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「あら? ムラサメちゃん、いらっしゃい」
「ムラサメさんじゃないか……」
綾乃を連れて帰宅し、ミヨリの部屋がある二階にあがる前にリビングを通りかかると、ダイニングで夕飯の支度をしている香奈子と、ソファーに深く腰を沈めている茂則が声をかけてきた。
「どうも、おばさん、おじさん。お邪魔します」
綾乃は礼儀正しく頭を下げて、二人に挨拶をする。
一緒にダンジョン配信を行った日、最後に楽しみにしていたダンジョンブレイドの発売日をまちがえていたという悲劇に見舞われて特大ダメージを受けたミヨリを、綾乃は肩を貸してかいがいしく自宅まで送り届けてくれた。
その際に綾乃は両親と顔を合わせている。
そしてメンタルブレイクしてまたいつ倒れるかわからないミヨリに、香奈子が「さぁ、ミヨリ! これをやるのよ!」と言って携帯ゲーム機をパスしてきた。それをプレイすることで、多少は精神が安定した。
一連の流れをそばで見ていた綾乃は「なにこれ?」と口に出して不思議がっていたが。
「……なぁミヨリ。わたしの気のせいか? おじさん、なんだか前に会ったときよりもやつれていないか?」
綾乃は耳元に顔を寄せてくると、声をひそめて尋ねてくる。
綾乃の言ったように、ソファーに腰を沈めている茂則は頬がこけていて暗い雰囲気を背負っていた。最近は情緒も不安定になっていて食欲もなく、望んでもいないのに体重が減ってダイエットに大成功している。
「わたしの配信を見てから、お父さん元気がないんだ。今日だって体調不良で会社を休むことになって、ほんと心配だよ」
「…………」
綾乃は震える唇を閉ざして「おまえがそれを言うのか?」というセリフをがんばって飲み込んだ。
「探索者というものについてはよくわかりませんが、どうかこれからも娘と仲良くしてやってください」
「あっ、はい」
茂則が乾いた笑みを浮かべながら話しかけてくると、綾乃は背筋を伸ばして返事をする。その話しかけてくる声もだいぶ弱々しかった。
やさしく微笑んだまま、茂則はテーブルに置かれたコップを手に取って水を飲もうとする。
だが、茂則の手がコップに触れた瞬間だった。
ビチャ! ビチャビチャ!
コップに入っていた水がテーブルにまき散らされる。
「ぐっ……ちくしょう! なんでだ! なんで手が勝手に震えやがるんだっ!」
茂則はひとりでに痙攣してまともに水を飲むこともできない右手を、驚愕した面持ちで睨みつけながら叫ぶ。はたから見ると、完全に中二病を患ったおじさんだ。
「どうしちまったんだ、俺の身体は! ミヨリの配信を見てから、何もかもおかしくなっちまったよ……!」
両手で顔をおおうと、茂則は激しく首を振るう。
娘の友人の前でここまで取り乱すなんて、だいぶ精神が参っている証拠だ。
綾乃は気の毒そうに茂則を見る。ダンジョンで強力なモンスターと遭遇して死にかけた探索者などは、こういうふうになってしまう人がいる。
茂則はダンジョンに一歩も入っていないのに、なぜかこんなふうになってしまっているが。
そんな茂則のもとに香奈子はのんびりとしたゲーム音楽を鼻歌で口ずさみながら近づいていき、テーブルに飛び散った水をキッチンクロスでふき取る。
「あなた、落ち着いて。子供というのは時に親の想像を超えて成長するものよ」
「いや、アレもう想像をカッ飛びすぎてて大気圏突破しちゃってるレベルだろっ!」
「あなた、宇宙は広いわ」
「そういうことじゃねぇよ! 宇宙の話なんてしてねぇよ!」
……わたしは他人の家で一体なにを見せられているのだろうか? 綾乃はダンジョンにもぐっているときよりも困惑して立ちつくしていた。
「あっ、ムラサメちゃんお菓子食べる?」
そして元凶であるこいつはなんで平然としているのか? 綾乃はキッチンで棚をあさっているミヨリにジトッとした目を向ける。
とりあえず「わたしはいい」と言って綾乃は断っておく。とある理由から、人前でお菓子を食べることは控えているので。
茂則は頭をガシガシと乱暴な手つきで搔きまわして苦悩を口にする。
「会社では同僚たちから『もしかして、あれって宮本さんの娘じゃね?』って疑われて怖がられるし、若い女性社員からは『ちょっww 今日は叫んだりしないんっすかwww』って完全に舐められてて、もう周りの環境がグチャグチャだよっ!」
「わたしだって街中でミヨリに間違われて『うぇぇぇ! ミヨリちゃんだぁ~っ!』って子供たちに怖がられることがあるわよ? ぜんぜん気にしてないけどね。むしろ『そうよ、ミヨリちゃんよ』って堂々と答えてるわ。そしたら子供たちが悲鳴をあげながらダッシュで逃げてく」
「……わたし子供にまで怖がられてるの?」
地味にショックな情報を母から聞いてしまい、どのお菓子を食べようかと悩んでいたミヨリの手が止まる。
「わかってるんだよ! こうなったらもう現実を受け入れるしかないことは! だけど、どうしても戻りたいと思ってしまうんだ! ミヨリがバズる前の、ミヨリの配信を見てなかった頃の平穏な日々に……!」
茂則は顔をくしゃりと歪めて「うぅぅ……」と声をもらした。
そんな茂則を見て、綾乃はハッとする。この人は自分と同じなんだと。自分と同じように苦しんでいるのだと。
そのことに気づいたら、黙ってはいられなかった。
「あ、あの、差し出がましいようですけど……!」
綾乃が語気を強めて話しかけると、うつむいていた茂則は顔をあげてくる。呆然とした眼差しで綾乃を見てきた。
「わたしも、おじさんの気持ちはよくわかります。ミヨリと一緒にダンジョンにもぐって、これまで築いてきた凜々しいイメージが吹き飛んで、配信を見てくれる人達からポンコツ扱いされるようになってしまって。同じように学校でもなんだかポンコツ扱いされるようになって、周りの環境が激変したことに頭のなかがグチャグチャになってしまいそうで」
同じ学校に通っている生徒達からは親しみやすくなったと言われているが、それでも綾乃としてはポンコツ扱いされるのは不本意なことだ。
「それでもがんばらなきゃって思って! わたしはくじけずに、がんばって生きていかなきゃって!」
負けてはいけない。そう思って自分を奮い立たせたように、綾乃は熱い気持ちをこめて茂則をはげます。
「ですから、おじさんにもがんばってもらいたいです! 環境の変化に負けないように!」
綾乃は両手の拳を握りしめると、茂則のまとっている陰気な空気を払いのけるように活気のある微笑みを浮かべた。
「どうしても辛いっていうのなら、そのときはわたしの配信を見てください。これでも配信者としては人気のあるほうなので、楽しんでもらえる自信はあります。そして元気になってくれたらいいなって」
ちょっとだけ照れくさそうに綾乃は苦笑いをする。
綾乃からはげましの言葉をかけられた茂則は、しばらく呆然としたまま固まっていたが……。
「ム、ムラサメさん……」
その目にジワリと涙がにじむ。綾乃の言葉がしっかりと胸に響いて、魂を震わせていた。
茂則は眼鏡を外して浮かんだ涙を指先でぬぐう。眼鏡をかけなおすと、ソファーから立ちあがった。おほんと咳払いをすると、キリッとした生真面目な面持ちになる。
「娘の友達の前で取り乱してしまうとは、お恥ずかしいところをお見せしました。そしてはげましの言葉をかけてもらい、ありがとうございます。おかげで曇っていた胸のなかが晴れた気分です。必ず配信を拝見させてもらいます」
「いえ、そんな。おじさんが元気を取り戻してくれて、よかったです」
ひとまず茂則が復調したようなので、綾乃はホッとする。そしてもっと配信をがんばらなきゃと気持ちを引き締める。
「母さん、ミヨリ、これまで心配をかけてすまなかった。父さんはもう大丈夫だ。ほら見ろ、手の震えもおさまったぞ」
茂則はにこやかに笑いながら、拳を握ってガッツポーズを取ってみせる。
「お父さんが元気になってくれて、よかったよ」
「うんうん、よかったよかった」
久しぶりに父親の明るい笑顔を見れて、ミヨリは安心する。
そして綾乃が茂則をはげましている間ずっとゲーム音楽を口ずさんでいた香奈子はかなりテキトーに相槌を打つと、テーブルに飛び散った水をふき終えたので、ダイニングに戻って夕飯の支度を再開した。




