ミヨリ。あまり調子に乗らないようにするんだぞ。今はたまたま話題にされているようだが、それはあくまでも一過的なものだ。ネットの流行なんてものはすぐに移り変わる。この状況がこれからもずっと続くなんてことはありえないんだ」
茂則は厳かな口振りで、家長として、そしてミヨリの父親として苦言を呈してくる。
「おまえが探索者になりたいと言い出したときは正直驚いたよ。危険がつきまとう仕事らしいからな。あまつさえ配信をやりたいだなんて聞いたときは、どうしたものかと思ったが……」
茂則も香奈子も、ミヨリが探索者になりたいと打ち明けたときは反対してきた。子を持つ親としては真っ当な反応だろう。
しかしミヨリが毎回無事に帰ってくるので、今となっては納得してもらっている。
「ミヨリが配信をはじめたこと自体は、社会の厳しさを知るいい機会だったと父さんは思っている。ぜんぜん再生数が伸びずに、チャンネル登録者数が増えなくて、世の中が甘くないということをミヨリが学んだようだからな」
どんな業界だって厳しい。それは実際に配信を行うようになって、身に染みて痛感させられたことだ。
「まぁ父さんはこれまでミヨリの配信は見たことないんだがな。今回話題になっている動画というのも、どういうものなのか把握できていない。ミヨリの配信については母さんに任せきりだ」
娘がモンスターに襲われているところは怖くて見られない。そういう理由で、茂則は頑なにミヨリの配信を見ようとはしなかった。
茂則は真面目に会社に勤めてきた人間だ。探索者なんて常識離れした仕事とは縁遠い。ミヨリが嬉々として危険なダンジョンにもぐることは理解できないのだろう。
「なにを言いたいかと言うとだな。そんな簡単に手元に栄光が転がってくることはないということだ。例え栄光をつかんだとしても、それはあっさりと手元からなくなってしまう。地道にコツコツと積み重ねるのが一番だ。そこを疎かにしてはいけない。ミヨリには、それを忘れないでほしいんだ」
今回のことで調子に乗って努力することをおこたらないように。茂則はそのことをミヨリに伝えたかった。
「うん。わかってるよ、お父さん。わたしはまだまだ未熟者で、ぜんぜん大したことはないって。だからこれからも精進していくよ」
父からの忠告にしっかりと頷くと、椅子を引いてテーブルに着く。置かれているトーストと牛乳の芳ばしい香りが鼻先をくすぐった。
娘の素直な返事を聞くと、茂則は引きしめていた表情を崩して微笑む。
「いや、すまない。なんだか朝から説教臭くなってしまったな。父さんも、母さんと同じでミヨリのことは応援したいんだ。ミヨリのこれまでの努力が実ったことは、父さんだってうれしいからな」
さっきは父親として厳しいことを言ってきたけど、それだってミヨリのことを想ってのことだ。茂則はちゃんとミヨリのことを応援してくれている。
そのことはミヨリもわかっているので、不快な気持ちになることはない。
「よかったらこれを機に、お父さんにもわたしの配信を見てもらいたいな」
「あぁ、そうだな。いい機会だ。そろそろ父さんもミヨリのがんばっているところを見てみるとしよう」
二人で微笑みながらトーストにかじりつく。娘と父親の和やかな朝食の風景がそこにあった。
「…………」
それをキッチンから眺めていた香奈子は、悩ましげな表情をして考え込む。
「……あの人、ミヨリがダンジョンにもぐっているところを見て、正気でいられるかしら?」
そのつぶやきが、談笑しながら食事を取っている娘と父に届くことはなかった。




